燃えるオートバイの正しい消し方                  サイトの歩き方」も参照してください。

昭和30年代の後半、一般家庭の高校生が新品のオートバイを手に入れることは極めて希であった。というより親に買うだけのゆとりがなかったと言ったほうが良いのかも知れない。日本全国通津浦裏すべてがそうだった、とまでは言わないが、少なくとも農林高校に通っていた従兄弟の友達でバイクを持っている者は、圧倒的に少なかった(この日本語は、少しおかしい?)。

とある田舎町の民家・離れ座敷、集まった数人の高校生仲間が、脈絡の無い会話のためだけの会話、面白くも無い会話、少しだけ笑える会話そして今日のために考えてきた、とっておきの自慢話をだらだらと続けている。勿論、4年生にもなっているので安物ウィスキーの大瓶が1本、座の真ん中に据えてある。最近覚えたコーク・ハイなるもの、少少小遣いの減り具合が気にはなるが、この味には代え難いものがある。アルコールそのものが必要な訳ではない、ただ、大人のように振舞いたいだけなのだ。だからといって若い者たちに『ほどほど』という言葉も通用しないのが現実。

道は果てしない。どこかで伝説が生まれる。

ひとしきり自慢話が済んだ後、酒の肴が足りなくなった。じゃあ、お前、買って来いという事になりバイクのキーを須藤君から借り受けた。赤い顔の須藤君は、何度も何度も安全運転についての注意を繰返した後、妙な一言を付け加えた。

『俺の愛車は、俺にしかかけられんかも』

少し方言のようなニュアンスが混じってしまったので通訳すると、つまり、エンジンの掛け方に独特のコツがある、と彼は忠告してくれたのです。裏の土手に停めてあるバイクは確かに逸品、それまでお目にかかったことのない代物で、恐らく須藤君が所有者として名乗りを上げなかったら、とっくの昔に廃材置場に投げ込まれたと思われる年代物のランペット。古色蒼然という四文字熟語が脳裏をかすめたのですが、物を大切にすることにかけては人後に落ちない持ち主の手によってボディは無論のこと、タイヤ、マフラーそしてスポークの一本一本までピカピカに磨き上げられている様は、正に壮観でありました。

キーを差し込み、おもむろにキックするのですが、この文化財ウンともスンとも言わないのです。十数回も蹴り倒した後でしょうか、いつもの静かな笑みをたたえた須藤君が『やっぱりお前には無理だろう』という顔付きで姿を見せました。伝説が生まれたのは、その直後のことです、それは突然に始まり、感動のうちに終息しました。愛車のすべてを嘗め回すように一瞥した彼は、キックにも愛情を込めていたに違いありません。本当に愛車ランペットのエンジンは一発でかかったのです。ただ、その愛が余りにも熱いものだったので、そして真夏の午後だったので、エンジンの始動と、ほぼ同時に車体から炎が上ってしまったのでした。

『ボッ』という音と共に愛車を包んだ炎はエンジン部分から出ているように見えました。一部始終を傍で眺めていた薄情な友人たちは口々に「川に放り込め」と叫ぶのですが、独り須藤君は燃え続ける炎に自分の吐き出す息で対抗し、愛車を数十メートル押し続けることによる空気抵抗も利用しながら消火活動を単独で実践、遂に火災を鎮圧したのでした。

悪友たちの爆笑に憮然とした面持ちで立ち尽くす須藤君が、一瞬、大きく見えたものです。これは、本当に在った話です。

   
   
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