垂仁皇子ホムツワケと品遅部、佐那そして大森神社                  「サイトの歩き方」も参照してください。

垂仁天皇には大きな悩み事がありました。それは、前の皇后・狭穂姫との間に生れた長子の誉津別王(ホムツワケ)が、齢三十を迎えても『猶、泣つること児の如し。常に言はざること』つまり子供の様に「泣いて」ばかり居て、言葉を発することがなかったからでした。ところが冬十月の或る日、天皇と一緒に宮殿に居た皇子が、たまたま『大虚を飛び渡る鳴鵠(くぐい=白鳥)』を見上げて『是、何物ぞ(あぁ、あれは何だろう)』と口を開いたのです。大変喜んだ帝は、左右に控えていた臣下たちに向かい『誰か、あの鳥を捕えて献上する者はいないか』と下問した処、鳥取造の祖である天湯河板挙が手を上げ『私が必ず捕えて奉りましょう』と言上しました。書紀は続けて「天湯河板挙が出雲に詣りて」白鳥を見事に捕え、皇子に鵠を奉ると誉津別命は「遂に言語うことを得た」と述べ、垂仁天皇は敦く湯河板挙に「賞(たまいもの)」して姓を下賜し、同時に鳥取部、鳥飼部、誉津部を定めたと記録しています。一方、古事記も本牟智和気王(ホムチワケ)と鵠に関わる逸話を詳しく掲載しているのですが、細部では書紀の内容と幾つかの相違点が見られます。

先ず、白鳥を捕えたのは垂仁が「遣わした山辺の大鷹」という人物であり、鵠は「紀伊国--播磨国--丹波国--但馬国--近江国--美濃国--尾張国--信濃国--越国」と飛び続け、やっと「和那美の水門」で「網を張って」捕まえることに成功したのですが、皇子は鳥を見ても言葉を発することが無かったのです。そんな折、患い続ける垂仁天皇の夢枕に一柱の神が現れ『我が宮を天皇の御舎の如く修理めたまわば、御子必ず真事とわむ』と託宣しました。夢から覚めた天皇が「布斗摩邇邇」占ってみると皇子は「出雲の大神の御心」による「祟り」から言葉が発せられないことが分かりました。そこで早速、皇子を出雲詣でに旅立たせる次第になり、介添え人として曙立王、菟上王の二人が適任と認められ、皇子に同道します(記は続けて『到る坐す地ごとに品遅部を定めた』としている)。出雲国造の祖が仮宮を建て食事を奉ろうとした、その時皇子が『ここは若しかして、出雲の石くまの曽宮に坐す葦原色許男大神をもちいつく祝の大庭か』と自ら問い掛け、一同、驚くと共に大変喜び天皇の許に吉報を届ける駅使(はやうま)を走らせました。感激した垂仁が「神の宮」を造営したのは言うまでもありませんが、彼は「その子」のために鳥取部、鳥甘部、品遅部、大湯座そして若湯坐を定めたのだと古事記には書かれています。

二つの資料で最も異なっているのが「鵠=白鳥」を捕えた人物の姓名ですが、日本書紀が明らかに天津彦根命、少彦名命の後裔である鳥取連の伝承を反映しているのに対して、古事記は氏族を敢えて特定せず「山辺」の人と云う表現に留めています。(唯、この「山辺」氏を『新撰姓氏録』が云う「和気朝臣と同祖」の「山辺君」であるとすれば、垂仁天皇の子・鐸石別命の子孫を称した一族の人と見ることも出来ます)その一方で古事記は「出雲の大神」の崇りを喧伝している訳ですが、これは記の編集者が垂仁帝をオオクニヌシに国譲りを迫った「天孫」と同列に扱う意志が明確だった事を示しています。それは、夢に出現した神に『我が宮を天皇の御舎の如く修理めたまわば』と語らせている点に最も良く表れていますが、そこで垂仁は権威ある「出雲の大神」と対峙する偉大な大王として描かれており、彼が後に具現する「新たな王朝の始祖」となる事を暗示している様です。彼の先代であった崇神天皇が三輪のオオモノヌシの崇りを鎮めた様に、垂仁帝も又、神様と比肩し得るハツクニシラスに劣らない存在なのだと主張している様に見えます。(更に書紀では別に、垂仁紀二十五年三月条の註文でも崇神帝の祭祀に関わる瑕疵を指摘しています=下の表中参照)

 日本書紀垂仁二十五年三月条の註文『然るに先皇御間城天皇(崇神)、神祇を祭祀りたまうといえども、微細しくは未だその源根を探りたまわずして、粗に枝葉に 
 留めたまえり。故、その天皇、命短し』倭大神が穂積臣の遠祖、大水口宿禰に神憑りして述べたという。
 大水口宿禰はニギハヤヒ、伊香色雄命を祖先とする物部氏の流れを汲む人物で、穂積氏・采女臣たちの祖先とされています。

書紀が「一書」の形で異伝として述べたかった主旨の核心は『故、その天皇、命短し』と云う文言に在り、そこには「神の祀り方を間違うと長生き出来ない」更には「神の意向に逆らうと短命に終わる」のだという主題が繰り返されているのです。これは、後、新たに「胎中天皇」として記紀が称える応神の「父」仲哀帝の最期を伝えた部分で増幅強調される事となります、それはさておき。本題の品遅部(ホムチベ)に話を移します。下に掲げた系図は謎の多い人物として知られる彦坐王と垂仁天皇を中心としたものですが、一見、整然とした系譜に見えます。しかし王の「三人の妃」に焦点を当てて見ると可笑しな点があることに気付きます。皆さん、お分かりになりましたか?

  播磨風土記より

系図は見やすくするために作画してありますが、彦坐王の「三人の妃」と、その子供たちを並列してみると、次のようになります。
  ① 山代荏名津姫----大俣王(曙立王の父親)
  ② 息長水依姫-----丹波道主王----日葉酢姫(垂仁天皇の後の皇后)
  ③ 沙本之大闇戸売---沙本毘売(垂仁天皇の先の皇后、ホムツワケの母親)

つまり、垂仁天皇は「彦坐王の娘(沙本毘売)と、孫娘(日葉酢姫)の二人を妻に迎え」その内の先の皇后がホムツワケを産んだと記紀は主張している訳です。この時代に「異世代婚」が絶対に無かったとは言い切れませんが、現代とは違い平均寿命も相当短い水準だったと思われる当時、世代を超えての婚姻には大きな疑問符が付き纏います。この様に考えると、どちらかの系譜が後世に造作されたと見るべきで、山代氏の国忍富命の娘でありながら開化記が唐突に「天御影神の女」として彦坐王の妃の一人に上げる「息長水依姫」という女性の存在が疑われることになります。この推論は当然、垂仁帝と日葉酢姫の子供たちである景行天皇と五十瓊敷入彦にも大きく関わる事になり、垂仁と景行の「親子」関係そのものの再検討が必要になりそうです。

「播磨風土記」賀毛郡上鴨の里の項には品太天皇(応神)と、その侍従・當麻品遅部君前玉による「鳥追い」伝承が記録されていますが、これなども垂仁皇子ホムツワケや景行皇子ヤマトタケルの白鳥伝説と軌を一にした「鳥」を主題とした貴種譚の典型と言えそうです。そして、肝心の「品遅部」ですが、記の系譜によればホムツワケ皇子の出雲詣でを成功させた彦坐王の孫息子・曙立王こそが「伊勢品遅部君」の祖であり、かつ佐那造の祖でもあります。三重県多気郡に鎮座する佐那神社の祭神は天手力男命と曙立王の二柱で、社の近く字匹田という処からは銅鐸がかつて出土しており、一部の史家は銅鐸を古代人が「さなき・さなぎ」と呼んだ事との関連を示唆していますが、この神社の通称が大森社でした。そして場所は遠く離れた京都舞鶴市字森には天御影命を主祭神とする大森神社が鎮座しています。この神社の正式名称は弥加宣神社なのですが、筆者が何故この社に着目したかと言えば、同社を建立したのが曙立王の叔父の丹波道主王だと伝えられて来たからであり、先に見てきた垂仁帝の系譜詮索を更に深めれば、

  日葉酢姫自体の存在そのものを疑う事も出来るが、息長水依姫が山代荏名津姫と同人であるなら丹波道主王と大俣王も同一人物だと考えることが可能になる

訳で、出雲に皇子の介添えとして同行した曙立王も、実は丹波道主王の息子だったと推測出来ます。その曙立王(アケタツノミコ)の「あけたつ」自体が山代氏の祖先である「明立天御影命」の名前から採られた由緒あるものではないかと云う推論は別のページなどでも紹介してきましたが、垂仁が出雲への旅立ちを目前にした彼に「倭者師木登美豊朝倉曙立王」の特別な名を下賜したのも、王子自身が彦坐王を核とした帝室と天津彦根命系氏族そして息長氏さらには和邇氏を含めた、濃密な何重もの縁で繋がれた比類のない聖なる一族を体現していたからに他ならず、イリ王朝に代わって倭国のトップに立った応神天皇の基盤を支える「品遅部」を率いるのに最も相応しい存在であったのです。播磨風土記は地域と品太天皇の強い結び付きを様々な記述で語っていますが、隣国吉備の名称を冠した吉備品遅部雄鯽という武人が仁徳天皇の舎人として早くに登場している点から見ても、応神天皇が針間・吉備といった西国に強い影響力を持っていた事情が鮮明に浮かび上がります。また、応神の後裔でもある継体天皇と縁の深い越の国にも品遅部は置かれており、近畿だけに限らず広い範囲に部民を束ねる管理者が配置された事を窺わせます。

曙立王が天津彦根命、天御影命の血脈を受け継いだ帝室祭祀の分野で貴重な存在であっただろうと云う事は十分理解できるのですが、彼を祭神とする佐那神社が又、天御影命を祀る弥加宣神社が何故「大森の社」と呼ばれているのかは不明のままです。実は、これらの他にも「大森」を冠した神社があり、その内の一社を先日訪れてみたのですが、主祭神は八重事代主命でかつては「大杜社」と称していた事以外に、何の手掛かりも得られませんでした。今後、また新しい資料が見つかれば「大森」の謎に再挑戦してみたいと考えています。(蛇足:今回の主題とは全く関連がありませんが、世界遺産登録で知名度が格段にアップした西国の石見銀山も通称を「大森銀山」と云います。この場合は土地の字[あざな]から生まれた呼称だとは思うのですが、天津彦根命・天御影命そして息長氏などの金属鍛冶氏族とのつながりも捨てきれない感じです)

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