決して聞いてはいけない「物語り」                           サイトの歩き方」も参照してください。

 この「物語り」はフィクションであり、実在する公立高校と何等関係はありません 

昔風の言い方なら「ガード下」といったところか…。街のほぼ中央を東西に横切る高速道路の高架下に、全く個性を感じさせない、型にはめて造ったような特徴の無い三階建てのビル群が十数棟立ち並び、その真下の空間には、地上とほぼ同規模の、つまり三階分の商業ビルが地中に収まっている。F棟とG棟の連絡道は飲食街になっている地下2階部分にしかなく、F棟東どん突き左に店はあった。いつも懐具合が暖かくない安サラリーマンでも、月に一、ニ度は立ち寄れる程度の「値段」が売りの『課長』は、エル字型のカウンターに止まり木(椅子)が8脚あるだけ。自称、元映画俳優のオヤジが独りで切り盛りしている。トイレ前で貴重な空間を占有していた年代物のジュークボックスは、とうに動かなくなっていたが、雑音交じりの有線からは『昴』『ランナウェイ』『大阪しぐれ』などが繰り返し流れていた…。

 『にいちゃん、兄ちゃん』『…?』

 『兄ちゃんら、何、眠たいこと言うてんねん。そんなこと不思議でも何でもあらへんがな』

店に入ったとき、既にカウンターへ崩れるように突っ伏していた男が、顔も上げずくぐもった声でぽつりぽつりと話し始めたとき、一瞬、誰に話しかけているのか、返事をしたものかどうか戸惑った…。水割りとハイボールだけを注文してから十分余り、私は新たに「発見」した「昭和の不思議」について、少し興奮気味に同僚相手に語り続けていたのだ。そのきっかけは偶然だった。仕事がらみで、ある自治体の全ての公立高校の歴史沿革を調べているうち、奇妙な「事件」が続いて起きている事実に気がついた。一校や二校だけならまだしも、戦前からある古い公立高校(つまり旧制の中学校と高等女学校)のうち、なんと十数校が「特定の時期」に火災を起こして半焼ないしは全焼し、校舎が再建されていたのだ。「特定」の時期とは、もち論、戦後のベビーブームで産まれた世代が高校への進学を控えた時期であったことは言うまでもない。

かつての木造校舎(本文と関係はありません)

 『これは、おっちゃんの独り言や。別に聞かんでもええし、聞いたからゆうて、なんちゅうこともあらへん』

 『おっちゃんも、昔、誰かから聞いた話や。そやから、ほんまかどうか、よぉ知らん』

左腕でだき抱えるようにしているウィスキーボトルのネックには、飛び切り下手くそな字で「たけちゃん」と書かれたハート型の名札が金の鎖でかけられ、常日頃、感情を顕にしないマスターまでが、何やら聞きたそうに小首を傾げて、たけちゃんと私達を見比べた後、業とらしく、いつもならやりもしないグラス磨きを始めた。

 『偶然やないんやったら、何なんですか?』『別に、なんか理由があるんですか』

 『ごとし、や』『…?』『?』『そんな仕事するモンがおる、いや、おった、ちゅうこっちゃ』『……』

たけちゃんから聞かされた物語りは、こうである。戦後の復興事業は目覚しく進められたものの、国や自治体の予算には自ずと限りがある。あれも、これも、やりたい事は山ほどもある。公立高校の教室不足も頭痛の種だった。大勢の子供達が高校進学を目指しているにも関わらず、自治体には施設設備を拡充するだけの「予算」が、何処を探してもありはしない。昭和30年代の小中学校では、プレハブ校舎、二部授業など珍しくもなかった。(「二部授業」=小学校などで教室が不足していたため、授業を午前と午後の二組に分けて行った)

 『そんな事情があっても、可愛い子供達のために、なんとかしてやりたい。それが人情ちゅうもんやろ』

 『それは、そうですけど、無い袖は振れませんよ。なんぼお上でも』

 『……以心伝心て、知ってるか?』『それ位、知ってますよ』『ええ言葉や、いつまでも残しといて欲しいわ』

昔から、つまり旧制中学の時代から、学校長会議とは別に開かれる教頭連絡会議の二次会に良く使われる小料理屋があったのだと言う。たけちゃんに言わせれば、そこに女気は全く無く、季節の料理と酒だけで身元の確かな客たちに重宝がられていた店で、繁華街のはずれ、それも大通りから二筋も入った所で暖簾も出さずに商いしていたらしい。

昔の校舎は窓が大きかったような記憶が…(本文とは無関係です)

 『でも、なんで教頭会議なんですか?』『なんか決めるんやったら校長さんとちゃいますのん』

 『坊ちゃん、知らんのかいな』『ボッチャン?』

 『漱石の作品や。あっこでも実際に学校を切り盛りしてるんは、例の赤シャツやろ』『実務は教頭が仕切ってる訳ですか?』

 『そや、分かりが早いやんか』

教頭会議の「話題」は、常に学校行事やお上からの通達などに関連したもので、節分の時期には、当然、次の「異動」が焦点になる。そんな公の会議を終えた後、世話役が気を利かせ年に数回、二次会を企画する。出席者の全員が流れる訳でもなく、やはり気心の知れた幹事たち数人で会食したのだと言う。そんな席上、次のようなやり取りがあったと、たけちゃんは言う。

 『学校の、エライさんたちが集まって、いろんな話をしてる訳や。そこでは教室、校舎の不足も話題になるわな』

 『なるでしょうね、きっと』『教室不足は共通の、緊急の課題やったでしょうから』

 『酒も入っていることやし、ついつい、エライさん達は、辛い胸の内を愚痴ることになるんや』

 『高校で勉強しようと頑張ってるもんが仰山おるのに、なんと、教室がない。校舎が足らん、情けないこっちゃ』

 『同席している人も、なんぞええ知恵はないもんか、と…』『思案六方やな』

そして誰言うとも無く、囁かれた文句があったのだとか…。

 『ホンマですかぁ、そんなこと、学校の先生が言うかなぁ!』

 『そやから、聞いた話や言うてるやないか、嘘かホンマなんかは知らんこっちゃ』

些か酔ったのか、それとも酔った振りをしていただけなのか、最古参の幹事は襖一つ隔てた調理場に、態と聞こえるような口ぶりで、こう言い放ち、同僚の一人が相槌を打った。

 『予算、予算とうるさいこっちゃ…。ほんでも、あれや、若し、燃えてしもたら、建てなしゃあないやろなぁ』

 『…、ほんまに、ほんまに。教頭先生は、巧いこと言わはるわ』

暫くして、その教頭たちが勤めている自治体内の高等学校で「原因不明」の出火が相次ぎ、校舎の建て替えが短期間に実現した。無論、生徒の急増対策としては間に合わないものもあったのだが、結果として「火事」が校舎・教室の増改築に大きな寄与をしたことに変わりは無かった。確かに、たけちゃんの言うように、

 『火は出たけど、周りの民家や工場・事務所などへの延焼は一例もなく』『関係者以外にも怪我人は一人として居なかった』

し、当直や宿直の先生には、出火の直前、どこからともなく「呼び出し」がかかったり、生徒の保護者を名乗る人物から電話連絡を受け、生徒の自宅を訪れたりして、災害に遭遇することは無かったと云う。何より「不思議」だったのは、各高校が「学校の宝」として大切にしていた品物の大半は、事前に別棟や学校関係者の施設に移動して保管されていたりしたため、学校運営に関わる重要な書類などを焼失する事態にいたることも皆無であった。

 『もういっぺん、暇があったら、火の出た日を調べてみたらええわ』『なんでですか?』

 『なんでもかんでも聞いたらええちゅうもんやない、兄ちゃんら、調べるのんが商売なんやろ』

 『なんかヒントを下さいよ』

 『…そうやなぁ、お月さんにでも聞いてみるこっちゃなぁ』『……?』

これで、月齢10日くらいでしょうか?

宿題の「答え」が合っているのか、どうしても確かめたくて『課長』通いを続けたが、彼は一向に姿を見せない。痺れを切らせてマスターに尋ねると、なんと、たけちゃんは、あの夜一度来ただけの客だという。私達より一時間ほど早く店に入り、看板近くまでねばって勘定を済ませたきりだと言う。オヤジがお愛想、常套句のつもりで挨拶すると、たけちゃんは『明日、田舎に帰るねん。そやから、もぉ、こられへん』と言い残して出て行ったらしい。偶然なのか、その夜と、学校で火災があった全ての夜の月齢が「10日」だった。

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