正しい「」の見方? 正夢とは何だろう                              サイトの歩き方」も参照してください。

そんなものが此の世にあるのかどうかは知らないが、フロイト・ユングは勿論、従兄弟の部屋で見つけた何やら怪しげな夢占いの本・雑誌まで含め、一時期「夢」そして「脳」について書かれた文章を手当たり次第に読んだことがある。その理由は単純なもので、十代の後半から弱冠にかけ、よく正夢といわれる夢を見たからであった。

一度、二度くらいなら、まあ偶然ということで済ませられるのだろうが、ひどい時は年に何回も「正夢」に遭遇、100パーセント的中などと神がかり的な事はなかったものの、それでも半分以上は夢の世界で見た出来事が現実となった。初めの内、夢に見た内容が時を経て現実化するたび、一人でにんまり悦に入っていたのだが、何度か続くうちに、流石に気味が悪くなり、そして遂に、最悪の「夢」に出会うことになったのは、十代最後の年だったと思う。

  夢に見た内容が現実化する。  夢の中でもう一人の自分に出会う 。

 もう卒業したはずなのに高等学校?の制服を着た自分自身が、さして広くもない都会の舗装された街路を独りで歩いている。コートを羽織っているから季節は冬なのだろう。そして、もう一人、その様子を眺めている自分が、少し高い位置に居た(この二人目の意識が『もう高校は卒業したはずだ』と考えているのだろうか?)初め、雑踏の中に居たつもりだったのだが、気がつくと自分の周りには人っ子一人いない。そして、視界の中に一人の男性(だったと思う)が不意に入ってきたとき、一人目の意識が、何やら尋常ではない雰囲気を感じ、身構えようと歩みを止めた時、顔の見えない(見えていたのかも知れないが、その人物には表情というものが無かったように思えた)対向して来た人物の右手に刃物が握られている事に気付いたのだが…。

夢の中の出来事は再現したのか

腹部に刃物が突きささったままの自分自身が、スローモーションのように路面に崩れてゆく様を、もう一人の意識が眺め、そして、ただ眺めているしかない二人目の自分に苛立っている三人目の意識が登場していた。二人目か三人目か、どちらかは分からなかったが、意識の一部は非常事態に遭遇しながらも『これは現実ではなく、夢の世界での出来事なのだ』と、盛んに言い聞かせようとしていた。夢は覚めた。−−まだ、生きていた。

何を「正夢」と言うのか、その道の専門家ではないので勝手に解釈しているだけだが、要するに『夢に見た出来事が、時間を経て現実に生じる』現象を指しているのだろう。そして、これはデジャビュ(既視感覚)となって具体化することもある。何故なら、人は見た夢の全てを常に意識に上らせている訳ではないからだ。「初めて訪れた場所なのに複雑な道順が自然に分かったり」あるいは「初対面の人物が次に話す内容がわかる」といった類の経験を「既視感覚(既に見た記憶にある現実に遭遇する)」と言うのだが、皆さんの中にも体験した方があるのでは?

 夢を「お告げ」と解釈する人もありますね。

「正夢」だとするなら、自分の命は長くない、はずだった。だが、この夢を見たのは高校卒業直後であり、夢は過去の時間に戻った場面での出来事だったことになる。そう思った後、正夢は現れなくなった。ただ、頭の片隅には『今こうして存在を意識しているのは果して本当の自分なのだろうか?長い夢の続きを見ているのではないのか?』という懸念が残ってはいる。もっと言えば、現存在として意識していること自体が、誰か第三者(それが人であるのか、はたまた蝶であるのかは知らないが)の夢の世界の中の出来事ではないのかと…。

    トップページへもどる    
     
 人気のページ   お地蔵様の正体を探る   石川五右衛門の仲間たち   出雲の阿国は歌舞伎の元祖   オオクニヌシは居なかった   正しい古墳の作り方