仁王さんと天女は親戚筋に当たるのか                     サイトの歩き方」も参照してください。

今日は秋の大運動会、クラスで負けなし、地区の学年別短距離走でも常に一二の健脚を誇る貴方は赤組の400メートル・リレーのアンカーに選ばれました。競技種目も紅白対抗リレーと父兄参加の大綱引きを残すのみ。得点差は、ほんの僅かで、このリレーに勝ったチームが優勝する公算が大。選手入場門に控えている貴方たちに応援団の大声援が送られています。進行係の生徒に促され、マーチのリズムに合わせて勢いよく入場しようとした貴方の脳裏を、予行演習でバトン・リレーを失敗した風景が一瞬よぎりました。『本番では絶対に負けない』不安を拭い去るように、貴方は深紅の鉢巻(はちまき)を今一度、固く締めなおします。

と、まぁ、小説風に書き出すと、こんな具合になるのですが、でも、どうしてリレーに限らず様様な競技の時、みんな決まって鉢巻をするのでしょう?運動の時ばかりではありません。今は、余りTVでも見かけることが稀になりましたが、時代劇で仇討ち(あだうち)を演じる主人公たち(それも仇の方ではなく、仇を討つ方の人物)は、必ず真っ白な鉢巻をしていますし、何かの病気で床に伏せっている、見るからに元気のないお殿様は、どの劇を見ても大抵、紫の鉢巻をしていたものです。若い読者の皆さん方は、きっと、そんな映像はご覧になったことがないと思いますので、お馴染みの浮世絵で、鉢巻がどのように使われているのか、紹介してみましょう。まず、仇討ちの場面から一つ(下の仁王様は法隆寺のものです)。

  この場合、鉢巻は正面が結び目になります  助六の鉢巻  仁王様

今(平成の世)でもそうですが、普通「鉢巻」と表現される一般的な着用のスタイルは、上の人物のように正面できっちりと結ぶもので、リレーなどで私たちが頭の後ろで結ぶやり方とは異なっています。ただ、鉢巻でも特殊なもの、特に戦闘用のものは「布に取り付けた板状の金属で額(頭)を護る」役目がありますから、後ろ結びになります。次は、病気のお殿様の番ですが、あいにくWEBでは適当なものが見つかりませんでした。その代わり、全く、同じように鉢巻を使用している有名人?が居ましたので、ご覧ください。ここで紹介しているのは歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』の主人公・助六(実は源氏に伝わる名刀の「友切丸」を探索している曽我五郎)です。

一口メモ=歌舞伎の人気者・助六は「助六寿司」の由来にもなっています。これは助六の彼女が三浦屋揚巻(みうらや・あげまき)という名の花魁だったからで「あげ」が「稲荷寿司」の油揚げ、そして太巻きの「まき」という語呂合わせになっています。関係は有りませんが関西ではアゲ入りのウドンを「しのだ」と言います

彼の場合、別に頭痛がするから鉢巻をしている訳ではなさそうで、恐らくお洒落のつもりなのでしょうが、色は確かに紫です。リレーの主役だった貴方たちは勿論「紅白」の鉢巻を締めていたはずですが…、では、それぞれの鉢巻には何か共通したところがあるのか、というのが今回の主なテーマになります。前置き口上が長くなってしまいましたが、鉢巻には頭部を締め付けることによって緊張感をもたらし、人の意識を瞬間的に高める効果があるのかも知れません。だから、なにか大切な場面に臨む時、人は昔から鉢巻(状のもの)を用いてきたのです。では、その起源がどこにあるのか、そう思ってWEBを何日もうろつき回ってみましたが、これ、という答えに出合うことは出来ませんでした。

リボンは「なる力」の象徴なのか?

閑話休題、話は急に変わりますが、昔読んだ松本清張(まつもと・せいちょう,1909〜1992)の文章で、鉢巻ではありませんが、リボンについての興味深い示唆がありました。今、原文が手許にはありませんので正確ではありませんが、その主旨は、

    リボンの起源は古く、元々は神の力(聖なる力)を象徴するものだった

といった内容のもので、古代から人々は神様の持っている偉大な力にあやかってリボンを着用してきたのだ、という考えを述べたもので、当時、古代文明や地球外文明に強い興味を持っていたこともあり、この話が妙に印象に残ったのです。詳しい説明は省きますが、海外(史学者の石田幹之助は、その源流をササン朝ペルシャだとする『東亜文化史叢考』)から伝えられた聖なる意匠としてのリボン(のようなもの)が、日本国内で使われた最も古い例としては法隆寺の橘夫人念持仏厨子扉絵(観音像)があり、長谷寺の千仏多宝塔銅版絵(仁王像)も、その一例だとされています。特に、橘夫人観音像の場合は、観音さまがリボンを頭に鉢巻のように巻きつけ、長いリボンの端が左右にひろがっているそうなのですが、その現物を見たわけではありませんので、想像するしかありません。ただ、リボン(状の布)のような聖なる着衣ということなら、皆さんも直ぐに天女・羽衣を思い浮かべるのではないでしょうか。では、次の画像を見てもらいましょう。

      いずれも「飛天」(法隆寺) 天女

もう説明するまでも無いとは思いますが、これが、所謂「天女」の原型であり、羽衣(はごろも)の原点だと言えそうです。(右の飛天像の下肢の辺りから上になびきながら伸びている部分は、明らかにリボンです(結び目もはっきりと分かります)。また、左の飛天の額にある飾り模様も鉢巻と見ることが出来なくもありません)これらの飛天は左が「法隆寺阿弥陀三尊像・後屏に鋳出されている五つの飛天の内の一つ」であり、右のものが「玉虫厨子・須弥座の正面供養図」をそれぞれスケッチしたものです。また、天人ではありませんが、異国風の頚にリボンを結んだ鳥=霊鳥をデザインしたペルシャ(イラン)のガラス皿(下図・左)が、奈良・新沢千塚古墳126号から出土しています(同じ新沢出土のガラス椀に大変良く似た物が伝・安閑陵出土品にもあります)

安閑陵       伝・安閑

「飛天」は、その名前の通り「宙を飛行する天人」ということですから、彼等は、その身にまとっているリボン状の着衣(羽衣)の聖なる力によって天空高く舞っていられるわけです。そのような無比の神通力を持っているはずの飛天なのですが、これが日本国内に定着して天女(てんにょ)伝説になると事情は一変します。国内で最古の羽衣伝説は『丹後風土記』(たんごふどき)逸文に残されたもので、物語の主旨は、

    丹後の比治の山(いさなごやま)の頂上に真奈井(まない)という池がある。

    この池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしているとき

    里人の和奈佐(わなさ)という老夫が一人の天女の衣を隠し、無理やり家に連れ帰った。

    一緒に暮して十年あまり、万病に効くというを天女が造り、和奈佐の家は栄えた。

    しかし、和奈佐は邪魔になった天女を家から追い出し、
  天女は泣く泣く荒塩の山に辿り着き、のちに奈具の村に落ち着いた

というもので、およそ天を飛行する超能力を持っている者とは思えないほど「か弱い」存在として描写されています。もっとも、これは、あくまでも天女のお話なのであり、先ほどから見てきた飛天とは別にして考えるべきなのでしょう。ただ、この丹後・羽衣伝説で興味深い言い伝えは、この羽衣を隠された天女の一人こそが豊受大神(とようけのおおかみ)だ、とされている処です。この神様については別のページ(「稲荷神社のキツネくん」で詳しく紹介していますが、もともとが食糧(うけ)の神様で、伊勢神宮の外宮に祭られている古い神様なのです。丹後ではお酒の神様という性格も合わせて伝えられているようですが「万病に効く」というのは不老長寿伝説が形を替えたものなのでしょう。いずれにしても、ここでは古来からある豊穣の神様としての一面と、伝来した飛天の象徴が合体して、日本的な天女の言い伝えに発展したものだと考えることができます。また、お酒造りの面から見れば、風土記逸文に、天女の酒造りを、

    善く酒を醸(か)みつくりき。一杯のめば、吉く万(よろず)の病いゆ

と表現していますから、稲荷神社のところで触れた松尾神社のカミサマ(秦氏の氏神で、こちらもお酒の神様だとされている)ともなんらかの繋がりがあるのではないかと想像することができます。それは酒を造る行為が「かみ・かむ」と表されているところから、この音と極めて良く似た苗字の「賀茂」(かも)氏及び賀茂という地名の土地との関連が容易に推測されるからに他なりません。(カモについては大和の葛城を本拠地とした鴨氏も居り、氏族の祖も異なるようです)

一方、リボン本来の『聖なる力』は、仏教芸術の中で幾つも見事に表現されてゆきますが、力の巧みな造形という点で仁王さまを上回るものはないでしょう。「仁王さんは天女みたいな衣は身につけていない」「仁王は甲冑で身を固めている」「仁王さんは裸のはずだ」「第一、男の仁王にリボンは似合わない」−−などなど、いろいろな声が大向こうから今にも聞えてきそうなので、証拠写真を出す事にしましょう。左は龍水寺大日坊(山形県東田川郡朝日村)のもの、そして右は善法寺(山形県鶴岡市)の極彩色で着飾った仁王さんです。(撮影者は『ぽっくるキャベツ』の管理人・だだちゃん

   仁王様  法隆寺の仁王様   PR

どうですか、お分かりになりますか?仁王さんの両脇から肩そして頭の後ろに続いている、流れるような裳が眼に止まったでしょうか。仁王さんは本名を金剛力士といい、大抵、山門の中で仏様に害を及ぼす者が寺の境内に侵入しないように護りを固めている伽藍の守護神です。誰かが指摘していたように甲冑を身につけた像もあるのですが、一般的には上・左の画像のような半裸の姿をしています。この裳というか、襷にも見える衣が飛天のそれと同類の象徴だとするなら、仁王さんも本当は空が飛べるのかも知れません。今、何気なく「襷」(たすき)と言いましたが、襷の原点も飛天の衣に求められる性質のものと言えそうです。では、西域から伝えられたというリボン(聖なる力の象徴)が、日本では、どうして鉢巻や飛天・天女の羽衣そして襷などといった着衣の形に変化したのでしょうか?その、答えのひとつが、古来からある「むすび」「むすぶ」という言葉から推測されそうです(古代史に登場する神様の名前にもムスビは多く見受けられます)。

「むすび」は「結び」の霊力かも知れない

この「ヤマト・オノコロ交響曲」では、これまでに幾度となく古事記・日本書紀について語ってきましたが、記紀神話を基本にした神々の系図では、オノコロ国が誕生するときに最も早く現れたのが「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)で、その次に現れた「高御産巣日神」(たかみむすびのかみ)「神産巣日神」(かみむすびのかみ)の二神を加えた三人の神様が全てを造られた、ことになっています。作家・松本清張は、その著書『私説古風土記』の中で、

    わたしはこれ(むすび=産まれる、という考え)に疑問で、ムスビは「結び」ではなかろうかと思っている

と明快な指摘を行っていますが「むすび」に「結ぶ」という概念、そして「結び(結ぶという行為そのもの)に込められた霊力、聖なる力」の意味合いが色濃く反映されていることも確かですが、現在でも日常の言葉として語り継がれている、

    苔むす  草むす

などの「むす」、つまりは「生い茂る」「一面に広がる」という、古い言葉が当初から持っていた「生まれ出て、広がる=勢いを増す、繁栄する」有様、命の芽生えと成長という意味(自然の持つ力への畏怖・敬い)も併せ持った言葉なのではないかと管理人は考えるのです。この場合「むす」と「むすび」そして「聖なる力の象徴としてのリボン」の三つが、仏教という大きな思想の中に取り込まれ、そして普遍化してゆく過程で、飛天や仁王さんに見られるような意匠が生まれ、一般の人々もそれにあやかり鉢巻・襷やリボンを身につけるようになった、という訳です。さらに、もう一つ言葉の面で付け加えるとすれば、紀州の熊野三山のひとつである熊野那智大社とのつながりも見逃せません。このシリーズの読者なら御存知のはずですが、熊野は出雲とも縁の深い、そして古い神々たちが暮している土地柄で、那智大社がお祭りしている神様は「夫須美神」(ふすみのかみ)という名前で、同神社によれば「農林、水産、漁業の守護神」であり「縁結び」の神様として崇められています。この「夫須美神」は別名「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)とされていることから万物の生成をつかさどる「むすびのかみ」であることは明らかですから「むす」と「ふす」は元々同源の古語だったのかも知れません。

さて、リレーの結果は果たしてどうだったのでしょう。仁王さんの神通力は発揮されたのでしょうか?!

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