カヤナルミは天津彦根命の妻である          「サイトの歩き方」も参照してください。

令和への代替わりの年に因んで『出雲国造神賀詞』に記されている神様の謎について考えてみましょう。国造(くにのみやつこ)は古代大和朝廷が各地の支配を出来るだけ円滑に進めることを主な目的として定めた官職ですが、最も早い例は神武天皇の大和入りと同時に任命された倭国造(椎根津彦)だとされており、崇神朝から景行・成務朝にかけて続々と各地方にも国造が置かれたようです。その多くは地元の実力者たちだったと思われますが、大化の改新(645年)に始まる律令制度の整備過程で有名無実の存在となり、実権を伴わない祭祀を司る象徴的な在り方(神社の社家など)へと変質を余儀なくされたと考えられ、九世紀半ば頃には殆どの国造が姿を消しています。そのような政治情勢の中にあって異彩を放っていたのが出雲国造で、六国史の一つ『続日本後記』によれば天長十年まで国造自身の代替わりの毎に神賀詞を奉納していたことが確認されており、同国造家は現在も尚、出雲大社の社家として存続しています。

帝室の権威称揚という前提の下、記紀の編集者たちは「出雲国のオオクニヌシによるアマテラス大神(の孫)への国譲り」という構図を案出、その入念な筋書きの中で天菩比神(天穂日命)・天若日子などが使者として葦原中国に送り込まれたのですが、いずれも大国主神に媚び「復奏」を怠ったと古事記は伝えています(その結果、天若日子の返し矢事件が発生)。ところが儀礼の席で出雲国造が奏する神賀詞には次のような文言が記されています。

  高天の神王、高御魂命の、皇御孫の命に天の下大八島国を事避さしまつりし時に、出雲臣らが遠つ神、天穂比命を国體見に遣わしし時に、
  天の八重雲押し分けて、天翔り国翔りて天の下を見巡りて返事申したまわく(中略)己命の児、天の夷鳥命に布都怒志命を副えて天降し遣わして、
  荒ぶる神等を撥い平け、国作らしし大神をも媚び鎮めて大八島国の現つ事、顕し事避さしめ

解説を付け加えるまでもありませんが、出雲側では祖神が高天の原から使者として葦原中国に遣わされた折、きっちりと国見を行い大穴持命も「媚び鎮め」た事を報告したという伝承が受け継がれており、そこには藤原氏の祖である天児屋根命・武甕槌命の存在は窺うことすらできません。そして出雲国造は続けて以下のように賀詞を述べます。

  即ち大穴持命の申し給わく『皇御孫命の静まりまさん大倭国』と申して、己命の和魂を八咫の鏡に取り付けて、
  倭の大物主櫛甕玉命と名を稱えて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根の命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、
  事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美の命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて、
  皇孫の命の近き守り神と貢り置きて、八百丹杵築の宮に静まりましき。

 出雲国造神賀詞  出雲大社の氏社(祭神は天穂日命)

ここで当初、葦原中国という名称であった「国」名が「大倭国」に代わっていますが、これは出雲や畿内など全国各地で行われてきた一連の「国譲り」を、物語等を編集する時点での大和朝廷の所在地に収斂させたためで、国を譲った側の代表神も記紀の云う「大国主命」ではなく大穴持命(大己貴命)であった事が明らかになっています。繰り返しになりますが大和での「国譲り」の実態はニギハヤヒ・宇摩志麻治命(と配偶者の親族たち)と神武天皇の間で行われた交渉事であって、「出雲」での天孫族の実権掌握とは別次元の話なのですが、記紀「神話」では全てを混沌の世界に紛れ込ませてしまい、真相は深い霧の彼方に隠されてしまいます。

ただ「賀詞」の主眼は、あくまでも「皇孫」の弥栄にあるわけで「アマテラスーーニニギノミコトーー神武天皇」更には現天皇へ連綿と受け継がれてきた神聖な血筋の守り神として、特に「縁」の深い神々を祀ることによって帝室の発展に寄与します、という意味合いで述べられている文言ですから、四柱の神様たちの素性は全て明らかだと思われがちなのですが「賀夜奈流美(カヤナルミ)」という一柱だけは記紀にも登場することの無い不思議な神様です。記の編者は「大穴持命=大国主命=大物主神」というロジックで神代の国譲りを神武帝の大和入り劇と「融合」させた物語を演出していますが、この四柱はいずれも大和の大三輪神社等に関係した神々だと推測されます。周知のように古事記が「大国主命」の長子だとする味鉏高彦根命の児が大物主命(櫛甕玉命)であり、その児が事代主命(玉櫛彦命)ですから、彼は神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の父親に当たります。

そして媛蹈鞴五十鈴媛命という女性の母親は三島溝咋耳神の娘・勢夜陀多良比売で、三島溝咋耳神はまた「陶津耳命・加茂建角身命・ヤタガラス=少彦名命」と同神であると考えられますから、勢夜陀多良比売の祖父が天孫族の天津彦根命だと分かります。オノコロ共和国の筆者は、このアマテラスの三男に位置付けられた天津彦根命こそ国譲り神話に登場する天若日子の実体であり、出雲国造が自らの祖と明言している天穂日命とも同神だと推理しています。従って、天津彦根命の妻となり三島溝咋耳神たちを産んだ女性は、味鉏高彦根命の妹・高比売命(下照姫命)以外には考えられません。若し、この想像が間違っていないとすれば神武天皇の祖母・勢夜陀多良比売は神武帝を大和に導いた勲功の持ち主・ヤタガラスの実の娘であり、帝は二つの「カモ」から貴種としての伝統を受け継いだのだと言えるでしょう。加えて、であるからこそ賀詞にある四柱の強い霊力に守られる対象であり得るのです。

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