流行ではなく「風俗」を創る男、石津謙介                      サイトの歩き方」も参照してください。

TVのテロップで石津さんが亡くなったことを知った。93歳の大往生だったらしい。彼がヴァンヂャケットという会社を大阪で立ち上げたのは終戦から、わずか六年後のことだった。ヴァンが「VAN」のブランドでアイビー・スーツを売り出したのが昭和34年、東京オリンピックを迎える頃には「VAN」というだけでスーツは売れに売れ,小売店からは『金のなる木』の異名を頂戴した。(アイビールックがどんなものだったのかは、東宝映画の「若大将シリーズ」で、金持ちの馬鹿息子役を演じていた青大将こと田中邦衛のファッションを思い描いてみてください)

石津さん自身の回想によれば、ヴァンは昭和49年の決算で37億円もの利益を計上したとのことですが、仕事上、糸偏(繊維産業)に関わっていた管理人が、彼と知り合ったのも丁度、会社の絶頂期。とにかく人の気をそらさない話術の巧みな人で、言うまでも無くお洒落な人でした。フラノのスラックスにブーツ、素肌の上にニットのセーター、カシミヤのチェスターバリーコートを羽織り、少し長めのマフラーをなびかせながらミナミの繁華街をゆるりと歩く、その姿は正しく一枚の絵になっていました。また、ボタンダウンのシャツにエンブレム付きのブレザーコートの「正装」がびしっと決まっていたことは下の画像が証明しています。

ビシッと決めた石津さん。お洒落な人でした。 好物のジントニック。

親しく会食し、たらふく飲ませて頂いたのは数回だけだったが、初めて会った日の夜遅く、行き先を告げずに歩き出す石津さんの後について歩くことしばし、小さな店の入り口で立ち止まり『贔屓にしてるんだ』と訳有り気に笑う。他のメンバー十人余りと店に入ったのだが、とにかく照明が暗い。暗いというか、ほとんど店の奥が見えない。いつの間にか石津さんの姿が消え、隣に別の人物が座り、小声で挨拶をした。話題はとても豊富でしゃべり方も悪くない。とにかく小さな声で話す、その人が外見通りの「女性」ではなく、女装をした「男性」だと気づくまで、暫く時間がかかったものでした。一畳ほどの「舞台」では、特別なショーも演じられ酔漢たちの度肝を抜いたりもしたのですが、その辺りのことは差し障りもあることなので自主規制して割愛します。

石津さんが殊更我々に「持論」を聞かせたことはありませんでしたが、自信に満ちた表情が、そして何よりお洒落な着こなしが言葉以上のものを表現していたのです。とにかく笑顔が素敵な人でした、合掌。

何気なく見ていたTV番組、それは東京の下町の一角を紹介しているものだったのですが、とある小さなバーで「お薦め」ドリンクになっていたものがジントニック。其れは、今でも、ふと呑みたくなる事が在る、石津さんに教えてもらった管理人の「お気に入り」なのです。

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