少彦名神と淡路島と古代の製鉄器遺跡                               「サイトの歩き方」も参照してください。

スサノオの娘である須勢理姫と結ばれたオオクニヌシは舅に言われた事を忠実に守りながら国造りを進めますが、その折、一人の神様の協力を仰ぎました。古事記は二柱の出会いについて次のように述べています。

  故、大国主神、出雲の御大の御崎に坐す時、波の穂より天の羅摩船(かかみぶね)に乗りて、鵝(ヒムシ)の皮を内剥ぎに剥ぎて衣服にして、
  帰り来る神有りき。ここに其の名を問はせども答えず。

羅摩船(カガイモ)に乗り波の彼方からやってきたと云う少彦名神は、とても小さな体つきをされていたようですが、日本書紀は二柱の神々は「力を合わせて、心を一つにして、天下を経営したと記し、

  また顕見蒼生および畜産のためは、その病を療(をさ)むる方を定め。
  また鳥獣、昆虫の災異を攘わんがためは、その禁厭(まじないや)むる法を定めた。
  ここを以て、百姓、今に至るまでに、こどとくに恩頼をこうぶれり。

と述べて畜産や農作物の栽培に関わる病虫害対策など、国民の生活にとって大変有益な活躍をした神様であると褒め称えています。そんな有り難い、又と得られない有能な少彦名神が国造りの途中、突然『熊野の御碕』から「常世郷(とこよのくに)」に旅だってしまいます。また「淡嶋(あわしま)に到りて、粟殻に登りしかば、弾かれ渡りまして常世郷に到りましき」との別伝も残されました。親神(神産巣日)の言いつけを守らず、兄弟であるオオクニヌシとの国造りという大業を完成させることよりも優先度の高い「重要」な事態が少彦名神の身に起きていたのでしょうか?その手掛かりの一つが彼の残した『或は成せる所もあり。或は成らざる所も有り』と云う国造りに対する率直な感想に秘められているのかも知れません。それはさておき、これだけオオクニヌシから頼りにされ、国土経営の基盤整備に尽力した少彦名神なのですが、実は、出雲大社にはお祀りされてはいないのです。不思議と言えば、これほど妙な事もありませんが、杵築大社の境内のどこを探しても「相棒」を祀った社は見つかりません。では、弟神はどこに祀られているのでしょう。

出雲大社  吉野川  天神社

現在の島根県内には三十余りの社で少彦名神が主祭神として確認されているそうですが、実は、出雲大社のすぐ近く、というより隣接した場所にも同神をお祀りした社が存在しています。それが吉野川を挟んだ東側にある北嶋国造の屋敷にある天神社なのです(上の画像参照。北嶋家はかつて出雲国造の後継者を巡るお家騒動の解決策として誕生した、もう一つの国造家です。因みに出雲大社側は千家氏が国造の名称を引き継いでいます)。案内板によれば、この小さな社は寛文年間(1661〜1672)から、この場所に鎮座しているらしいのですが、その理由については北嶋家にも「分からない」ようです。

天孫族の有力な一員である少彦名神にとって兄弟のオオクニヌシとの共同作業よりも優先順位の高い事柄があるとすれば、それはアマテラスを頂点とした宗家に関わるものではなかったでしょうか?記紀神話や考古学的な遺跡資料を自分なりに検討してみた結果、筆者は神武帝の「東征」(九州から畿内への移動)を、紀元二世紀の第四四半期頃だったと推測するようになりました。また一方、古代豪族各氏の残した系譜を記紀神話の内容に照らし合わせ、記紀の言う「天若日子」という神様が「天津彦根命」と同神ではないかと考えるようにもなりました。そこから得られた天孫族の初期構成図が「天津彦根命の系譜」に掲載している略系図なのですが、同神の二人の子神こそ上で取り上げてきたオオクニヌシ(天目一箇命・天御影命の別名がある)と少彦名神(天日鷲翔矢命・三嶋溝杭耳神・陶津耳命・健角身命の別名がある)に他なりません。今回、筆者が特に注目したのは少彦名命が常世郷に旅立つ前に訪れた「淡嶋」という言葉(土地名)です。何故なら記紀の「国生み」神話で、第一番目に「生まれた」のが「淡路嶋」であり、その名前に含まれている「淡路」の「淡(アワ)」は四国の一部を占める「阿波の国」の「アワ(粟)」と同じ意味を持ち、何より同国は天孫族である阿波忌部氏の支配地でもあったのです。蛇足になりますが、同氏もまた天日鷲翔矢命の後裔子孫であることは言うまでもありません。

 かく言い終えて御合して、生める子は淡道之穂之狭別島。次に伊予之二名島を生みき。この島は、身一つにして面四つ有り。面ごとに名有り。故、伊予国は愛比売と謂い、
 讃岐国は飯依比古と謂い、粟国は大宜都比売と謂い、土佐国は建依別と謂う。次に、隠伎三子島を生みき。またの名は天忍許呂別。次に筑紫島を生みき。この島もまた
 身一つにして面四つ有り。面ごとに名有り。故、筑紫国は白日別と謂い、豊国は豊日別と謂い、肥国は建日向日豊久士泥別と謂い、熊曾国は建日別と謂う。次に伊伎島を
 生みき。またの名は天比登都柱と謂う。次に津島を生みき。又の名は天之狭手依比売と謂う。次に佐渡島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。またの名は天御虚空秋
 津根別と謂う。故、この八島を先に生めるによりて、大八島国と謂う。                          「古事記」大八島国生成の段

その淡路島で最近、注目に値する遺跡が発掘されました。同島北西部の淡路市黒谷にある「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」と呼ばれる弥生時代後期(紀元50〜220年頃)、およそ百数十年間に亘って使われたと見られる古代の鉄器製造施設群がそれで、建物跡は全部で23棟もあり、その内の12棟が「炉」を備え、1棟の内部に10基もの炉を備えた大型のものも見つかっています(平成24年9月、国史跡に指定)。地名「黒谷」の「黒(くろ)」が鉄を意味していることは明らかで、本州と四国を結ぶ最も便利な地点にあった製鉄器場を管理していたのが天孫族の知恵袋とも言うべき少彦名神(一族)ではなかったか?と云うのが筆者の推論の中核です。ヤタガラスの異名も持つ同神は、一旦、河内湖から大和入りを目指して敗退した神武軍の先導役となって大いに活躍したと記紀は伝えていますが、九州の地から長征を試みた宗家を得意の製鉄技術で支えたのが「先に」大和圏内に幾つもの基盤を構築していた彼等だったと思われるのです。この遺跡は調査によって「三世紀」に入ると活動を止めた事が確認されており、鉄器生産を倭国内が「戦乱」に陥っていた頃に限って行っていた点が注目されます(或いは、三世紀以降に新たな拠点を別の土地に設けた可能性も十分考えられます。その有力候補地の筆頭が、垂仁天皇の皇子、五十瓊敷入彦命が「裸伴一千口」を製造したと言われる泉南・茅渟の菟砥だと筆者は想像しています)。当サイトがこれまでに提示してきた「瓊・玉・渟理論」の推測通り、五十瓊敷入彦命が実際には崇神天皇の皇子であって、垂仁天皇とは兄弟に当る景行天皇本人だったとする仮説が正しいとするなら、彼は大王の位に就く前から鉄資源と鉄器生産に深く関わっていたと考えることが可能で、晩年に至って近江の穴穂宮への遷都もまた「鉄」を求めての移動であったと思われるのです。

五斗長垣内遺跡  矢を持つ武人  武装した神武帝   PR

地図を見れば一目瞭然ですが、紀伊半島の直ぐ西側に瀬戸内海を斜交して浮かぶ淡路島は、直線距離にして4キロメートル弱しか離れていない本州の明石から指呼の位置にあり、紀淡海峡を10キロメートル余り東へ漕ぎ出せば、そこには五十瓊敷入彦命の陵墓伝承のある宇土墓古墳などで知られる淡輪があり、西に眼を転じれば播磨や吉備とも交流が容易な利点に恵まれ、四国の阿波(粟)も西南に隣接しています。恐らく、この地に鉄器工房を集めた人たちの脳裏には明確な目的意識があったように思えてなりません。我が国の鉄器製造は大陸や半島に最も近い北部九州から発展したと見られており、紀元一世紀には既に「漢委奴国王」を名乗る者が存在していました。それとほぼ並行して稼働していた工房の管理者たちは、半島と北九州を結ぶ既存の鉄資源ルートを巧みに避け、自分たち専用の「半島−−出雲(伯耆)−−吉備(針間)−−淡路(阿波)」といった日本海・瀬戸内ルートを開拓して実力を蓄えたのだと考えられます。(註:五十瓊敷入彦命の父親ではないかと推測される御間城入彦五十瓊殖命=崇神天皇は紀伊国の荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙姫を妃として迎え、物部氏の主流・伊香色雄命の息子である大新河命も、その姉妹の一人と思われる中日女を妻としています)

神武天皇が大和に入った時、天孫を称するニギハヤヒという人物が既に地域の盟主となっていました。系譜上彼は天津彦根命(又の名・天若日子、天太玉命、神櫛玉命)の孫に当り少彦名神から見て「子」の世代に相当します。神武は同じか更にもう一世代若いと思われるので、神話に登場して神武の鴻業を補佐したとするヤタガラスは少彦名神本人だった可能性もありますが、実際に実働部隊を指揮したのは玉依彦命(子)や生玉兄彦命(孫)たち一族だったのかも知れません。古代の戦闘において最も効率的で携帯が容易であった武器が弓矢だったと思われます。神話の世界でも天若日子は天界からの「返し矢」で落命し、神武の兄・五瀬命は日下の戦いで「流矢」に中ったことが基で亡くなっています。また時代はかなり下りますが飛鳥で物部氏と蘇我氏・聖徳太子たちが仏教の受容を巡って争っていた時でも、戦の優劣を決定したのが物部守屋を倒した一本の矢だったのですから、古墳時代以前の倭国において弓矢(に付ける鉄鏃)が果たす役割は絶大なものがあったと想像できます。今回の主役である少彦名神の又の名「天日鷲翔矢命」は正に彼の本質を表したものと言えそうです。

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