初めて飲んだその味は…
小学校の1年だか2年だか、ともかく半世紀ちかくも大昔のこと。いつになく早く起こされた男の子は、一年に何度かしか身につけない一張羅の洋服を着せてもらい、まだ、朝が明けきらないうちに家を出ました。当然、前の日に、今日の行く先を教えられていたはずなのですが、その場所をはっきりとは思い出せない。
と言うよりも、どのようにして、その場所までたどり着き、誰に会い、どんな話しをしたのか、記憶があいまいで、唯一、鮮明な思い出となっているものが「コーヒー事件」なのである。とある大都市の山手、と言うよりは山の中、山と山に囲まれた所に住んでいたので、町まで2キロの道のりをてくてく歩いたはず。それから市電(当時は、まだ市電が町中を走っていたのです)に乗らなければ目的地へは到着できなかったはずなのですが、行きも帰りも全く覚えてはいないのです。おぼろげな記憶はいきなり、白っぽい大きな建物の入口へと男の子を誘います。
建物が白っぽい割りに店内は茶系統で統一され、入口を入ったはずなのに、また、四角い扉のような板が丁度目の高さくらいに邪魔をしているのです。その扉は家で見る洗濯板のようなギザギザの切れ目のようなものが一面に入ったもので、その場所から出る時に、押して開ける扉だったことが分かりました。入る時は、勿論下を潜りました。

真っ白なテーブルクロスはレースの縁取りがしてあり、細長い瓶のような入れ物には花が一本だけ入れてありました。椅子は坐ると足が床に着かないほどもあり落ち着かなかったのですが、エプロンをした女性たちがこちらを見ながら笑っているように思われたので、居住まいを正したものです。自分で初めて注文した「コーヒー」がお皿に乗せられて目の前に置かれたとき、男の子は一瞬ためらいました。それまで見たことも無い真っ白で真四角いお菓子のような物体が2個、スプーンと一緒にあったからです。
角砂糖を食べてからコーヒーに取り掛かった男の子は、お店の人がコーヒーに砂糖を入れ忘れていることを是非教えて上げないと、後からくるお客さんに叱られると思い、意を決してエプロン姿の女性に話し掛けました−。
と、書けば、成るほど有りそうな話しだと思われるでしょうが、実際には、最初に角砂糖を1個ほおばった時、男の子は、未知の物体の本質に気付き、残りの1個だけをコーヒーに入れて飲もうとしたのですが、とても苦くて飲めません。そこで、角砂糖だけを追加注文したのでした。