五右衛門風呂の御話                                    サイトの歩き方」も参照してください

絶景かな絶景かな   ヤジキタ  東海道中膝栗毛

母方の祖母は、長生きをした部類に入るのだろうが古希を迎えようとするあたりから、ややマダラ何とかの症状が表れ、家人も彼女の行動を少しは注意して見守るようになった。祖母の実家は10キロほど離れた隣町にあるのだが、夏の或る日、盆礼に出かけたまでは良かったのだが、何を、どう勘違いでもしたのか、バス停で降りたとたんに、また、今しがた辞したばかりの実家に向けて歩き始めたらしい。バス道をてくてく歩いている彼女の姿を、運良く近隣のおばさんが見つけ、声を掛けて家まで届けてくれなかったら、きっと炎天下の街道のどこかで干乾しになっていただろう。自分の名前を呼ばれ、何をしているのか、何処へ行くのかと尋ねられた祖母は『今からD(彼女の実家がある地名)まで盆礼へ』と、はっきりした口調で返答したらしく、一瞬、親切なおばさんも信用しかけたのだとか。

この類の「事件」が頻発、家人の監視体制はますます強化されることとなり、彼女の一挙手一投足はことごとく規制の対象となりつつあった。そんな中、彼女に許された家事手伝いの範囲も日を追って狭められ、遂には何一つ触らせてもらえなくなった。その頃は未だカマドも現役であり、冬場など一日中「火」を絶やさないこともあって、特に彼女の得意分野である台所仕事は、その危険性に鑑みて真っ先に取り上げられる始末、同様に槇(まき)をくべる五右衛門風呂も祖母の管轄から外されたのである。

風呂を沸かすのではなく「五右衛門を焚く

   五右衛門の釜煎り(後にあるのが羽釜です)   大きな釜です

元気なうちは六人いる孫の子守りと炊事、洗濯、家畜の世話と、祖母がするべき家内の仕事は山ほどもあった。きつい野良仕事を終え、日が暮れてから戻る娘夫婦と孫たちのために五右衛門風呂を沸かしておくのも彼女の大切な役目の一つで、お湯はたっぷりがご馳走である。祖母は『風呂を沸かす』ことを『五右衛門を焚く』と言い、決して風呂とは言わなかった。その五右衛門を飽く迄も「焚く」のである。

ご存知ない方のために「五右衛門」の構造と焚き付け方を紹介しておきます。まず、その造りですが、大きな釜の底を直接火で熱する昔の羽釜(炊飯器)のような物だと考えてもらえば結構です。もともとの形は釜が剥き出し、つまり石組みの上に釜を据えただけの超自然派スタイルだったのでしょうが、流石に昭和の時代になると釜を蓋うカマド状の外部構造が加わり、釜を外側から蓋う形になっていました。だから、釜の熱でヤケドをすることはありません。今でも露天に据えたドラム缶で風呂の代用とする向きがあるようですが、その原理は全く同じです。つまり直火焚きですね。また、十返舎一九(じゅっぺんしゃ・いっく,1765〜1831)が代表作の中で話のネタにしている五右衛門風呂は、どうも風呂の底だけが金属の板で出来ている構造のもののようですが、いずれにしても直火焚きであることに変わりはありません。

「五右衛門」は、決して温めるべからず!

焚きつけも極簡単です。新聞紙か包装紙あるいは古雑誌の何枚かをくしゃくしゃにして丸めたものを、釜底中央あたりに置き、その上・周辺にぐるりと柴・小枝を並べ火を付けます。火がある程度の大きさまで成長した頃合をみはからって大き目の槇を何本かくべてやれば釜焚きOKです。ただし、これは春夏など空気と焚き木が乾燥している時期の話、山陰の冬は足早に訪れ、どっしり腰をすえます。つまり湿気ている薪を燃やすのは並大抵のことではありません、火吹き竹で空気をたらふく送り込んでやっても、肝心の釜とカマドそのものが外気の水分を体の中に沁み込ませ、其の上、薪自体が湿気の塊りみたいなものですから、マッチを何本擦っても無駄骨に終わることさえあります。たとえ火がついたとしても焚き口から押し寄せるもうもうたる煙の威力は絶大で、泣き泣き戦場を離脱しなければならない日もあるのです。

やっとの思いで沸かした五右衛門ですから、安易に温(ぬる)めてはなりません。管理人は覚えていないのですが、まだ幼い日のこと、年の近い従兄弟と二人風呂に入ろうとしたのですが、冬場のことで身体も冷え切っており、とても熱くて入られない。焚き口に居る母親に少し水で温めてもいいかと尋ねると、答は「ノー」。じっとしていると寒いし、湯は熱くて入られない、二人で思案に暮れていると、年かさの従兄弟は風呂場の小窓をそっと開け、庭木の枝に積もった雪を掻き集め、なんとか入れる温度に調節してくれたそうです。『東海道中膝栗毛』の主人公のように「下駄」を履いて五右衛門に入ることはありませんでしたが、踏み板が湯垢でぬるぬるとしており、慣れていないと中々上手く押さえ込めずに苦労した記憶があります。この踏み板・底板ですが、新しいうちは水分を余り含んでいませんから、浮力がかなりあり、中央を手際よく踏まないと、なかなか沈んでくれないのです。

   お馴染み弥次さん・喜多さん  百日鬘の石川五右衛門  

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年老いて尚、祖母は人が訪ねて来ると喜び、誰彼となく茶・菓子を勧め、時分どきには食事さえ勧めました。体力も弱り、何時の頃からか外出もめっきりしなくなりましたが、夕方など、なにをするでもなく縁側に坐りながら、外の景色を見るともなく見つめているとき、ふと、思いついたように『そろそろ五右衛門を焚かないと』『誰それ(一番年下の孫)が未だ戻っていないようだから、裏の小川の土手まで探しにいってみようか』『今日、鶏のエサはちゃんとやっただろうか?』などと口走り、家人を驚かせたり、悲しがらせたりしました。

ある夏休みの午後、昼ごはんを終えた祖母、従兄弟二人と管理人の四人が居間でくつろいでいた時、ふと怪訝な表情になった彼女が、居住まいを正して、おずおずと三人の孫たちに尋ねるのです。

    『大変失礼なことを伺いますが、貴方はどちら様でしたでしょうか?』

皆、一瞬ギクリとしたものの、真面目顔で見つめ続けている彼女に返事をかえさない訳にもゆかず、それぞれが姓名を名乗りました。すると、祖母の顔から自信のない頼りなさ気な気配がかき消え『貴方たち、年寄りだと思って馬鹿にしてはいけない』とでもいいたそうな眼付きになり、

    『年寄りをからかってはいけない。誰それさんは去年、男の子を産んだばかりで、誰それさんの子供は、まだ学校に行く年にさ えなっていない。それで、貴方は、どなたですか』

と娘三人と孫たちについての確かな知識を披露したものです。どうやら彼女はその時、十数年の時間という壁を一瞬にして乗り越え、管理人たちが産まれて間もない時代に旅立っていたようです。別のページで怪盗・石川五右衛門を取り上げ、風呂についてWEBをうろついているうちに祖母の在りし日と、あのモクモクト立ち上る煙の匂いを思い出しました。

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