ダダさんの正しい出雲弁講座           サイトの歩き方」も参照してください。

   陶器で表現したスサノオ大蛇退治   神様にも「お国訛り」があるのでしょうか?

前回の講座では出雲弁の一大特色「にゃーにゃー」について管理人の鋭い?見解をご披露しましたが、第二回目の「か行」では、別の一面を取り上げてみたいと思います。日本語が俗に言うところの「大和言葉」(日本古来の固有の言葉)だけで成り立っているものではないことを皆さんも良くご存知のことと思いますが、私たちが日常会話で使っている言葉には、外国から取り入れられたモノが実に沢山あります。特に近代以降の日本語は外国語と外国語に源をもつ多様な言語の影響を強く受けていると考えられ、現在では外国語を抜きにした会話が成り立たないほどにまで成っているのが実情です。言葉が生き物である以上、方言もまた、その時代時代の影響から逃れられるものではありません。

と、小難しい話しから始めてしまいましたが、今回、出雲弁のお話しで取り上げたい特徴は「漢語的な言葉」使いなのです。砕けて言えば「漢語(漢字の音読み)をそのままに借用したものではないか」と想像できる単語が、出雲の言葉には相当含まれているということです。無論、これも当方の勝手な想像と独断の産物ですから、国語や漢文の試験に役立つような内容ではありません。では、早速「か行」の表に移りましょう。

  かいしき    がいな   かえくらかす   かけらかす    かざに   かせ   がっしょ    かつれる
  かまー   からっぺ   かわ
  きこ   きさんじ   きしゃがわり    きびし
  くいしる   くちなわ   くらくらがつく   くらわかす   くらめ   く
  け   けやかす    けわし   けんびき
  ごいた   こえする   ごーご   こごん   ごしなはい    ごめた    ごぼじ   こらまたなんだら 

こらぁ、かいしきいけのわ

例えば一番初めに上げた「かいしき」ですが、これは「全く(だめ)」だという意味があり、強調する時には「かいしき・いけん」とも言います。この言葉の基になったものを考えると「皆敷、皆識、皆色」などの単語が思い浮かびますが、いずれにしても「かいしき」の「かい」は「皆」であるように推測されるのです。このように「漢字の音読み」を、そのまま日常用語として使っている例は次にあげている「がいな」(大きな)にもあてはまり、この場合「がい」は「大」(だい)の訛ったもののようです。また、肩こりを意味する「けんびき」も「けん」は「筋肉」の「きん」(或いは「腱」)を、「びき」は「病気=びょうき」がそれぞれ変化したものだとも考えられます。さらに、音としては全く別な形に変化していますが「がっしょ」は「一所懸命」が訛ったもので意味も同様です(「がっしょがけ」とも言います)。では「か行」の使用例をみてください。

   なんぼ考えても、きびしええ案が浮かばのわ。

   ほんに、あのしは、きしゃがわりばっかぁ、いっとってだぁけん。

   あげな、がいなしでも、けんびきで、くらくらがついたと。

   のぉ、おまえの自転車で、うちまで、こえしてごいた   

大体の雰囲気はお分かりかと思いますが、二番目の用例で使った「くせ」「かせ」は「嘘・出鱈目」といった意味合いの言葉で、これは恐らく「食わせ物」(信用できない人)から転用させた言い回しではないかと思われます。そして、文字で表現する場合「くせ」としか書きようがないのですが、実際の発音は「kuwa」と「ka」の中間あたりの微妙なもので、これは他の出雲弁にも共通している特徴の一つです。それから「きびし」は「かいしき」ほどではありませんが、やはり「なかなか」という意味で使われ「きびし・いけん」などと否定的な場面で使用されます。これも「厳しい」の変化と考えられなくもないでしょう。それから四番目の例ですが、本来「こえする」には「訪問する」「立ち寄る」あるいは「挨拶をする」といった意味合いがあるようなのですが、これは多分「声・する」=「話しかける」が原型になっていたものと思われます。そして、用例のように「こえして・ごいた」になると多少意味合いが異なり「運んでください・一緒に連れて行ってください」という要望を表す言葉になるのです。また、この「ごいた」の本来の言葉は「ごす」(くれる、してくれる)で、それが次のような変化をします。

 ごす   ごすか   ごせ   ごさんか   ごされる   ごいた   ごしなはい   ごさんだらか   ごいたら   ごすだわ   ごすだわね 

「あ行」のところでも少し、語尾の変化の仕方についてお話をしましたが、上の例で言えば右端の二例は主に女性が使う言葉で、最後に「ね」が付いたものが丁寧語ということになります。「か」が付けば疑問形となるのは、他の言葉とも共通していることは言うまでもありません。「ら」は「何々したら」の意に変化させる語尾です。最後になりますが「きしゃがわり」は「気分が悪い」つまり今風に言うなら「ムカツク」といった言葉なのですが「きしゃ」は不思議な単語です。どなたか語源について心当たりでもないでしょうか。ここで音を上げても仕方ありませんから「きしゃ」についての解説を…。

ほんに、きしゃがわりのぉ

中也の詩にもお国訛りがあります   PR

「きしゃ」が「き・しゃ」に二分される言葉だと考える事も可能ですが、初めに一つの音節の言葉だとした場合、この音から直に連想される言葉は「むしゃくしゃ」する、でしょう。「むしゃくしゃ」の原型は「むさくさ」「くさくさ」だと言われていますから、「くさ」が「くしゃ」そして「きしゃ」に訛ったと考えられなくありません。(標準語でも「さ」が「しゃ」に変化している)又、「きしゃ」を「き・しゃ」の二音節の言葉と考えた場合の候補は「癪にさわる」の「しゃく」が上げられます。「きしゃ」の「き」を「け」(このー、こら)の変化だと捉え「しゃ」を「しゃく(にさわる)」の短縮形だと考えれば、何となく言葉としての雰囲気は伝わってきます。ただ、出雲で使われるときには「きしゃが・わるい」と言われる場合が多いので、その点から想像すると「きしゃ」は全く別な処に語源を求めるべきなのかも知れません。これは全くの想像に過ぎませんが「きしゃ」を「き・しゃ」の複合したものだとして「き」を単純に「気・気分」だと解釈するなら、後の「しゃ」は方言や訛りだはなく、古い言葉の「しゃ」(名詞などに付いて「卑しめ・ののしり」を表す)が、そのままの形で残されたと考えることも可能です。出雲弁には、似たような音の言葉に「しゃくらんやな」(視界が暗闇につつまれるような)がありますが、これも語気を強めるための古語「しゃ」に「くらむ」(暗くなる)が連結した言葉だと思われるのですが、皆さんのお考えは如何?

話しは全く変わりますが、詩人の中原中也は長州・山口の人ですから、京都に出でくるまでは当然、地方の言葉を使っていたと思われますが、詩作品の中では流石に「訛り」のような表現は殆どといって良い位見つけることが出来ません。ただ、彼の作品に『言葉なき歌』という題の詩があり、その冒頭、

    あれはとほいい処にあるのだけれど

    おれは此処で待つてゐなくてはならない

と歌われている「とおいい」は、勿論「遠い」の意味ですから、山口地方では「とおいい」と伸ばして発音するのでしょう。ただし、中原は他の作品では、このような言葉の使い方をしていませんから、音の効果なども総合的に見て「とおい」よりも「とおいい」とする方を敢えて選んだのではないか、と考えられます。確かに「とおいい」と声に出してみると、いかにも天空の彼方の遥か先、といった感がしないでもありません。

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