高橋竹山との出会い−音楽と記憶                サイトの歩き方」も参照してください。

音楽に取り立てて興味のない方、また音楽に興味があっても邦楽に関心の無い方にとっては耳慣れない名前の人物だと思うのですが、津軽三味線の世界では「名人」ということになっています。

音との出会いは唐突に訪れるものらしく、まだ学生だった頃、下宿の暗い部屋で独りラジオの深夜番組を聞き流していたとき、その音色は突然新しい世界を齎しました。それまで歌謡曲(演歌)や民謡、芝居などの伴奏楽器として位しか知らなかった三味線なのですが、彼の弾く音()は理屈抜きに、全く新しい音楽として強く意識されたのです。

  心に響く音色。それは正に衝撃的な出来事でした。

なけなしの金をはたいて手に入れたLP(大盤のレコードのこと)は、確か、東京のアングラ劇場で行ったライブの実況録音盤だったと思うのですが、彼の訥々とした語り口、弾き語りがとても新鮮で、好ましいものに思えたものです。昭和40年代の初め頃の出来事です。ところで、今、何故「竹山」なのかというと、WEBでお知り合いになった青龍堂さんからアンケートの案内をいただき、その題目が『記憶の中のメロディ』というもの。たまたま寒い、風の強い日だったもので、吹雪の中を物乞いして歩く彼の背中が、ふっと眼に浮び、アンケートの主旨には添わないものの、つい竹山の事を書いてしまったのです。昔、開高健という作家が『記憶と香り』について書いていたようにおもうのですが、人の記憶というものは、その時々の場面を香りや音そして体調、気分なども含めた重層的なものらしい。そこで、半世紀を遡り、編年体もと゜きに音の記憶を辿ってみよう、というのが、このページの眼目です。

小学校に入る前、2年間通った幼稚園時代、毎日毎日聞いたと思われる音楽、というか先生のオルガン、ピアノの音について、全く記憶がない。色あせたアルバムに映っている、か細い自分の姿をつくずく眺めてみても、そこからは何の音も聞えてはこない。関心が欠けていたとでも言えばよいのか、音として伝わってくるものが無いのです。人のざわめきのような雑音は、かすかに聞える気もするのですが。

小学校の校歌は6年間、行事のたびに歌わされたので覚えているが、自分自身が音楽に積極的に関った最初のきっかけは「週番」のお陰ではなかったか。というのも、週番時代は始業1時間前くらいには登校し、下校前にも校内を巡回するのが日課となっていた。(昔の週番制度については小説・田舎中学三文オペラを参考にしてください)図書室、音楽室の鍵を開け閉めするのも週番の役割で、ある日の夕方、戸締りに訪れた音楽室の中で見つけたレコードを載せたままのプレイヤー。操作は音楽部の連中がやっていたのを何度か見ていたので、電源を入れ、ピックアップをそおっと載せてみたまでは良かったのだが、突然、校内に響き渡る「軍艦マーチ」、肝がつぶれました。行進曲というカテゴリーを明確に意識していたわけではないのですが、秋の運動会では、ほぼ終日なにかのマーチが流れていましたから、違和感はありませんでした。6年生の夏休み、工作の課題として戦艦大和の大模型(60センチ位)を作ったのも、何か、憧れのような感情が、心のどこかにあったのかも知れません。

小学校時代、家にはテレビが無かったので音源はラジオだけ。それも夕方の数時間だった。だから学校の音楽の時間に聞いた、あるいは歌った記憶のほうが圧倒的に多いはずなのだが、それも数えるほどしかないのは不思議な気持がする。思いつくままに挙げてゆくと(所謂童謡・小学唱歌は除いて)、

    野ばら、ペルシャの市場にて、青葉しげれる

の三曲が先ず頭に浮ぶ。「野ばら」は、確か5年生の3学期、期末テストの課題曲だったので、よく覚えている。果たして成績が何点だったのかまでは記憶にないが、音楽室のピアノの横に立って、一人ずつ歌わされるので、結構緊張した。及第点は取れていたと思うのだが「童は見たり」の「わらべ」が、とても歌いにくかった。言葉として知っている「童」と、音になった「わーらーべー」が、どうにもしっくり来なかったのだ。「わー」の音が掻き消えて「らーべー」だけが一人歩きしているような、そんなちぐはぐな感覚を覚えている。

  学芸会は音楽の源?  

後の二つは、いずれも学芸会に関連したもので、時間的には「青葉しげれる」が古い。この曲そのものを知っているのは恐らく戦前(第二次世界大戦終結前)うまれの人たちと、一部の戦後うまれの人に限定されると思うのですが、多分、このページの読者はご存知ないでしょう。4年生の秋、学芸会で6年生の演じた無言劇『楠公父子の別れ』のBGMがこの曲だったのです。物悲しい旋律が、主人公を演じた上級生への憧れと重なり、奇妙な現実感をもって迫ってきた記憶があります。でも「楠公(なんこう)」って誰?…知りませんよね、そんな人。楠公は知らなくても徳川光圀なら知ってるでしょう。−−それも知らない。では、最初から説明しましょう。

「楠公」という人物は、昔々、南北朝時代に活躍した近畿地方、正確には大阪南河内地方の武士で、足利尊氏の好敵手だった楠正成のことです。もともと「武士」というよりは、土地に根ざした土豪といったほうが分かりやすく、戦を生業とする専門職ではなく、自分たちの土地を自分たちで守るための自警団の首領だったのではないかと考えられます。もっとも彼が生きた時代は、まさに戦国時代そのものですから、土地を耕すよりも戦争をしていた時間のほうが多かったかも知れません。その人物が神戸・湊川で歴史上有名な戦闘を行ったのですが、決戦を目前にしたある日、自分の死に時を覚悟した正成は、息子(正行)に後を託すため別離の宴を張ります。その場面を歌った曲が「青葉しげれる」という唱なのです。

軍艦大和  楠公の銅像  湊川神社  標識

無言劇なので出演者の台詞はまったくなく、BGM代わりの曲だけが講堂に流れ、主人公たちは操り人形のように歌詞どおりの仕草を黙々と演じているだけなのですが、その楠親子役の男子に青白いスポット・ライトが当たり、黒い緞帳に浮かび上がる様は、舞台という固有の時間が流れている別世界の存在を強く意識させたものでした。わずか、数分の出来事が、長々しい時間のように思われ、今見た劇の時間が、いつまでも続いているような錯覚さえ覚えたように記憶しています。とりわけ神戸という土地柄、楠正成にかかわりの有る町名も近くにあり子供心に『楠公さん』は、親しい存在のように感じていたからかも知れません。その町の名前というは「楠町」「菊水町」「湊川町」「多聞通」といったもので、勿論、楠や湊川を冠した学校もあったのです。上に掲載した彼の銅像は東京にあるものですが、まったく同じものが湊川公園の中にもあり、その像と無言劇を演じている児童の姿が微妙に重なり合い、溶け合い、独特の存在感を与えていたのかも。閑話休題。

「ペルシャの市場にて」は著名なので、ご存知の方も多いでしょう。だから説明は要らないと思うので省略。この曲との出会いも学芸会の場、その他大勢の一人として劇に参加していただけなので、その筋書きなどは全く覚えていないのですが、主役の登場する場面など、盛り上げる必要の有る時、この曲が流れた記憶があります。マーチと共通した軽やかなリズムも気に入ったのですが、それよりも、余りそれまで耳にしたことのない音階、異国風−それも西洋ではない異国のイメージを持った旋律が、大変力強く感じられたものです。また、その一方で、どことなく儚げな蜃気楼をみているような感じにもとらわれ、見た事も無い『異国』の風景をなんとか自分自身の心の中に定着させたい衝動にかられた瞬間だったように思います。

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