オオクニヌシの系譜とについて               「サイトの歩き方」も参照してください。

オオクニヌシという神様には「大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志国玉神」という五つもの名前があると古事記が伝え、その妻子・子孫たちについても詳細な記録が記されてはいるのですが、彼の神裔と称する神々の名前は一見尤もらしく思えるものがある反面、中々その意味している内容については判別しかねるものも少なからず混在しています。大国主命の系譜が難解な理由の一つが「神格の合成」あるいは「意図的な混淆」にあると筆者は考えていますが、これまで何度か錯綜した系図の解読が出来ないものかと取り組んではみたものの、此れまでのところ謎の解明には成功していません。しかし、古代史探求の楽しみの一つが無尽蔵とも言える資料探しにあることも又事実で、偶然、思いがけない名称を「発見」した時などは、まるで宝石の鉱脈に辿り着いたかのような喜びを感じるものなのです、それはさておき。神統譜など、よほどの歴史好きでない限り、ほとんどの方は見聞きしたことがないと思われますから、オオクニヌシの系譜のどのような所が謎めいているのか、簡単な説明をしながら話を進めて行きます。

古事記はアマテラスとオオクニヌシ一族との国譲り交渉を詳細に述べると同時に、大国主命の子孫たちに関する事柄も克明に記録しており、多紀理毘売命との子供たち(阿遅鉏高日子根神、高比売命)、神屋楯比売命との子(事代主神)に続けて、八島牟遅能神の娘・鳥耳神との間に生まれた①鳥鳴海神の系図を以下のように続けて記しています。(註・:文末に見える八島士奴美神という名前の神様はスサノオと櫛名田比売との間に生まれた一柱です)

  この神、日名照額田毘道男伊許知邇神を娶して生める子は、②国忍富神。この神、葦那陀迦神、またの名は八河江比売を娶して生める子は、
  ③速甕之多気佐波夜遅奴美神。この神、天之甕主神の女、前玉比売を娶して生める子は、④甕主日子神。この神、淤加美神の女、比那良志比売を娶して生める子は
  ⑤多比理岐志麻流美神。この神、比比羅木之其花麻美神の女、活玉前玉比売神を娶して生める子は、⑥美呂浪神。この神、敷山主神の女、青沼馬沼押比売を娶して
  生める子は、⑦布忍富鳴海神。この神、若盡女神を娶して生める子は、⑧天日腹大科度美神。この神、天狭霧神の女、遠津待根神を娶して生める子は、
  ⑨遠津山岬多良斯神。右の件の八島士奴美神より下、遠津山岬多良斯神より前を、十七世の神と称する。

  亀井家系図より  

  三上氏系図より  興石系譜より

これらの系譜の何が謎なのかと言うと、先ず、難解で意味不詳の神名そのものが挙げられますが、何より不思議なのが同じ名前の神々が「国を譲らせた側」つまりアマテラスの子・天津彦根命の系図にも登場している点なのです。少しでも古代史の資料を読んだ方なら、スサノオとアマテラスが「誓約(うけい)」をした結果、それぞれの持ち物(十拳剣と八尺の勾玉)、から「生まれた」五柱の男子の一人が天津彦根命であることを知っていると思いますが、彼の子孫には凡河内国造、額田部湯坐連、山代国造、高市縣主などが存在します。滋賀県・御上神社の社家である三上祝家などの伝承をもとに天津彦根命の系譜を記すと次のようになります。

  天津彦根命ーー天御影命ーー意冨伊我都命ーー彦伊賀都命ーー天夷沙比止命ーー川枯彦命ーー坂戸彦命ーー国忍富命ーー大加賀美命ーー鳥鳴海命

二つの系図を並べてみるまでもなく、双方には「鳥鳴海と国忍富」という全く同じ名称を持った二柱の祖先名が記され、三上氏の系譜から「坂戸彦命の娘である新河小楯姫命」が物部氏の宗家に嫁いだことも明らかになっています(伝承に一部混乱があり、新河小楯姫は出石心大臣命あるいは鬱色雄命の妻)。今回の「発見」は、上の段で紹介している亀井家(穂積姓、物部氏)の系図に『大水口宿禰の母、新河小楯姫は額田毘道男の娘』という註文があり、三上氏の祖先の一人である「坂戸彦」がオオクニヌシ神裔に登場する「日名照額田毘道男伊許知邇神」と同一神ではないかという推測の裏付けが取れたことでした。しかし、若しもその考えが正しいとしても未だ謎は残ります。何故なら、古事記が記した大国主命の系譜には『オオクニヌシと鳥耳神の子である鳥鳴海神』の配偶者として同神の名前があり、天津彦根命系の系図にある「国忍富命の孫・鳥鳴海命」という伝承とは全く相いれない世代間逆転の深い溝が横たわっているからです。更に、混乱に拍車をかけているのが「鳥耳命」という神様の存在で、古事記は「八島牟遅能神の娘」だとしているにも拘わらず、三上系譜では同神を鳥鳴海命の次の世代に置いているのです。

天津彦根命の血脈を受け継いだ娘たちが草創期の物部氏に相次いで嫁ぎ、跡取りを生みましたが「先代旧事本紀」を初め同氏の伝えた一族の系譜に様々な「混乱」が見られる背景には帝室自身の系譜改編あるいは造作があると考えられます。つまり後世「手を加えられた大王たちの歴史、事跡」に合わせるため、豪族各氏が自らの祖先たちが伝えた伝承を変えざるを得なかったのだろうと言うことです。端的に言えば「実際は親子ではなく兄弟」だった二人が系図上「親子」に書き換えられれば、それだけで「一世代」分の誤差が生まれ、そのような改編が複数の箇所で行われれば実像との乖離は相当大きなものとなるでしょう。『諸系譜』に載録された「東国諸国造(伊勢津彦之裔)」には、

  意美豆努命ーー天穂日命ーー天夷鳥命(一、武日名照命)ーー伊佐我命(一、櫛八玉命)ーー津狭命ーー櫛甕前命ーー櫛月命ーー櫛甕鳥海命ーー櫛田命

と繋ぐ系図があります。天穂日命と言えば、アマテラスから葦原中国を「言趣ける=平定する」ために遣わされた神様で、正真正銘の天孫族のはずなのですが、ここでは出雲の国を作り上げたとされる八束水臣津野命(古事記は大国主命の祖父とする)の「子」に位置付けられているのは、出雲国造を肇とする出雲臣の一族が「昔から」地域最有力の存在であったと主張するためだったと思われ、この様な系譜の修飾・改造は他の豪族各氏でも行われたに違いありません。また、読者の皆さんも既にお気づきのように、上で見てきた「日名照額田毘道男伊許知邇神」の「日名照(ヒナテル)」は明らかに「武日名照命」の称号と呼応した名称であり、ここからも「天穂日命」という神様が天津彦根命と同神であり、更には各々の子である「天夷鳥命(武日名照命)」「天御影命(天目一箇命)」も又、同じ神様の異名であることが分かります。

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