フルバンドとジューク・ボックス、音楽と記憶V                     サイトの歩き方」も参照してください

新劇といっても何のことか分からないと思いますが、舞台で行う現代演劇(伝統演劇=歌舞伎などの旧劇ではないという意味)の女優で、昭和後半のテレビ界でも活躍した荒木道子(1917〜1989)は、いわゆるホームドラマに多数出演をして、いかにも、どこの家庭にでも居そうな(実は、どこにもいない=仮想の)「母親」役を好演、その人気は中々のものだったのです。その息子、一郎(1944〜)も母親と同じ道に進み俳優として活躍する一方、民放ラジオのDJ(ディスクジョッキー)を努めていたのですが、たまたま番組のテーマ曲を歌ったところ、これが大ヒット、1966年に歌手デビューしました。そのタイトルが『空に星があるように』でした。そして彼は同年『今夜は踊ろう』もヒットさせて、レコード大賞新人賞も獲得しています(下の画像はレコード・ジャケットのものです)。

恐らく二次大戦後、進駐軍が基地の娯楽施設用に持ち込んだと思われるジューク・ボックスは、1930〜40年代のアメリカ国内で大いにもてはやされたものらしいのですが、サンフランシスコの或る店に初登場したのは、なんと1889年と言いますから明治半ば「踊る」ための仕掛けとして十九世紀末には早くも誕生していたのです(「踊りのための」と言うことは、ダンスを楽しむ客のために音楽を演奏するバンドの代役という意味です)。そのジューク・ボックスが日本国内で、いつから流行を始めたものか例によって判然としないのですが、管理人的にはボウリング(Bowling)の人気拡大が背景の一つとしてあったように記憶しています。ただ、昭和40年頃になると田舎町の小さな喫茶店にもJ・Bは置いてありましたから、ボウリング場説に自信がある訳ではないのです。(ものの本によれば、全国にボウリング場は1970年前後に約3,900軒あったそうです。今は、その三分の一にも満たないのでは…。また、国内でのレジャー産業の振興がJ・Bなど娯楽設備の拡販に寄与していたと考えた方が良いのかも。全くの余談になりますが、知人の店で使い古したレコードを何枚か貰ったことがありました)

こんな装置を、良く見かけました(Zodiac社製品・WEBより) 荒木一郎 

では何故、管理人がボウリング場とジューク・ボックスを記憶の中で結び付けているのかと言うと、それが冒頭で説明をした荒木一郎の存在だったのです。彼のヒット曲は幾つかあったのですが、その中でもテンポが軽快でコード進行に一味変わった処のあった『今夜は踊ろう』『いとしのマックス』は、どういう訳かJ・Bの定番で、いつもボウリング場のどこかで掛けられていたものです。そして、急に人気者になった一郎がデビュー早々、つまらないスキャンダルで芸能活動を休止したことも、脳細胞のどこかで記憶付けの添加剤になっていたのかも知れません。ところで、CDが未だ登場していない昭和の音楽界ではレコードが音楽のソースの主流でした。そして大きな円盤のようなタイプを『LP(Long Play)』と言い、小さな(つまり表裏の両面に1曲ずつしか録音されていない)ものを『ドーナツ(盤)』と呼んだのですが、それはレコードの形が食べ物のドーナッツに似ていたからに他なりません(上・右の画像)。

音楽の歴史については、殆ど知識らしいものがありませんから、以下の文章は、あくまでも「参考」に留めておいて下さい。二次大戦がハワイ沖、真珠湾で始まる前、つまり1930年代の後半から40年代にかけて、海の向こうのアメリカではスウィング・ジャズが大いにもてはやされました。「デューク・エリントン」「ベニー・グッドマン」そして「グレン・ミラー」など日本国内でも著名なジャズ・バンドが一世を風靡したのです。戦後、日本に進駐したアメリカ軍は様々な『異文化』を持ち込みましたが、音楽の分野も例外であった訳ではありません。

フル・バンドあるいはビッグ・バンドとよばれる一群が大都市中心に活躍し始めたのは戦後10年を経た頃だったと思われるのですが、今、日本を代表するビッグ・バンドである『原信夫とシャープス&フラッツ』(の前身)が発足したのが1951年、年配の方ならTVの音楽番組などでサキソフォンを吹きながら全身でバンドを指揮する原信夫(はら・のぶお,1926〜)の姿を見た経験が何度もおありのことと思います。指揮者ではなく、バン・マス(バンド・マスター=オーケストラのコンサート・マスター)の彼が、身振り手振りでメリハリのある演奏を進めてゆく画像に、とても斬新な力強さを覚えたものです。また、吹奏楽に親しんだ者にとって、

  サキソフォン 5本(アルト2,テナー2,バリトン1)  トランペット 4本  トロンボーン 4本

  リズムセクション 3〜4(ピアノ、ギター、ベース、ドラムス)

といったブラス(真鍮楽器)中心のサウンド、そしてテンポの速いアレンジは、とても心地よい響きを齎したと言えます。そんなフル・バンドですが、今、TVなどへの「出演」も少ないのでは…。経済的な理由(つまり経費が掛かりすぎる)が大きいのだろうと推察するのですが、原さん頑張って下さい。おやじたちは応援していますから!ダンスのための、踊るための曲を演奏するだけのダンス・バンドではなく、演奏そのものを表現として主張するフル・バンド、音楽の「楽しさ」を目の当たりにしてくれるビッグ・バンドに憧れたものです。

熱演が原信夫のスタイルでした。

投入口にコインを入れると「選曲モード」になる。一曲50円だったのか、それとも二曲100円だったのか…。曲目を選び(つまり「A5」「F12」とか)ボタンを押すと機械の一部が動き出し、お目当ての「ドーナツ盤」を取り出してターン・テーブルに運び、セットする。ほどなく「針」を取り付けてあるカートリッジ(アームの先端)が盤面の端に降りて演奏が始まる…。ドーナツ盤のレコードには、真ん中部分に穴が空いています。直径38ミリの、その穴はジューク・ボックス用に考えられたものだったのです。そして、市販されるドーナツ盤に、元々から穴が空けられていたのではなく、硬く分厚いダンボール紙で出来た三角ブーメランのような形のブリッジが取り付けられていました。ドーナツ穴の由来を知らなかった管理人は、レコードを買うたびにブリッジ部分を取り外したものかどうか迷ったものです。

(追記・平成21年11月3日)良くない予想が実現してしまいました。原信夫の「シャープス&フラッツ」が、遂に演奏活動を終えました。ファイナル・コンサートは、実に見ごたえ、聞き応えのある内容でした。原さん、本当に、お疲れさまでした。

     
     
 人気のページ   お地蔵様の正体を探る   石川五右衛門の仲間たち   出雲の阿国は歌舞伎の元祖   オオクニヌシは居なかった   開高健とフクスケ