氷川神社と小野神社と瀬織津姫                              「サイトの歩き方」も参照してください。

明治元年十月、天皇は江戸城に入り「東京城」と改称しますが、その直後、関東地区で初めてとなる神社への行幸が行われ武蔵国一の宮・氷川神社を訪れています。同社では皇祖アマテラスではなく素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三柱をお祀りする社で、第十三代成務天皇の時代に「出雲族の兄多毛比命」が勅命により无邪志(武蔵)国造となって神社での祭祀を掌ったと云う古事を氷川社では伝えています。十世紀前半に成立した延喜式神名帳によると祭神は「一座」となっていますから、恐らく天孫族の祖神スサノオを出雲国造の同族の一員が、新天地で彼らの祖先を祀ったものだと考えられ「氷川」という名称も、出雲の地を流れる斐伊川から採ったものでは無いかと推測されます。国立国会図書館が収蔵している『諸系譜』と呼ばれる資料の中に「東国諸国造」の系図を記した文書が含まれていますが、そこには、

  意美豆努命−−天穂日命−−天夷鳥命−−伊佐我命−−津狭命−−櫛甕前命−−櫛月命−−櫛甕鳥海命−−櫛田命−−知里命−−毛呂須−−阿多命

と続く天穂日命の詳しい系譜が綴られています。そして天穂日命から十代目に当たる阿多命の世代で「美津呂岐命」の一流が本宗から分かれ、更に、その子供の世代で三つの氏族に分かれた様子が窺えます。一名を伊勢津彦命とも言う伊佐我命の本流は、阿多命の子・伊幣根命そして鵜濡渟(ウカズクヌ)と続いて出雲国造となり、支族の後裔である「兄多毛比命」が武刺国造に、その弟・弟武彦命が相武国造に任じられたと伝えられてきた訳です。『式社考』という文書にも氷川神社について「今、一の宮大明神と称す、祭神、武蔵国造、兄武日命祖神と云えり」とあるのですが、武蔵国の惣社である大国魂神社のHPによると氷川は三の宮であり、天下春命(国造の祖神)と瀬織津姫命を祀る小野神社を一の宮としているようです。この天下春命という神様の名前は余り聞きなれないものですが、先代旧事本紀によると「八意思兼神の子」と云う位置付けのようですから、思兼神を少彦名命の別名であるとする仮定に従がうなら、こちらも天孫族の後裔が祖先を祀った社であったと分かります(つまり、考昭天皇の子孫だと称する和邇氏の支流・小野氏とは関係がない)。であるなら「一の宮」が当初は朝廷の意向を受けて「アマテラスの岩屋戸隠れ」の折にも活躍し「神武天皇の大和入り」に際してはヤタガラスに変身して天皇を導いたとされる少彦名命を祭神とする小野社が最も格式の高い神社として崇められたが、武蔵が後世になり将軍徳川家のお膝元となった事情もあり「武神」としてのスサノオの評価が高まり、氷川社が一の宮を称するまでになったのかも知れません。また明治帝が小野ではなく氷川神社を優先させた理由も、スサノオという神様こそ帝室の祖神であるという判段に基づいたと考えられるでしょう。

斐伊川  諸系譜より  神名帳より

惣国風土記  武蔵野地名考  名所図会より

ところで明治初めに編纂された『神社覈録』(1870年成立)は小野神社の祭神について「詳らかならず」としているのに対し「惣国風土記」の逸文には「武蔵国多摩郡、小野神社の祭る所は瀬織津姫なり。垂仁天皇三年始めて祭礼が行われた。神戸・巫戸あり」と採録されており、元々、水の神である瀬織津姫を祀っていたのではないかと思われます。また田沢義章が享保二十一年(1736)に編んだ「武蔵野地名考」という書物にも「或る古記に曰く」として全く同じ文章が記録されているのですが、丁度、百年を経て出版された『江戸名所図会』にも六所明神社に合祀された小野神社の祭神が瀬織津姫(客神三神の一座、他の二柱が天下春命と稲倉魂大神)であると記されています。武蔵国の惣社である大国魂神社では、

  一の宮=小野神社  二の宮=小河神社(式外)  三の宮=氷川神社  四の宮=秩父神社  五の宮=金鑽神社  六の宮=杉山神社

と云う格付けを行っているようなのですが、この内唯一の式外社である「二の宮」を除いた五社の祭神は、

  小野神社=瀬織津姫  氷川神社=素戔嗚尊  秩父神社=八意思兼神(少彦名命)  金鑽神社=天照大神・素戔嗚・日本武尊  杉山神社=五十猛命(スサノオの子)

の陣容になります。しかし五の宮の金鑽神社は、その名称が「かなさな」であり江戸期に徳川幕府の昌平坂学問所により編集された『新編武蔵国風土記稿』(1830年完)にも「神体、スサノオ尊なり」とあるように、恐らくアマテラスではなく同じ天孫族でも金属の神様である天津彦根命の子・天御影命(天目一箇命)を地域の実力者が祀ったものではないかと考えられるのです。この様に見てくると、これら五つの社の祭神は、その全てがスサノオを始祖とする天孫族の諸神ではないかと考えられます。従がって、記紀には登場しない瀬織津姫という名前の女神もスサノオにとって大変親しい間柄(妻あるいは子)の神様に違いないと思われます。国学者の本居宣長は著名な『古事記伝』の中で、瀬織津姫をイザナギが生んだ八十禍津日神と同神であると指摘していますが、その意見を尊重するとスサノオの兄弟姉妹の一人という見方も出来そうです。

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