妖怪と神様、一つ目小僧の実体を探る                     「サイトの歩き方」も参照してください。

明治の御一新から早、百五十年。家康の江戸幕府開設から数えて四百二十余年の歳月が日本列島の上を通り過ぎて行きました。世は正にIT全盛、スマートフォンなるモバイル機器が手許に無ければ夜も日も明けない今日この頃なのですが、巷には未だに魑魅魍魎や有名無名の妖怪どもが徘徊しているかに見うけられます。民俗学の泰斗、柳田國男は「妖怪とは神々の零落した姿そのものなのだ」と喝破したそうなのですが、記紀の世界では縦横無尽の大活躍をされていた高天原の有難い神様方も、永い長い歳月の間に変質変貌を遂げ続ける人間共が生業を競い合う俗世間の只中にあっては、自らの姿そのものさえ変えざるを得なかったと言うべきなのでしょうか?それはさておき。江戸の巷を我が物顔に徘徊していた妖怪たちの代表格の一人が「一つ目」でした。この「一つ目」には、唐傘小僧という名前の妖怪仲間も居て、おどろおどろしい所謂「お化け」とは少し受け止める感覚が異なり、どちらかと言うと「何んとはなく親しみが持てる」範疇に入る妖怪なのです。

スサノオという天孫族の祖神であると考えられる神様が「一つの目を傷つけた」という伝承があることは、以前、別のページでも紹介をしたことがありますが、それは福井県にある八坂神社が伝えたもので、昔々スサノオが或るところを訪れた時、大きな雷鳴が突然響き渡ったため神様は驚いて「キュウリ畑」に駆け込んだのですが、とても慌てていたためその折、まんが悪くキュウリ棚で目を突き傷ついてしまわれた、という内容でした。いかにも人間臭いというか人間界に長く暮らした神様らしい行為と言えなくもありませんが、なにしろ「あの」ヤマタノオロチを退治した英雄でもある素戔嗚尊とは似つかわしくない逸話に思えてなりません。また、数多ある食物の中で「キュウリ」の畑が現場になった背景には、八坂神社の神紋が深く関わっていそうな気配が濃厚でもあり、これは近世になってから土地の知恵者が思いついた「お話」ではないかと勘ぐりたくなる言い伝えです。

妖怪一つ目坊  唐傘小僧  雙六の一部分

江戸の末期、歌川派の浮世絵師・一壽斎芳員が描いたとされる『百種怪談妖物雙六』(上右の画像)という版画には、江戸期に活躍?した沢山のお化けがユーモラスな表情で登場していますが、いわゆる「一つ目」は別にも居たようで、唐傘小僧の右二枠目に若い女性の妖怪(嘘ゲ原の独眼)が見えます。また、目が三つある「朝比奈切通しの三眼大僧」という名称のお化けも江戸では有名だったと見え、振出から初めの枠を振り当てられています。雙六は独りで楽しむ遊びではありません、家族や知り合い、友人たちが車座になって一等賞を競う部屋遊びの典型です。一家の中には、或いはまた近所の小父さん小母さんの中にはきっと芝居好き、歌舞伎通の人も一人や二人はいたでしょうから、最近評判をとった「誰それ」が演じた役柄や、舞台に出てきた趣向を凝らした妖怪・怪物などについて子供たちに色々と語りかけたに違いありません。怪談ものではありませんが、曲亭馬琴が執筆した『南総里見八犬伝』が世に出始めたのは文化十一年(1814)ですから、八剣士の活躍なども話題に上ったのかも知れません。

オノコロ・シリーズではこれまでに、記紀や風土記などに登場する神々について様々な記事を提供してきましたが、同じ「天孫族=アマテラス大神の子孫」でも、格別な扱いを受ける一族がある反面、それとは真逆に神話や伝承の中で殊更に貶められたり「悪者役」を割り振られている一族があることを明らかにしてきました。そして、その大本にある記紀神話の「核」となる考え方の一つが、アマテラスの「子」天津彦根命の息子である少彦名命の後裔に連なる一族を顕彰すると云うものだったのです。同じ天津彦根命の息子でありながら、しかも長子であった天目一箇命の子孫には、同等の栄誉は与えられず、記紀の中において不当とも思われるほど低い、否定的な評価が下されているのです。そして、その背景にあるものが応神天皇と継体天皇の大王即位という事実だったと考えられるのです。本来、角凝魂命の直系である天照大神は男神であり、そのまた直裔が瓊瓊杵尊でした。天津彦根命はアマテラスの「三男」ですから、ニニギノミコトには叔父に当たる存在になる訳です。

ニニギノミコトの孫が神倭磐余彦火火出見命(神武)その人であり、彼から数えて「十代目」となる垂仁天皇の時、帝室に大きな変化が生まれました。それが「天津彦根命----天日鷲翔矢命(少彦名命)----天羽槌雄命」の形で帝室とは別個の流れを形作ってきた息長氏の一族の台頭だったのです。大陸や半島経由の先進的な製鉄技術を携え、その豊富な資材力を背景に実力を蓄えていた同氏族を代表する人物だった稲背入彦命は、極めて遠縁ではあるもののアマテラスの血脈を受け継ぐ同族の一人として垂仁帝の娘婿となり、後に応神天皇となるホムツワケたちが誕生したのです。鏡や銅鐸など「銅」が最も貴ばれた時代の象徴であった天目一箇命の評価は一段も二段も低くならざるを得ず、当然、その後裔たちの朝廷内で占める位置にも影響がありました。妖怪「一つ目」の表情に何処かしら寂しさを感じるのは筆者だけでしょうか。記紀などが古来より伝えてきた「皇統譜」の内容を知るものは、極限られた一部の貴族たちだけであり、庶民は誰が誰の子孫なのかなど一切知る由もありません。ダイダラボッチや一つ目小僧などが「うらぶれた」天目一箇命の姿を映したものであるのかどうか、ここまで書きながら今一つ自信が持てないのは何故なのだろう。

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