怪盗・地雷也のモデルは天竺徳兵衛だった                    「サイトの歩き方」も参照してください。

地雷也は、江戸の後期、武家出身の戯作者で感和亭鬼武(かんなてい・おにたけ)という人が、文化三年(1806)に出版した『自来也説話』の主人公・自来也を、天保年間になって美図垣笑顔(1789〜1846)が参考にして書き起こした『地雷也豪傑譚』に登場する怪盗(義賊)なのだと先にご紹介しましたが、その折、書洩らした事柄が一つ二つあったので続きを記すことにします。江戸学の創始者として知られる三田村鳶魚(1870〜1952)が『人物談義・江戸の流行っ子』(昭和18年刊)の中で鬼武をかなり詳しく解説していますが、彼の指摘通り、感和亭の読本(小説集)は、江戸で発表された数多ある作品の中で「一番早く歌舞伎向けに脚本化された」小説であること自体に間違いは無いのですが、実は、自来也が登場する直前の文化元年(1804)江戸・河原崎座で一つの注目される作品が演じられていました。それが四代目鶴屋南北が脚色した『天竺徳兵衛韓噺』という芝居なのです。

この演目の名前に見覚えがある方は、恐らく数年前、東京の明治座で「140周年」を記念して行われた特別興行をご覧になったのではないかと思われますが、一般的には殆ど知られることは無いようです。また徳兵衛も「天竺」を冠していることから創作された架空の人物だと見られがちですが、彼は江戸初期に実在した商人なのです。播磨の国高砂の地で十七世紀初め頃に生まれた徳兵衛は、十代半ばの寛永三年(1626)京都・角倉家が支配していた朱印船貿易に関わり、ベトナム、シャム(タイ)などに渡航、更にはヤン・ヨーステン(1556?〜1623)と一緒にインドにも渡った?とされる正に伝説的な船乗り、冒険家だったともされており、彼が最晩年の1707年に長崎奉行所まで提出した『天竺渡海物語(天竺聞書)』の内容が、後に人形浄瑠璃作家の目に止まり「天竺徳兵衛郷鏡」(宝暦十三年、1763、近松半二作)が生まれたと言われています。その「聞書き」そのものの信憑性は今一つだったにも拘らず、鎖国政策で外国との交流が殆ど絶たれた江戸期にあって「天竺」を実際に見聞きした徳兵衛は稀有な存在として崇められ、遂には歌舞伎芝居の主人公にまで「出世」することになった様なのです。ただし、芝居に登場する徳兵衛は「蝦蟇(ガマ)の妖術を使う異国の謀反人」という設定ですから、鬼武の自来也とは大いに性格を異にするものでした。ここまででも時間軸が前後して、相当読み辛くなってきましたので、吉例?の一覧表を差し挟みます。

 西暦  出 来 事  そ の 他
 1707  徳兵衛が『天竺渡海物語(天竺聞書)』を書きあげて奉行所まで提出した。  記事自体の信憑性そのものについては余り高くない。
 1715  儒学者で医者の平住専安が『前々太平記』(全二十一巻)の刊行を始める。  巻七に「天王寺蝦蟇妖怪の事」という項目が立てられている。
 1763  近松半二が『聞書』を元ネタに『天竺徳兵衛郷鏡』を人形浄瑠璃用に脚本家する。  『デイデイ、ハライソ、ハライソ』の呪文に注目が集まる。
 1791  山東京伝が手鎖五十日の刑を受け、蔦屋重三郎は財産半減の厳罰を言渡された  曲亭馬琴が蔦屋の番頭となり店の経営に携わる。
 1794  五月、東洲斎写楽の役者絵(浮世絵版画)が蔦屋から販売される。  前年大坂の商家を離縁した十遍舎一九が蔦屋の食客となる。
 1802  ほぼ10年の空白の後、鬼武が『異療寝鼾種』を発表する。挿絵は一九が描いた。  十遍舎一九が『東海道中膝栗毛』を書き始め、評判となる。
 1803  戯作者の式亭三馬が『戯場訓蒙図彙』を編集する。  「蛙」の項目に巨大なガマが男と一緒に描かれている(下図)
 1804  四代目鶴屋南北が『天竺徳兵衛韓噺』を歌舞伎芝居向けに脚本家し、好評を得る。  徳兵衛は難破船の船頭で蝦蟇の妖術を使う異国の謀反人。
 1805  山東京伝が『桜姫全伝、曙草紙』を豊国の挿絵で売り出す。  巻三に「蝦蟇丸の伝」がありガマ使いが登場している。
 1806  感和亭鬼武が読本『自来也説話』十一編を発表する。画は北斎の門人・北馬。  自来也の本名は尾形周馬で蝦蟇の妖術を使い敵討ちをする。
 1807  『棚自来也談』の外題で大坂歌舞伎に登場する。作者は近松徳三。  三代目市川団蔵の自来也が大評判となった。
 1808  山東京伝が『敵討天竺徳兵衛』を江戸の伊賀屋から出版する。  蝦蟇の妖術使いが登場するが「蛇」に敗れてしまう設定。
 1839  美図垣笑顔が明治にかけて『地雷也豪傑譚』全四十三編を書き始める。  主人公の地雷也が蝦蟇の妖術を使い大蛇丸と対決する。

前々太平記より  天竺徳兵衛 

巨大な蝦蟇の背に乗って「印」を結んで呪文を唱えれば、あら不思議、児雷也はドロンと掻き消えて取手たちを煙に巻く。そんな場面の原点は上で紹介した歌舞伎「天竺徳兵衛」の演出にあったと考えてよさそうですが、昭和三十年代の子供たちも少年雑誌『少年』に連載された、時代劇漫画「少年児雷也」(杉浦茂・作)の怪盗・児雷也を殆ど抵抗も無く受け入れていたのは、江戸文化がまだまだ人々の根っこの部分で息づいていたからなのかも知れません、それはさておき。感和亭鬼武が1806年に自来也を主人公にした読本を書こうと思い立った背景には、どうやら上方浄瑠璃の分野で先行し、後に江戸歌舞伎の世界にも進出していた「天徳(天竺徳兵衛)もの」への評価(人気)が在ったと見て間違いなさそうです。そして恐らく、自らも大坂で生活をしながら浄瑠璃作家の道を探った経験を持つ十遍舎一九の適切な助言があったのではないでしょうか。大坂歌舞伎が鬼武の読本刊行を待っていたかのように素早く舞台で取り上げたのも、一九の口添え(推薦)があったからだと考えても良さそうです。

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