ダダさんの正しい出雲弁講座              サイトの歩き方」も参照してください。

物の本によれば、出雲弁は、

    中舌母音により「い・え」「し・す」「ち・つ」の音があいまいになり

    「ふぁ」「ふぇ」など、「は行」子音両振音が存在する

    合拗音「く」「ぐ」が存在する。「しぇ」音が優勢である

    「きゅ」「ぎゅ」など「う段」拗音を「き」「ぎ」などと発音する

といった点に特徴のある言葉だと言うことになっているのですが、最初にあげられている特色を最もよく現している言葉が「ししし」だと思います。(中舌母音についてWEBで調べた内容をそのまま説明しても良いのですが、煩雑に過ぎるので省略します。要は、ここに対で取り上げられている『二つの音が極めて似通った発音になる』ということです)是は、本来「しし(猪)」の「巣」という言葉、つまり「ししす」だというのが一般的な解釈なのですが、外部の者には、どうしても「すすす」にしか聞えません。その実物が下の画像です。刈り取った稲から穂の部分を収穫した後の稲藁を積み上げたもので、翌年、肥料として又、家畜の餌などとして利用するのですが、最近、田舎でも余り見かけなくなりました。4番目の特徴は、少し分かりにくいかも知れませんが「急に」と言うときなどに、出雲の人達が話すと「きーに」或いは「きに」と聞えますし「牛乳」も「ぎーにー」としか聞えません。従って「きゅうり」も「きーり」になり、「給食」は「きーしょく」になります。

   形が「猪の巣」に似ているそうなのですが…。 冬の絶景 びゅう PR

では、恒例の言葉一覧表に移りますが、上記の理由から「さ」行の例はとても多いので、ここに上げたものは、ほんの一例だと思って見てください。

 さいくにならん   さいのべ  さえん  さでくる   さばる  さぶいぼ  さんどさん
 しいたん  しぇたもん   したる  じなくそ  じねん  しまわかいた   じゃじゃ
 しゃくらんやな  しょ  しんぐらと  すー  すたー  ずんど
 せからす  せごする  せやせやする   せる  せわない   せんち
 そ  そぎゃん  そげだらども  そげな  そらふく  そろっと  ぞんぞがつく 

最初の言葉に説明は要らないと思いますが、念のために漢字で表すと「細工にならん」となります。もち論、これは「ダメ」だと言う事です。「さえん」は「さえない」(冴えない)の変化ですから文字通り「良くない」の意味で使われます。「さばる」も面白い言葉で、標準語に中々翻訳しにくい微妙なニュアンスがあるのですが、おおまかな意味では「差し障る」と同様、良くないものが身に「憑く・付く」ことを表すものです。また、子供が纏わりついたりする時にも「さばーつく」と言います。

    そげに、せからすと、みな、すたーぞ。まっと、そろっとすーだが。

    じゃじゃばっかー、たいげ、しぇたもんだ。

    そぎゃんことで、せわないか。

「じゃじゃ」は分かりにくいかも知れませんが、恐らく「邪邪」ということで「正しくない=間違い」という意味になったものだと思われます。「しぇたもん」は「痴れ者」ですから「馬鹿な奴」ということになります。「せわない」も「世話ない」ですから「大丈夫・問題ない」で、疑問の「か」が付き、「大丈夫か?」という問いかけになります。そして、問題がなければ「せわない、せわない」と返答する訳です。「すたー」は間違っても「スター」ではありません。これも実際は「したー」と聞えなくもない言葉で、その元々の形は「滴る」だと思われますが、意味するところは「こぼれる」です。だから用例の一番目を意訳すると「そんなに急がせると、みんなこぼれてしまう。もっと、ゆっくりやりなさい」になります。最後に「ぞんぞがつく」は何とはなく意味が伝わりそうですが、これは「寒気がする」という体調を表す言葉で、風邪をひきそうな時にも使います。

   坂本龍馬は土佐の生れです。江戸での暮らしで「訛り」も余りなかったのかも。

閑話休題、明治維新の推進役となった人々の殆どが、当時の「雄藩」(ゆうはん)と称される実力を備えた藩出身、つまり地方出身であったことについては、日本史の授業などで聞かれた記憶がおありでしょう。上の画像は有名な坂本龍馬(さかもと・りょうま)の肖像ですが、彼はご存知のように四国・土佐の生まれです。維新に向け、各国の人たちとは、一体どのようにして意思の疎通を図ったのか?薩摩の西郷隆盛(さいごう・たかもり)そして長州の桂小五郎(かつら・こごろう)を話し合いの席に着かせた交渉人が龍馬だとされていますが、この三人、一体何語で話し合ったのでしょう。尤も、桂と坂本の二人は何れもお江戸の街で剣術の修行をしていますから、案外、標準語的な言い方も身につけていたのかも知れません。

ここで方言とは関係のないムダ話をひとつ。坂本龍馬は小説などで
剣術の達人として描かれることが多く、維新をさかのぼること10年、安政五年に
志学館で行われた剣術大会での活躍ぶりは夙に有名ですが、時代考証家の話
によれば『試合の当日、龍馬は江戸にいなかった』ということです。

ムダ話のついでに、もう一つ。あの安政の大獄で日本史に名を残した「安政」年間、江戸の著名三道場の塾頭(師範代)はすべて長州人であり、まず桶町・千葉道場が坂本龍馬、次に神道無念流の斎藤弥九郎道場が桂小五郎、そして京橋・アサリ河岸・桃井春蔵道場の塾頭が武市半平太(たけち・はんぺいた)だったのです。こんな事情があったから、上記の「剣術大会」のお話しが後に創作されたのでしょう。

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