夫婦で沢山の「神々」を産み続けていたイザナギ・イザナミでしたが、神産みの終わりごろ火之迦具土神(ひのかぐつち)を生んだことが原因でイザナミは遂に亡くなってしまいます。一人の子供の命と引き換えに妻を亡くしたイザナギは大層悲しみ、嘆いたあげく火之迦具土の頸を斬ってしまったりもするのですが、イザナミは『出雲国と伯伎国との境の比婆の山』に葬られました。でも、どうしてもイザナミに逢いたい気持ちを抑えられなかったイザナギは、とうとう黄泉国まで出かけたのです。「古事記」によれば、黄泉国(よみのくに)の入り口までやってきた彼は、
愛しい妻よ、貴女との国作りは、未だ終わっていない。還ってきておくれ。
と呼びかけるのですが、それに対して妻のイザナミは、
早く来ないから、もう、黄泉国の食べ物を頂いてしまったわ。
だけど、ここの神様と交渉してみるから、ちょっと待ってね。覗いたりしたらだめよ!
と答えました。流石にカミサマ同士のことですから、甦りも交渉次第だったのですね。さてお立会い、この後イザナギは、一体どうしたでしょう?クイズ番組では、そんな運びになりますが、ここでは時間の流れに従い、お話を進めます。上の会話の中でイザナミが言った『我を、な視たまひそ』(私を見てはいけません)が禁忌、つまり「してはならないこと」を象徴している訳で、古いお話には禁忌を破った結果、悪いことが起こった、という形の表現が幾つも見られます。初めのうちは大人しく待っていたイザナギも、余り長い間返事がなかったもので、つい、痺れをきらせ黄泉の国に入り、変わり果てた妻の姿を「視て」しまいました。『見たなー』と、その時彼女が言ったかどうか分かりませんが、
よくも私に恥をかかせたわね(吾に辱見せつ)
と叫んで、逃げ帰ろうとする夫を豫母都志許売(よもつしこめ)に追撃させたのは確かです。また、食い意地がはった「しこめ」の生ぬるさに業を煮やしたイザナミは、自分の分身とも言える八柱の雷神に大勢の黄泉軍(悪霊や邪鬼の軍勢)まで投入して夫イザナギを追いかけ黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓に迫ります。その時、イザナギは「たまたま」坂の本に生えていた桃の木から「実を三つ」取り黄泉軍に投げつけたところ、悪霊たちは悉く退散したのです。ほっと安堵したイザナギは桃の実に意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)の神名まで与えて感謝の意を表しました、ということで今回の主役は「桃」なのです。
或るTVの報道番組で解説者の一人が、四半世紀程前に放映された娯楽作品が欧州の或る国で放送されていることを取り上げ『日本製のアニメと同様、ドラマも高く評価されており視聴者から好評を得ている。日本文化を外国人にもっと知ってもらうためにも、より多くの番組を輸出すべきだ』と大真面目に論じていましたが。その番組の題名が「モンキー」であることは余り問題になりませんでしたが……。閑話休題、WEBで調べてみるまで、三人(三匹)の名前は、皆てっきり観音様に付けて貰ったものだとばかり思っていました。そうです、あの、『西遊記』で活躍する面々のことです。
考える猿?(高村光雲作)
桃の木、そして桃の実に「邪気・邪鬼」を払う霊的な力がある、という思想というか俗信が大昔からあったことが、お隣の大国の古書『山海経(せんがいきょう)』(著者は不詳。戦国時代から秦・漢の時代に成立したものと考えられている。西暦で言うと紀元前五世紀から紀元三世紀頃に当たります)の記述からも分るのですが、西遊記に戻ります。この大宇宙は十三万年余を一つのサイクルにした輪廻の構造を持ち流転しているのだそうで、その中に存在した東勝神州・傲来国の近くの海に聳える花果山が彼の古里でした。岩だらけの山頂にあった石から一つの卵が生まれ、その石の卵から一匹の猿が生まれたのです。猿社会の王様(美猴王)になり何不自由なく暮らしていた或る日、猿は突然、哲学的な思いにとらわれ、生き物の生死・命について深く考え込んでしまいます。王の怪訝な行動をいぶかしんだ家来の物知り猿から「仏と神と仙人」の話を聞いた猿は「不老不死の術」を求めて修行の旅に出立することを決意します。これが「西遊記」の始まりです。
三蔵法師こと玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう)との出会いは、それからずっと後のお話になりますが、管理人が「孫悟空」の名前を観音様に付けて貰ったと勘違いしていたのは、彼ら三人(三匹)がお釈迦様の大切な経文を求めて旅をする玄奘の弟子として認められた、その時に名前を貰ったものだと思い込んでいたからなのですが、齊天大聖を自称する以前、孫悟空の名前を彼に与えていたのは釈迦十大弟子の一人・須菩提(すぼだい)祖師という人物だったのです。須菩提は「解空第一」つまり仏教の教えの中でとても大切な「空」の意味を最も良く理解していた弟子とされている人ですから「悟空」の命名者としては最適の存在であると「西遊記」の著者が考えたのも無理ありません。しかし、お釈迦様の偉いお弟子さんが方寸山の三星洞に住み、猿に「仙術」を教えたという筋書は、正に荒唐無稽と言う外ありません。(三匹のお供の名前が孫悟空、猪悟能(八戒)、沙悟浄であり、それぞれが『悟』の一字を共有しているのは三匹が兄弟として扱われていることを意味します。そして『悟』が『さとり』そのものです)
旅姿の三蔵法師
さて、その孫悟空と桃に関わるお話は次のようなものです。名前を貰い、仙術も会得した彼は、やがて天界の一員となるのですが、別段これといってやるべき仕事も無く、毎日を無為に過ごしていました。それを見かねた天界の主人・玉帝(ぎょくてい)は「元サル」に相応しい仕事として果樹園の管理人に任命したのです。ところが、そこは西王母(せいおうぼ)が所有していた蟠桃園(ばんとうえん)で『九千年に一度熟す桃の樹』千二百本が植えられていたのです。そして…、そう、皆さんが今想像されたようにサルいや孫悟空は「天地のあらん限り生きながらえる」ことの出切る大切な桃を勝手に食べてしまうのです。西王母の誕生日は蟠桃会と呼ばれ、お祝いに訪れた客人に不老不死の桃を振舞う仕来りだったのですが、不埒なサルの所業が発覚、天界は大騒ぎとなったことは言うまでもありません。それから西王母の誕生日が三月三日だということも…。玉帝の家来相手に大暴れをする孫悟空も、お釈迦様の力には適う訳もなく、捕らえられ五行山に閉じ込められます。玄奘との出会いは、未だ先のことです。
三蔵法師の「三蔵」は仏教の聖典である経蔵・律蔵・論蔵の三つを総称したもので、三蔵法師という言葉自体は「三蔵に通暁した偉いお坊様」という意味だったのですが、あまりにも「西遊記」が人々に愛読されたため玄奘(602〜664)その人の代名詞のようになりました。また、その玄奘も孫悟空と一緒に語られる機会が多く、物語の登場人物の一人であるとか、神話時代の人物であるなぞといった記述もあるようですが、彼は七世紀の唐を代表する学僧で、皇極天皇(594〜661)とほぼ同世代に属しています。つまり聖徳太子の次の世代というわけです。
日本一の桃太郎、お供を連れて鬼退治
UFOのページに登場してもらった曲亭馬琴(きょくてい・ばきん,1767〜1848)は桃太郎の原点を『保元物語』の中に求めているそうですが、日本で桃太郎の鬼退治が一般的な説話として庶民に広く親しまれるようになったのは江戸中期以後。川上から『どんぶらこ、どんぶらこ』と流れ着いた大きな桃から生まれた桃太郎が猿、犬、雉のお供を従え「鬼が島」に出陣、目出度く鬼を退治して沢山の宝物を育ての親に持って帰る、そんな筋書きを皆さんも覚えておられることでしょう。ただ、そのストーリィについては時代により変化が見られたようで、元々は「霊力」のある「桃」を食べた老夫婦が若返り、その結果、子宝にも恵まれた、という不老不死伝説を下敷きにした大人向けのお話だったとする解説がWEBに掲載されていました。
ただ、鬼退治に出かけてゆく主人公のお供、つまり家来が何故「猿・犬・雉」という一見頼りない動物たちの組み合わせになっているのか不思議でならなかったのですが、これについては陰陽五行説の考え方から説明ができるようです。「五行」とは宇宙の構成を「木・火・土・金・水」五つの元素とする思想ですが、霊木・桃は、その五行で言えば「金」に対応する果実。そして「金」に対応する方角が「西」であることから、これを十二支にあてはめると「申(猿)・酉(鳥)・戌(犬)」で、お供の動物ともぴたりと一致します。「西」の方角を支配していた神様は誰でしたかね?そうです「西王母」ですよね、そして桃を盗み食いした孫悟空がお釈迦様によって押し込められた山が「五行山」でした。いつもの蛇足ですが、西遊記によれば「人参果」と言う長寿をもたらす果実があり、それは人間の子供そっくりの形をしていたそうです。だから、その実を勧められた三蔵法師は食べなかったのですが、弟子の三匹は勿論ペロリと平らげました。いま食用野菜として知られる「ニンジン」も、この人参果に由来するのかも知れませんね。