写真、そしてカメラとの出合い                         サイトの歩き方」も参照してください。

記憶は例の如くに曖昧で不確かなのだが、小学校に通うような年齢に達した頃には家庭にカメラがあったように思う。父親が簡単なラジオなら休日を利用して数日で組み立てるほど機械モノがすきだったのと、一年生か二年生だと思しい年恰好で他家の子供と写っている己の画像を何枚か母親が所持していたことから推理しての話しなのだが、間違っているのかも知れない。しかし、小学生の頃、たまに買ってもらった(多分、新年号ではなかったか)少年月刊雑誌の附録に日光写真があったことは間違いありません。日光写真という言葉を知らない世代の読者が殆どだと思いますが、簡単に言えば『感光紙の上に光を遮る型紙(ネタと呼んでいた様な…)を載せて、太陽光を照射して影絵のようなものを作る』オモチャで、昭和30年代の子供達には結構、人気がありました。出来た画像は、そのままにしておくと、直ぐ消えたような気もします…−。[また、山本夏彦の著書(『男女の仲』文春新書、平成15年10月刊)によれば、昭和の初めに人気のあった『子供の科学』には専門家が解説する「科学的」な読み物が掲載され、その『指導』で『鉱石式ラジオを作った』とありますから、科学的な企画や附録などの原点は、戦前それも昭和初期の少年雑誌にまで遡ることが出来そうです。]

それから幾星霜−−、半世紀を超えてニンゲン(人間)と云う生き物をやっていると大抵の出来事には驚かなくなるものですが、そんな管理人に「感慨」を齎すニュースに、つい最近めぐり合いました。それは昭和三年に田嶋さんという方が創設した写真機のメーカーが、その製造を取りやめ、ブランドごと身売りするといった内容のもので、その会社名(イコール・ブランド名)が創業者の姓に因み『稔る田んぼ』を捩って考え出されたと聞いていた者にとっては、正に、晴天の霹靂に近い思いが湧き上がりました。勿論、わが国には「大砲」の如く強い写真機メーカーなどが他にも有り『稔る田んぼ』ブランドが国内一という存在では決してなかったのですが、自動焦点式一眼レフを世界で初めて開発するなど、管理人のお気に入りだったのです。フィルム式の写真機を使ったこともないであろうTV局アナウンサーの淡々とした報道振りを聞きつつ、若かりし昔の一時期を思い出していました…。(こう書いている内に、大正半ばに創業した我が国第一の写真機メーカー・N社もフィルムカメラから事実上撤退するという記事が配信されました。正に世はデジタルの時代なのですねぇ)

間もなく収穫です  稔るほど頭を垂れる   PR

学生の頃から写真に興味があった訳ではなく、卒業直後友人に紹介され、軽い気持ちで始めた仕事の関係上自前のカメラが必要になり、その時手にしたのが上で紹介をした会社の商品で、50ミリの標準と35ミリの広角レンズを手始めに105ミリ、200ミリそして魚眼に近い広角やブランド品ではないものの300ミリを超える望遠レンズも買い込み、更には必要性が低いにも関わらずモータードライブという高価なオモチャまで入手、当時、家計は大赤字・火の車の状況に陥ったものでした。(モータードライブとは、カメラのフィルム巻取りが自動的に行われる機構のことで、これにより瞬間的な「連写」が素人でも可能になりました。被写体が高速で動いている場合などの撮影には大変便利な代物でした)

『それで、一体、何を写すのか?』ですって!それは、奈良にある幾つかのお寺、中でも斑鳩の法隆寺にある建物(や装飾品)などでした。出版界で「お寺めぐり」「仏像紹介」といったような主題が取り上げられることが多く、何か昭和40年代後半から昭和50年代にかけてある種の日本ブームのようなものが潮流の一つとしてあったようにも思います。そして仕事を紹介してくれた友人の交友範囲にプロを目指して写真を生業としていた人物が居て、常に「写真」についての話題が職場の内外で取り上げられていたことも大いに影響していたのでしょう。また、動く生きモノを「写す」よりも、動かないモノを「撮る」ことの方が素人には数段やり易い訳ですから、自ずと「昔の建物」に関心が向いたと考えられます。(WEBで調べてみると、昭和40年頃から寺院を主題にした写真集が次々刊行されています)

塔や金堂は格好の被写体でした   

静かに佇む「建物」群そして、それらに付属している装飾品・工芸品などは「写し易い」対象であったはずなのに、写しても写しても、満足の行く「作品」には中々巡り合う事が出来なかったものでした……、つまりは、こちらの腕が「下手くそ」だっただけのことなのですが、その事実を認めてしまうことが悔しくて、何度も何度も斑鳩やその他の地に足を運んだものです。そのカメラを手にすることが無くなってから一体どれ位の年月が経ったことでしょう。写真機メーカーの相次ぐ「撤退」ニュースに時代の趨勢を感じつつ、屋根裏部屋の片隅で、恐らく朽ち果てているであろう、かつての愛機に思いを馳せた一時でした。

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