第1楽章  オオクニヌシと出雲大社 (photo by misako)                               サイトの歩き方」も参照してください

『雲太、和二、京三(うんた、わに、きょうさん)』と聞いて心当たりのある人は、元々関西にゆかりのある方か、それともかつて学校の歴史・日本史の授業を居眠りしないで受けていた真面目?な方であるに違いない。この謎謎のような言葉は10世紀の貴族・源為憲(みなもと・ためのり,?〜1011)が、当時の公家の子弟たちに副読本として与えた『口遊』(くちずさみ)から抜粋したもので、その意味している内容は

  出雲太郎=出雲大社  大和二郎=東大寺大仏殿  京三郎=平安京大極殿

の三つの建物が当時として最大のものであり、中でも出雲大社の本殿が一番巨大(高い建物)であるというものです。ところで最近、この言い伝え(高さ16丈=48メートル)を立証できるかも知れない発掘が出雲大社でありました。出雲といえば縁結びの神様・オオクニヌシの本拠地、ということになっていますが、そのオオクニヌシが今回の主役です。

出雲大社の拝殿    神様たちのお宿・十九社

10月は一般的には「神無月」(かんなづき)ですが、それは日本中の神様が出雲大社に集まっているからで、この地方では神有月(かみありづき)と言います。
大社さんに集結した神様たちは、来るべき新たな年には『誰と誰を結びつければ良いか』相談されるそうです。
最近では「パワースポット」とかの評判も頻りで、若い人たちの参拝が目立つのだそうです。


オオクニヌシは居なかった、のかも知れない!

また記紀神話のお話になりますが、嫌がらずに付き合ってください。祇園神社とスサノオ伝説で少し触れたように、系譜上オオクニヌシはスサノオの子孫ということになっています。そして記紀神話の中でも彼の活躍や逸話が沢山紹介されています。神話が苦手な読者の皆さんも『イナバの白兎』は、かつて聞いたことがあるでしょう。そぉ、その兎を助けたカミサマがオオクニヌシなのです。でも、どうして彼は『いなかった』のか?−−いい質問ですね。

古事記と並んで天平時代に日本各地で編纂された風土記が神話などを学ぶうえで大切な書物であることは先にも述べましたが、8世紀前半に国ごとに作られた風土記で、ほぼ完全な形で現在まで残っているのは『出雲国風土記』だけなのです。そして、一番肝心な、というか不思議な点は、

  出雲風土記の中にオオクニヌシは一度も出てこない

というところにあるのです。一体、オオクニヌシは、本当に出雲のカミサマなのでしょうか?それとも、違うのかな!分らないときは、どうするか?−−風土記を読めばいいのです。ただ、漢字ばっかりで味気ないこと、この上ないので、例によって筋書きだけ、それも関係のありそうな処だけ抜き出してみます。出雲国風土記には、一体どのように書かれているのか…。

 1 『八雲たつ』と言ったのはヤツカミズオミツノミコトである

 2 出雲の国を造ったのもヤツカミズオミツノミコトである

 3 越の八口を退治したのは、オオナモチノミコトである

つまり出雲風土記の著者は、中央で進められた記紀編纂(そして、その神話の内容)の情報を得ていなかったのか、或いは知っていたにもかかわず、それを無視したのかどうかは別として、自分たちの国の神話をかなり率直に語り、独自性を強調しているように見えます。柔らかく言えば『こちらには、こちらの神様がいます』『オロチ退治も、こちらが本家です』『国を造った神様もいますよ』ということなのでしょう。それで、オオクニヌシは何処へ行った?!

そー、そのオオクニヌシは、出雲国風土記ではなく、古事記・上巻に登場して、大活躍するのです。記の編集者によれば、オオクニヌシとは、

 1 母はサスクニワカヒメ、父はアメノフユキヌノカミである

 2 本名がオオクニヌシノカミ、別名オオナムチノカミ、アシハラシコオヤチホコ、ウツシクニタマ

 3 イナバの国で裸の兎を助けた

 4 兄弟八十神から苛められた(試練・難題話の原型)、二度も殺されては復活した

 5 スサノオから『オオクニヌシ』となり出雲の宇賀に宮殿を造れと言われた

 6 正妻はスサノオの娘スセリヒメである

 7 出雲の美保の崎でスクナヒコナと出会い国造りを行った(この時の名は、アシハラシコオになっています)

とまぁ、こんな具合なのですが、5〜6代前の祖先がいきなり出て来て娘を遣るなどというオカルトめいた点に目をつむれば結構面白い話の連続で、古事記の中でもスサノオと同様、とても存在感にあふれた神様だと言えます。また、五つもの名前(亦の名)を持っているということは、それだけ多くの属性をもたせなければならないほど、日本各地に良く似た神話を背景としたカミサマがおられた証拠かも知れません。兄弟たちに無理難題をふっかけられながら、それを一つ一つ克服してゆくお話の進め方は、まさに物語の原型で、当時芥川賞(直木賞も)があったなら、きっと候補作の一つに挙げられていたに違いない。だから、興味のある読者は、一度、読んでみれば如何。復活話は外国の神話(オシリス神話?)とも繋がるように思えます。

で、結論はというと、やはりオオクニヌシという神様は中央に近い(恐らく近畿地方のどこか)地域で信仰の対象になっていた神様なのだと思います。それが、どうして出雲という地方の神様に変身したのかは、日本神話の核となっている『国ゆずり伝説』を抜きにしては考えられないでしょう。

国譲り」神話とその後のイズモ

大鳥居  稲佐の浜   PR

一般に、建国神話といわれるものは世界中にあると聞きます。その筋書きは大同小異で、つまるところ『この国は何々というカミサマが(或いはカミサマたちが)昔むかしお造りになったのだ』というもので、現在住んでいる人々は、皆その子孫であり、それだけ恩恵を受けていますというお話なのです。

記紀神話も、その例に洩れず『天地開闢』(てんちかいびゃく、つまり天地創造の時です)から、どのようにしてカミサマたちが苦労して国を造られたかがギャグも交えて伝えられているのですが、他国の神話と少し毛並みの異なっているのが『国ゆずり』のお話です。日本的といえば、これほど日本的な話もないのですが、神々が最初に創造したはずの国を、その子孫の間で「お互いにゆずりあった」というのですから、なにやら何処かの国に住んでいそうな今風のカミサマたちです。では、誰が、誰に国をゆずったのか?それが問題だ!!

極々簡単に言ってしまうと、

  オオクニヌシがアマテラスの直系子孫に国をゆずった

と言うことになるのですが、ここは微妙に大切なところなので、読者の皆さんにもお話の内容を、よく吟味していただくことにしましょう。まず、古事記側の言い分。

  アマテラスのお使いの神が、出雲国の伊那佐の小浜に降り立ち、剣を波間に突きたててオオクニヌシに言った。

  貴方が治めている葦原中国(あしはらのなかつくに)は、アマテラスの子孫が治めるべき国である。

ここですんなり国譲りが行われたと皆さん思うでしょう。ところがどっこい、オオクニヌシは使者の詰問に直接答えず、自分の子供のコトシロヌシに聞いて欲しいとフェイントをかけます。そして、コトシロヌシがOKすると、次にまた、子供のタケミナカタにも聞いて欲しいと条件闘争。この力自慢の息子タケミナカタも承諾したあと、初めてオオクニヌシは国譲りに応じるのです。それも『クニはあげるから、私が住むための大きな宮殿をたてて欲しい』とのオファ付きで。

ここで、何か変だな?と気付いた方はいませんか?いたら、手を上げてぇ。ハイ、そこのオニイサン。

  『国譲りはてっきり出雲国のことだと思っていたのに、違うのですね』

鋭い指摘です、違うんですよ!これが。そこで、おさらい。

  1 オオクニヌシは出雲のカミサマではなかった

  2 国譲りの「クニ」も出雲ではなかった

  3 国譲りを初めに承諾したのもオオクニヌシではなかった

  4 国は譲ったけれどもオオクニヌシは宮殿に住み続けた

これが古事記サイドから見た神話。では出雲風土記は、どう書いているのか。原文に忠実に訳してみると。

  天下を造った大神オオナモチ(オオナムチ)が越の八口を退治して帰るとき長江山まで来たとき、

  私が造り、私が治めている国(葦原中国)はアマテラスの子孫に譲ってあげてもいい。

  ただ、八雲たつ出雲の国はわたしの鎮座する土地だから別ですよ、と言った。

少しずつ分かってきましたねぇ。では、今回の結論に進みましょうか。神話が、一体どれだけ史実を反映しているものなのか、その判断は皆さんにお任せするとして、日本(「倭」と言うべきかも)という国が一つのまとまりをもつまでには相当の曲折があったことだけは確かだと思われるのです。その土地土地にカミサマが居たわけですから、その土地土地に神話も生まれ、口伝えにお話が受け継がれたのです。

出雲とオオクニヌシに関して言えば、国を造り国を治めた象徴としての存在であった「オオクニヌシ」の神話が、アマテラス神話に組み込まれる段階で「出雲」という具体的な地域に関連づけられた結果、あたかも出雲のオオクニヌシが出雲国をアマテラスの子孫に譲ったかのような伝説を生むことになり、本来、出雲のカミサマではなかったオオクニヌシも、風土記に言うオオナムチと同一視されてしまう(もっと言えば、皆がそう思うように仕向けた)ことになった。また、中央の意志(記紀の立場)も、強大な立場をアピールする格好の宣伝材料としてオオクニヌシ伝説を利用したのです。スサノオにオロチ退治をさせるため、記紀の作者が根堅州国に行かせた伏線が、ここでも生きている訳です。

だから…、だから−アマテラスというカミサマと、その子孫がオオクニヌシたちが造った葦原中国(あしはらのなかつくに)に後からやって来た、ということをこれらの神話は伝えているわけで、「出雲の国の支配者」だったオオクニヌシというカミサマは、もともと存在しなかった、というのが結論なのです。

ただ、出雲国風土記でも記紀神話でも、

  出雲国の神様を祭る大きな社を築いた

という点では共通した神話・伝承を上げていますから、オオクニヌシに相当する(例えばオオナムチ、オオナモチ=大名持)その国の大切な守護神がいたのは確かなことだと思えるのです。だから、今回発掘された大きな柱も、その神様の神殿跡かも知れないと想像してみたい訳なのです。

そんなこんなでオオクニヌシのお話もお終いが近づきました。地上48メートルの木造建築−それが一体どんな建物だったのか、建築に詳しい人たちが過去の遺跡などから類推した復元創造図のCGをWEBページ上から借用して、ここに紹介してみました。こんな風だった、そうです。

発見された柱   高さ48m時の想像画   遷宮後の本殿

出雲地方については、10年近く前、大量の銅剣・銅矛などが出土した荒神谷遺跡もあり、その意味についても触れたかったのですが、それはまたの機会に譲ることにします。それから、今回、このページで使用した写真(最後の1枚を除く)は、管理人の義母・美佐子さんが、態々取材して撮影してくれたものです。感謝、感謝。出雲大社さんに因み、2拝4拍手1礼、では、皆さん又のご縁がありますように。

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