千鳥足、今日は何処までいったやら                           サイトの歩き方」も参照してください。

水屋の棚、台所の隅などに置かれていた梅酒、赤玉ワインをくすねて呑んだ話は別なところで済ませてあるので、その後のお酒(アルコール)との付き合い方の中で、特に印象的な事件について話してみましょう。とは言え、すでに『三升未遂事件』は報道済みですから、さて、何からお話すればよいのやら…。

「前後不覚」という四文字熟語をご存知の方は多いと思いますが、実際に、それほどの状態になるまでお酒を呑んだという方は、まず余りいないでしょうね。

学生時代、田舎家の門座敷に下宿、講義をさぼっては真っ暗な土蔵部屋で酒盛りを繰返していた頃、一座の誰かが、まだ飲み足りない、外に繰り出すべきだといい始め、懐具合を確かめもせず電車に乗り込み、いざ出陣となったのです。当時、一時間もかければ都会のネオン街に辿り着くことが出来、安酒場も何軒かは皆、常連になっていたものです。

なにせ、夕方前からレッドやウオッカ、それにジンといった高濃度廉価品を既に満タン近く注入した後のことなので、宴会の結末は、ある程度予測されていたのですが、カウンター越しに営業用の笑みをいつも以上にばら撒く馴染みの女性店員の『電車が無くなっても、うちの寮に泊まればいいから』の一言に眠りかけていた脳細胞の極一部が過剰反応、呑まなくても良いカクテルなどを、立て続けにあおった結果、沈没。其の後、店の男性従業員と、危うく問題を引き起こしかねない処まで行きかけたのですが、なんとか窮地を脱出、始発の電車に乗り込もうとポケットに手を突っ込むと、残金僅かに百数十円。とても下宿まで辿り着くことあたわず、ということで二駅分の距離を踏破、2年先輩の家まで押しかけ朝食を頂き、ようやく昼前に生還したものでした。

その時とは別の話ですが、大学の近くを流れる一級河川(二級だったかも知れない)、何かと理由を見つけて呑むのが当時のスタイルで、ある日の夕方「何々コンパ」と称して、一同河川敷に。呑んだ勢いとは恐ろしいもので、まだ水泳の季節には程遠い4月だというのに、一座の一人が上半身裸になりザンブと川瀬に。ヤンヤの喝采を浴びたところまでは余興としてAプラスの採点を頂けたのですが、終電間際の車両に泥水まみれの格好で乗車、其の上、連結器の所で大小水を散布、翌日、学長の元へ電鉄会社の総務から苦情の電話が入ったことは言うまでもありません。

洋酒ブームもありました。   忘却とは忘れ去ることなり…  PR

もう一つのお話しは、今でも七不思議のひとつに挙げられる事件で、これは会社員となって間もない頃の逸話です。親しくしていた者数名と、ある程度呑んだ後、もう一軒行こう、ということになったのですが、皆、懐具合は淋しい限り、そこで所持金のすべてを一人の幹事に渡し、その金額の範囲内で呑むことにしたのです。が、呑み始めたら、そんな事、皆、忘れて当たり前。忘れて呑んで、いざ支払いという段になり、幹事は、ハタと正気に戻りました。幸いにも小さな紙切れに書かれた当夜の呑み代は「預かり金」ギリギリに納まっており、いくばくかのお釣も戻ってきたのです。やれやれ、おやすみなさい。

翌朝遅く眼を覚まし、出勤しようと背広に着替え、何気なくズボンのポケットに手を入れてみると紙幣が何枚も入っている。勘定してみると5万円余りの金額、どう考えても計算が合わない。昨夜、飲み屋で皆から集めた金が5万円ほど、自分の金が1万円、そして呑み代が5万円ほどだったはず。キツネにつままれたようで気分が悪い。友人たちにも拠出金をそれぞれ確かめた上で、夕方、店のマスターに恐る恐る電話すると『お支払いは済んでおります』との返事。ますます訳がわからなくなったのですが、この真相も未だに解明されておりません。ちなみに、お金が自然に湧いて出たのは、この時が最初で最後でした。


     
     
        
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