東南アジアと小林旭 ブンガワン・ソロ                    サイトの歩き方」も参照してください。  

表題を見て、何か、もやもやとした記憶が少しでも頭の何処かしらに湧き出でくるとすれば、その方は、随分とお歳を召されているに違いない。畳敷きの映画館で寝転びながら見たものか、それともTVで繰り返し流していたフィルムをずっと後になってから見たものか、その辺が実にあやふやなのだが、ある娯楽作品の中で、例によってと言うか大方の予想通り、主役の小林旭(こばやし・あきら,1938〜)がギターを抱えて画面一杯に現れ、あの、とてつもなく高い声で半ば投げやり風に歌った曲が『ブンガワンソロ』だった。WEBで調べてみると、それは「渡り鳥シリーズ」第六作にあたる『波濤を越える渡り鳥』の主題歌で、映画が封切られたのが昭和36年の正月。フィルムが片田舎の小屋に二年遅れ程度で配給されたと仮定するなら中学時代に見た、かも知れないという怪しげな記憶は間違っていないことになる。(昭和三十年代の半ば、地方の小さな町で封切り直後の映画を見ることは極まれなことでした)

独特の高音が「アキラ節」の特徴です。

この作品にはシリーズの常連とでも言うべき宍戸錠(ししど・じょう、宍戸開さんの父親)、浅丘ルリ子金子信雄(かねこ・のぶお,1923〜1995)、藤村有弘(ふじむら・ありひろ,1934〜1982)といった芸達者の面々が出演し、香港そして東南アジアを舞台に、主役の「滝伸次」が荒唐無稽の大活劇?を演じてくれるのだが、主題歌のメロディを耳にしたとき、何故か、懐かしい旋律のように思われた。よく知られているように、元々オランダ植民地時代のインドネシア・ジャワ島で生まれた「ブンガワン・ソロ」はジャワ語で「ソロ河」という程の意味であり、地元の人々が古里を悠々と流れ下る母なるソロ川を称えた美しい歌である。戦前(第二次大戦の終戦前、つまり昭和二十年夏以前という意味です)、現地を慰問に訪れた藤山一郎がメロディを採譜し、日本へ持ち帰り、自らも歌い広めたそうなので、旭の歌声を聞く前既に、ラジオから流れていたのかも知れない。

昭和31年、既にお上は『もはや、戦後ではない』(同年の「経済白書」より)とのたまっていたが、一般人の海外渡行が解禁されたのは東京オリンピックが開かれた昭和39年だったから、かなり早い海外ロケだったと言える。元来が「無国籍」な主人公のことだから、何時、どこに現れても大して不思議ではないのだが、渡り鳥の滝伸次が態々アジアの一角に姿を見せたのは、やはり、二次大戦という稀有な出来事が、既に、一つの歴史となって行く事情があったように思えてならない。また「波濤を」「越える」なら、当然「太平洋」であって然るべきなのに、この時期、未だ、主人公を米国まで遠征させるだけの条件は整っていなかったのだろう。

大陸「風」の帝国軍人を好演した佐藤允

二枚目「スター」の小林旭とは好対照、どちらかと言えば無骨な個性派の佐藤允(さとう・まこと)。1934年、佐賀に生まれた佐藤は旭とは違い、日活ではなく東宝の俳優で既に1957年『36人の乗客』でデビューを果たしている。そして、全くの偶然なのだが、旭の出世作「渡り鳥」シリーズ第一弾が封切られた昭和34年十月、彼のイメージを決定付ける作品がほぼ同時に発表されている。岡本喜八が脚本を書き監督した『独立愚連隊』がそれである。活劇の舞台は北支(中国の北部)、従軍記者を装う元軍曹の主人公(佐藤)が素性を隠して部隊に入り込み「弟の真の死因を探る」という荒っぽい筋書きだが、佐藤の個性が画面いっぱいに表出されていた様に記憶している。そして丁度一年後、続作『独立愚連隊西へ』が作成され、佐藤は「戸川軍曹」役を全身で演じきった。すべて国内ロケだったと聞いているが、画面からは大陸風の乾ききった風が流れてくるように感じた事を覚えている。

それから、この「独立愚連隊」には、もう一人の主役とも言うべき演技派が居た。俳優座養成所で佐藤と同期だった中谷一郎(なかや・いちろう,1930〜2004)である。実は主人公・荒木の前に現れた「独立90小隊」の小隊長、石井軍曹が中谷の役どころで、員数外のはみ出し野郎は十分に存在感に溢れていた。読者の皆さんには、水戸黄門さまの影の守り役・風車の弥七、と言ったほうが分りやすいかも知れませんね。俳優座養成所出身で佐藤、中谷と同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶などが居ます。

在り得ない「帝国軍人」を演じた佐藤允    中谷の笑顔に注目

明治三十一年、四国に創設された旧陸軍善通寺第十一師団の初代師団長は日露の戦役で著名な乃木希典(のぎ・まれすけ,1849〜1912)将軍だったとのことだが、父は応召後、同師団に入営、訓練を経て大陸に出征した。歩兵中隊?の軽機関銃手として戦闘中に負傷、後方に治療のため転送されたことで「軍神」として祀られることはなかったが、子供の前で「戦争」の話しをすることも無かった。管理人を含め、団塊の世代と呼ばれる日本人の多くが、つい、十年ばかり前まで、国が、国民が総力を傾けて行った国家権力の発動の中味を正しく伝えられることもなく成人した。「戦争」は本や写真や映画の中にだけ存在した。中途半端な文章に終始しましたが、今回の雑文は、これでお仕舞い。

        
     
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