サイトの内容と歩き方についての説明

開設して八年余りも経ってから「案内」のページを作るというのもナニですが、アクセスの解析結果によれば、ここに来られる方の大半が「初めて」の訪問です。恐らく興味のある事柄について検索エンジンなどで下調べをされた上で来て頂いているものと思われますが、サイト内にあるページ数もかなり増え、書いている内容も雑多ですので、来訪者にとって「歩きやすい」構成になっていないことは確かです。…なので、案内のページを作ることにしました。(当HPは2016年4月に開設15周年を迎えます)

 サイトの構成内容は、ほぼ以下のようになっています。

  @ 中原中也のダダイズムの影響の濃い詩作品に関する評論(五部立て)と、実弟・思郎さんとの思い出。プラス「山羊の歌」抄。
  A 管理人の書いた「詩」や「小説」を掲載したページ。
  B 古代を中心にして中世、そして近代に至る歴史上の出来事や人物に関するページ。量的には写楽を扱ったものが一番多い。
  C 出雲弁に関するページ。(ただし、管理人が出雲に住んだのは三年余りなので「誤解」もあり得る)
  D 昭和(主に30年代〜60年代)に関するページ。
  E 主に写真(画像)だけで構成してあるページ。

中也のダダ詩についての「試論」は、若い頃(十代〜二十代の初め)に書きためたものを、何年か後になってまとめたものです。明らかな誤字、誤訳などは訂正していますが、文章自体には一切手を加えていません。小論の狙いは、若き日の中也の愛読書であるダンテ『神曲』を一つの鍵にして、彼の云う「名辞以前」の世界に迫ることにあるのですが…、成果や如何に!(従って、文献的にも、40年近く前に集めた資料が中心になっています。リアルタイムのものではありませんので、ご承知おきください)

詩篇は『創作詩』のページに、そして小説は『田舎中学三文オペラ』『写楽が誕生した日』『稲目の正体は豊彦王だった』などが該当します。創作にあたっても、記述に必要な資料は直接確かめられる一次資料に限定し、出来るだけ二次資料(所謂、孫引き)は避けていますが、それでも100%ではありません。構成上「小説」の体を取っている場合には必ず「それなりの」理由があります。創作上の記述と学問的に確かめられた事実を混同しないようにご注意願います。(「小説」の体を取るのは、それだけ証明できる資料が限られているという事です。このサイトでは所謂『トンでも説』を拡散するのが本意ではありません)記述内容に疑問を持たれた方は、ご自分で直接資料を探してみて下さい。

本来、このサイトは詩人・中原中也に関する評論、エッセイだけで構成するつもりだったのですが、管理人の志向が途中から古代史(卑弥呼と邪馬台国)に移ったため、歴史についてのページが多数を占める結果になりました。取り分け、6世紀初めに登場した「継体大王」一族及び蘇我氏にまつわる文章の量が突出しています。また、歴史上の人物としては江戸の浮世絵師・東洲斎写楽に強い関心があるため、彼に関わるページも多くなっています。日本史の取り上げ方としては、非常に偏った内容になっていると思います。また、各ページの地の文でも述べていますが、歴史上の人物や出来事について、必ずしも一般的な解釈(通説)とは合致しない、所謂「妄想」の類も含まれていますから、そのつもりでお読みください。文章化に当たって参考とした資料名は、その都度、明記したつもりですが、漏れている物があるかも知れません。また、一つの主題に関する「解釈」が、時間的な経過と共に「変化」する場合があります。主な理由は「新しい資料」の発見によるものですが、管理人自身の「見方」が変わる場合もあり得ます。従って、同じ主題に関する記述内容に「食い違い」が生じる可能性がありますので、その点も含みおきください(特に古代史、取り分けオオクニヌシ事代主命などに関わる解釈に変化が出ています。筆者は、神話上神様とされているオオクニヌシなどにも実在した人物像が反映されている、と考えています)。

オオクニヌシ蘇我氏応神帝等のページで独自論を展開しています

CDEについては「そのまま」の内容ですから、敢えて解説しません。ただ、管理人が山陰の小さな町で暮らしたのは3年にも満たない短い期間ですから、言葉使いの勘違いや聞き間違いの可能性は十分にあります。WEB上に在る沢山の「出雲弁」紹介のページも参照してください。

 サイト内の他のページへのリンクについて

本文や画像の説明文の中に、文字の色が異なりアンダーラインが付いた箇所があります。これは、その文言に関連のあるページへの「リンク」の存在を表しています。それは例えば次のようになっています。(一度、試みに左クリックしてみてください)

  中原中也が後に「」という作品に昇華させた。  継体大王の息子・安閑は淀川に牧場を開かせた。

前者の場合、このリンク先には中也の作品である「骨」の全文が掲載されており、後者の場合は安閑大王が大阪の淀川岸に作ったとされる「牧場」に関するページに繋がります。ほぼ、全てのページに、これと同じ様なリンクが貼り付けてありますので、訪れたページに関連する事柄で、興味を持たれた時は、是非、リンク先のページも訪ねてみてください。また、トップページの最下段には「ダダさんのためになるリンク集」が置いてありますので有効に利用していただけると幸いです。

 サイト内の「検索」機能について

トップページの最下部には検索エンジン(検索窓)が設置してありますが、これは「中原中也とダダイズム」専用のものです。サイト内にあるページで関心のある事柄について記述しているページを探す場合に使用してください。例えば「石川五右衛門」という言葉を検索窓に打ち込んで検索すると、幾つかの「ページ名」と数行の説明文が表示されます。その中味は一般の検索サイトと同様で「最も上位」にあるページほど、検索した言葉についての重要度が高くなっています。記事の新旧順にはなっていませんので悪しからず。

 サイトの創設と管理人について

このサイトを「ダダの一季節、神を見た中也」の題名でネットに初公開したのは平成13(2001)年4月28日で、不確かな記憶では中也の誕生日に何とか間に合わせようと、毎日のように評論文を書き写したものでした。

このサイトの管理人は、昭和23年生まれの男性です。世間では「団塊の世代」などと呼ばれている群衆の一人です。文学、と言うか詩歌への関心は十代半ば頃には既にあり、音楽への関心も人一倍高かったように思います。同年代の人々の多くはビートルズの歌に惹かれたのですが、歌うことが苦手だった管理人はインストゥルメンタル(instrumental)の旗手・ベンチャーズの方に急傾斜します。思えば、40数年も前から既に「マイナー」の基調が築かれていた訳です。

ホームページを始めて間もなくの頃、一通のメールが届けられました。その主旨は『貴方は、何を目的としてHPを始めたのですか?』という内容のものだったのですが『自分の書いた物を、一人でも多くの人たちに読んで貰いたいからです』と返信したことを昨日の事のように思い出します。…その思いは今も変わることがありません。…、さて、次は何を語りましょうか!自在に語れる時間には限りがありそうですが……。

 サイト内の宣伝広告について

平成26年から、サイトの各ページに広告バナーを設置しています。バナーをクリックすると様々な宣伝の頁に移行しますが、当サイトの各ページにある広告バナーをクリックすること自体による費用の発生はありません。多少、目障りな憾もありますがサイト運営のためなので大目に見て、宜しくご協力ください。

      

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