コント55号坂上二郎と「丘を越えて」について                                        「サイトの歩き方」も参照してください。

舞台中央に置かれた時代を感じさせる大きな弁当箱のようなマイクの前で、今時、地方の見世物小屋で芸を見せる田舎役者でも気後れしそうな金ぴかの舞台衣装を身にまとい、つい先ほどまで舞台中を所せましと駆けずり回っていた証でもある玉のような汗を額から流しながら直立不動の姿勢を保ち、広くも無い劇場の一番遠い所を見つめるような眼差しのまま立ちつくし、相方、欽ちゃんが淡々と、そしてくどくどと紋切型の褒め言葉で曲目と歌い手の紹介をし終えるのを、何とか無難にやり過ごそうとしているのはコント55号というお笑いコンビを組む二人のうち年配者の方である。真紅かオレンジ色の蝶ネクタイが短めの頭髪と妙にアンバランスだったのを覚えている。スタンド式マイクの前で立ち尽くすのも、少し大きめの蝶ネクタイ姿も、恐らく歌謡界の大御所でもあった藤山一郎(1911~1993)や東海林太郎を十分意識した演出だったと思われる。

昭和を題材にしたコーナーの記事なので、当初は歌謡曲の分野で一時代を築き上げた作曲家の古賀政男(1904~1978)について書くはずだったのですが、下調べをしているうちに何故か”陰気な”彼を取り上げる意欲が次第に薄れ、いつの間にか沙汰やみになっていました。小説家でテレビ番組の製作にも携わった経験のある小林信彦が、どこかの雑誌で『コンビ名の55号は、ゴーゴーゴーの意味なのだ』と書いていたはずですが、この二人は、一時期本当にテレビの画面を独占した観がありました。WEBで探せば、直ぐに出てくる「伝説のコント・机」は良く知られたギャグですが、二郎さんの演じる「怯えながら」あらゆる無理難題に立ち向かう(向かわされる)町内のどこにでも居そうな人物像は、見る側の共感を少なからず呼び起こしたものでした。次に一体何が起こるのか?世の中一寸先は闇とも云いますが、それは正に巷で暮らす庶民生活の縮図そのものに他ならなかったのではないでしょうか、それはさておき。

譜面  マンドリン  マイク  二郎さん 

福岡生まれの古賀は、幼い頃早くに父を亡くしますが商業学校、大阪での商店勤めの後、関東大震災が起きた大正十二年に明治大学に入ってマンドリン倶楽部の創設に加わります。大正琴やギターといった弦楽器の演奏に長けていた彼は、昭和四年倶楽部の演奏会で自作の『影を慕いて』を発表したのに続き、翌々昭和六年(1931)に『丘を越えて』を世に問いました。自らが楽器の演奏家でもあったことが、曲全体のおよそ三分の一もの長さがある「前奏」を産んだのではないかと筆者は勝手に想像しています。恐らく、古賀は「ピクニック」(「丘を越えて」の原題)の曲想を練った時、器楽曲として作り始め、自分が得意とするマンドリンなどの合奏部分を出来るだけ聴衆に多く聞かせたいと云う思いがつよかったのではないか?と思った訳です。この曲は現在でも明大の演奏会では必ずリクエストがあり、アマチュアのバンドなども好んで取り上げますから、一度や二度は耳にしたという読者の方も少なくないでしょう。

歌謡曲の前奏は言うまでも無く「歌唱」への導入部であって独立した演奏部分とは考えられていませんが、この『丘を越えて』に限ってはそうではありません。マンドリン独特の高い音質を生かした速いテンポ(♩=80~90)の演奏が一頻り続き、それが「やっと」終わってから唄を歌うことが出来るのです。果てしなく続くのではないかとも思われる欽ちゃんの「解説?」は二郎さんの心に疑心暗鬼を生むのですが、歌い手としては只、ひたすら「前奏」が終わるまで待ち続けなければなりません。そして、やっと、その時がやってきました。待ち構えていた二郎さんの口が大きく開こうとしたその時、バンドの演奏は非情にも終了したのでした。『なんでそうなるの』正しく番組名通りの成り行きと結末、大変な意気込みが木端微塵に粉砕された二郎さんが「ちっこい目」を大きく見開き見栄を切るようなお道化た所作をしたものでした。ただ、それだけのギャグとも言えないコントの一幕が、未だ二十代だった筆者の記憶に残ったのは自身がブラスバンドで器楽に親しんだ経験を持っていたからなのかも知れません。バンドは演奏者つまり人の集まりですから、それ自体が「生き物」なのです。指揮者の振る「棒(タクト)」の動き一つで演奏内容が変わるものです。二郎さんは、きっと音楽が大好きだったに違いありません。

昭和九年、鹿児島で生まれた坂上二郎一家は大陸に渡り、終戦と共に大陸から内地へ引き上げ、中学校を卒業した二郎は一旦小売業に就職した後、上京。彼の夢はレコード歌手になることだったのですが、中々夢は実現しませんでした。萩本欽一とのコンビ結成も偶然だったと伝えられています。資料集めの段階で初めて知ったのですが、筆者が別のページで紹介をしている個性派の俳優、佐藤允とは同年で、彼も同じ九州で生を享けています。コメディアンの財津一郎やケーシー高峰そして大橋巨泉なども同い年です。漫画家で『鉄人28号』の作者である横山光輝そして日活映画の小林旭が主演する様々な活劇で、無くてはならない謎の外国人を演じたバンサこと藤村有弘も昭和九年組の有名人です(詳細は知りませんが芸能人たちの集まりで『昭和九年会』というものがあるそうです)。平成23年3月10日、坂上二郎は鬼籍に入りました。

 TOP    
     
 人気のページ   お地蔵様の正体を探る   石川五右衛門の仲間たち   出雲の阿国は歌舞伎の元祖   オオクニヌシは居なかった   開高健とフクスケ