正しい?不良たちの身嗜み                                        サイトの歩き方」も参照してください。

刑事モノの映画やTVドラマなどで、容疑者たちの名前を会議室(と思われる)のボードに書き連ね、主役ではない、かと云って準主役でもない(つまり、端役ですね)推理力とは最も縁遠そうな人物が、さも不思議だと言わんばかりに額に皺を寄せ小首をかしげ、唯一ともいえる次のような台詞を口にする場面をご覧になったことがあるでしょうか?

  『この内、誰が犯人だったにせよ、その動機が分かりません…』

食べ物や飲み物など、己の胃袋に入れるものの好き嫌いは、ある程度、記憶の中に埋没した過去を遡り、その「原因」となった出来事を「思い出す」ことで納得できる理由の一端を知ることも可能なのですが、随分と昔の、例えば数十年前の己の行動について、かつて、何故、そのような行為に及んだのか!明確な答えが見つからない…、そんな事も多々あるのです。(いえいえ、歳の性ばかりとは言えません)

ズボンの細さに注目  必須アイテムの数々

昭和30年代の半ば、兵庫の小都市から山陰の田舎町に移り住んだ中学生が巻き起こすドタバタ劇の顛末は『田舎中学三文オペラ』や『正しいトランペットの吹き方』などで詳しく語られていますが、当時、少しでも「学校の先生」たちから何らかの指導を受ける生徒は『不良(ふりょう)』と見なされていました。つまり「良」ではない存在、と云う事なのですが、先ず第一に「不良」であるためには身嗜みに注意しなければなりません。ここで「身嗜み」とは、学校が定めている様な「普通」の学生服を着用していては、もう不良「失格」だと云う事です。上で紹介した三人の生徒たちは、まだ本物の不良には程遠い存在なのですが、それでも彼等の穿いているズボンのラインには「苦心」の痕が見られます。そして、何故か一時期、生徒たちの間で「高下駄と腰手ぬぐい」のスタイルが持て囃されました。

戦後(第二次世界大戦の後)、進駐軍が持ち込んだ「文化」の一つに「洋楽」があり、その中でも1950年代の半ばごろ(昭和30年前後)に軽快なリズムがウリの「マンボ」が流行したのです。年配の読者たちなら『マンボNO.5』とペレスブラード楽団の名前を覚えていることでしょう。脚に纏わり付くような細身のスラックスを称して「マンボズボン」と呼んだのは、バンドマンたちが好んで細いズボンをはいたからだと言う「お話し」が残っていますが、1956年に第34回芥川賞を受けた石原慎太郎(いしはら・しんたろう,1932〜)の『太陽の季節』が映画化され、都会では「太陽族」なる若者達が出現していたことも「不良」たちには、とても刺激的な出来事と映っていたに違いありません。

不良たちは、この様に世の中の流行にとても敏感だったので、音楽への関心も浅からぬものがあったのですが、その頃、人気のアイテムと言えばギターとペットでした。そうは云っても、未だトランペットは誰でもが手にする程、一般の家庭に普及していた訳ではありませんから、もっぱら不良を気取る若者はギターを手に、友と語らうのです…。ギターは云うまでも無く楽器なので本来の目的?は曲の演奏にあるべき処、例え弾けなくとも、只手にするだけでも許される「雰囲気」があったのです。上の画像でも、ギターが一つのアクセサリーとして写っていますね。それにしても、中学生たちがナニゆえ高下駄と腰手ぬぐいを「カッコいい」と思ったのか?(尚、ギターについては、もう少し年代を遡り、古賀メロディでお馴染みの古賀政男[こが・まさお,1904〜1978]の影響も考慮すべきかも知れません)

「日活」のポスターに見るスターたちの画像

映画の世界、スクリーンに展開され、表現された暮らしぶり・服装・言葉・音楽などあらゆるものが情報の固まりでした。何とは無く銀幕の世界そのものが「虚像」である事に気づきながらも、尚、都会のどこかには在るかも知れない「夢」の世界……を探し続けていた「不良」少年が沢山居たのかも知れません。閑話休題(それはさておき)。戦後間もない1947年、石坂洋次郎(いしざか・ようじろう,1900〜1986)が「朝日新聞」に連載した小説『青い山脈』は、昭和24年以降五回映画化されているのですが、管理人たちの世代が目にしたのは日活が昭和38年に高校生の新子(吉永小百合)と浪人(浜田光夫)、大学生(高橋英樹)の三人を主役に抜擢した1963年版の作品です。そして同じ年、川端康成(かわばた・やすなり,1899〜1972)原作の『伊豆の踊子』も吉永・高橋のコンビで日活がリメイクしています。また、ギターに限って、その「情報源」と思われるのが、これらの「青春もの」より少し先行する日活のアクション・シリーズ。中でも、何故か(つまり理由なく)いつもギターを持って登場する主人公を好演?した小林旭(こばやし・あきら,1938〜)の『ギターを持った渡り鳥』(1959年)こそ原点ではないでしょうか!

……、都会ではなく田舎町の片隅に住んでいたとしても「不良」としては、人よりも「目立つ」格好をしていなければなりません。そして若者は何時しか学校・先生と対立する存在へと「成長」して行きます。映画の世界が、少しずつ現実のものとなったのです。田舎の中学校にもブラスバンドが創設され、他校との交流試合などの折には臨時の応援団を構成することもありました。学生帽に腰手ぬぐい、そして高下駄ばきというバンカラを真似て校内を闊歩したのは、何時の日の出来事だったのか、茫洋・茫洋。

      
     
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