田舎中学三文オペラ  第5章 空飛ぶ超人先生                        サイトの歩き方」も参照してください。

 誰が言い触らした訳ではないのだが、一学期の中間テストが始まる頃には、校舎のあちこちで新たに、この春誕生したばかりの超人伝説が流布され、話し手本人がいかにも、その場に居合わせたかのように、真しやかに語り合われ、下級生の間では、その余りにも神秘的で想像を絶する出来事に運良く巡り会えた上級生への憧れがいや増した。

 『なあ、なあ、おめぇやつ、知っとぉかや、あのとでもねぇ話?』

 『はぁ、さぁ、なんの話だぁ』

 『おめぇ、知らんかやぁ』

 『あの、千葉先生が、こないだ、田ん中を端から端まで一息に飛ばれたげな』 『いんやいんや、そげだなくて、おらが聞いた話では、空を飛んながら、ほーで、ついでに田植までしなされたらしい』    

 『二年の誰某さん達は、その時、田に居られて、ちゃんと飛ばれぇとこを、みなで見ておられたと』     

 『ほんにやぁ、そら、みな、がいにおべただら』

 『そおら、まげに飛ばれたげな』

 『おらも、そげなとこ、いっぺんでええから、見てみたいのぉ』『ほんに、ほんに』

 学校には職業家庭という科目があった。隔週に一時間程度の授業なのだが、歴とした正規科目で、これが「伝説」を生む貴重な単元となっていた。 

  読んで字の如くに男子は将来就くことがあるかも知れない「職業」に、直接間接係わりのありそうで簡単な手作業の初歩を習わせ、女子には嫁入りに不可欠な和裁洋裁と料理生け花など作法の手ほどきを行い、生徒たちの未来を少しでも豊かなものにしようと云う、お上の有り難い考えの基に実施されていたと思われるのだが、それを担当されていた諸先生方の資質・授業内容を今更に忖度すると、お上の下された学習指導要領の崇高な精神に果たして合致していたのか疑わしい一面もある。   

 ともかく、職業家庭の授業は体育と同じように、男女別に二クラス合同あるいは学期の節目には学年合同で行われていた。無論、専門の農業学校・各種学校ではないので、本格的な実習を年間通して行うことはないが、農家の子女を圧倒的に多く抱える地域の学校として、最低限の農作業に関する知識関心を身につけ卒業させる方針。田植えと稲刈り、そして茶摘みなどが主な課題、春夏秋の各シーズンに振り分けられる。     

 この作業実習を一手に取り仕切られるのが伝説の主人公であり、幾つもの愛称で知らぬ者の無い千葉先生。某地区の名門、元大地主の跡取り一人息子であることは夙に有名。その、発する言語にやや意味不明で、時に独り言或いは外国語かと怪しまれる音節も微妙に混じり、不肖の生徒達も理解に苦しむこと屡屡。従って、ご本人の思惑と異なり、これまでにも意外な結末を産む怪奇現象に、時々悩まされたことがある、らしい…と代々言い伝えられていた。     

  『アー、今日は、天気もよろしい。こら、そこ、しゃんと聞いとおかぁ。

 アー、それで、今日は、みなで田植えをしてもらう。田植えは知っとおな。

 こらぁ、何を騒いどおか、ほんに、ばやばや、ばやばや。

 アー、ええかぁ、お前やつ、今日は、みなで田植えをする。ええなぁ。

 アー、それでは、田へ移動する。みな、騒がずに、こらぁ、騒ぐだない言っとろうが、ほんに、ばやばや、ばやばや』

 先生の飛行現場? 田植えを待つ苗床

 教育熱心なことでは人後に落ちない千葉先生、今日の晴れ舞台の為にわざわざ新調されたと思しいカーキ色の作業着には丁寧にアイロンが掛けられ皴一つない。先生は、朝礼台に置かれていたトレード・マークの麦藁帽子をおもむろに取り上げ、きりりと正面を向き心持ち真深に被り、純白の顎紐を確かめるように二三度うなずかれた。  

                                      校舎のすぐ横に線路がありました

 これを合図に、先生の先導で鉄道線路を挟み、校舎のすぐ北側にある実習田に向かう、その距離数百メートル足らず。傍若無人を絵に描いたようにはしゃぎまくる五十人余の生徒を怒鳴り散らし、どうにかこうにか田んぼ際の一画に集め、これから行うべき神聖な作業の手順について先生は縷縷熱弁を振るわれるのだが、実習は遊ぶためにある時間と心得違いしている大多数の者は聞く耳持っていない。時は五月、陽気は最高、先生の長広舌もやっと区切りがつき、いざ、田植え。  

 手回しの良い先生は、常に、愛着をもって接しておられる田の土を丁寧に鋤き均し、準備万端を整えられ、すでに昨日迄の間に、二面の田んぼに水を張り、満面鏡の如くしつらえてある。この伝説が生まれるに最も相応しい舞台装置を目の当たりにした悪童たちの頭に、一つの素敵な光景が迫力のあるパノラマとなって沸き上がり、実行への期待感と、すぐにでも幕が上がり劇の主役が演ずるであろう名場面に巡り合うことが出来る幸運に胸躍らせるまでに、長い時間は必要とされなかった。目と目で、皆が同時にほぼ同じ結論に達した奇跡に、心の中で拍手喝采。  

 苗代は田んぼ中央の奥、東側の日当り一番の所に鎮座しており、道路から二十メートル余の距離、畦道は文字通り畦の幅数十センチに限られた範囲でうねうね続いている。

 列の先頭に意気揚々立つ者は勿論、熱く燃える千葉先生。この春一番の大仕事をやり遂げ、教頭昇進への弾みとするべく意欲満々。この晴れの授業のために誂えた、やや長めの特製ゴム靴に、真さらの作業ズボンの裾を手際良く押し込み、私語に忙しい生徒たちを振り返り再度一喝、作業開始を宣言された。

不可思議なエネルギーの放出

 右も左も一面の空を写す湖、大成功を信じ先導される先生の直後に従う者は、無理矢理緩衝剤の配役を押しつけられ、割り込まされた数名の真面目羊の群。羊たちに悪巧みの詳細勿論一切知らされている訳も無いのだが、そこは牲の本能か、迫り来る悲劇あるいは喜劇の予感に気もそぞろ、皆、前の生徒の肩腰にさりげなく手を置き手を伸ばし、振り返り不安を隠せない。先頭から十人目位の所で、前後の状況を具さに観察しながら慎重に歩いていた大柄な生徒達の足元が何故か急に勢い良く後方に滑り、その良く鍛えられた力強い両腕は、自己保存の法則の為にだけ正しく従い、視界を塞ぐ眼の前の背中ではなく、泥道小股歩行で不安定さを増している生贄羊の腰の部分を頼って、外見やや激しく突き出された。この不思議な意思を持った衝撃波は、地球上に新たな理論物理の可能性をもたらしたかと思われる程不気味で、不可逆的なエネルギーを特定の目標に向け収斂した。意に反して人力増幅器に仕立て上げられた哀れな羊たちは、必死の形相で畦の域に踏み留まるべく涙ぐましい自助努力を行い、過半はかろうじて成功したが、余りにも正確で強固な目的意識を持った妖波の力に屈服した一群が、心ならずも最期のよりどころとした人形の物体は、瞬間宙に舞い、やがて万有引力の法則の正しさを見事に証明した。  

 どよめく歓声、勝利の凱歌。前衛的な水と泥の華麗な衣装をまとい、果敢にはい上がる先生の勇姿に感動の輪が広まり、田植えが始まった。   

   木造校舎は、こんな感じでした

 「むちゃするなぁ。ほんまに犠牲者は出えへんかったんか、そこまでやって」

 「一段落してから、原因の究明があったんやけど、みんな、後からおされてしょうがなかったんですとしか言わへん。まあ、それも満更嘘やない。一緒に落ちた生徒もおとなしい奴ばっかり選んであったから、文句あっても、面と向かってはよう言わんし」

 「…でも、笑えるな、十分」

 根が真面目というか一本気。教育者として斯く在るべき究極の人物像に限りなく近付くべく日夜、使命感に衝き動かされ、不肖の生徒をいかにして正道へ導くべきかの方法論についても職員会議で滔滔と、否、もとい、突然、脈絡度外視の開陳すべき一家言を有し、学校教育の現場を双肩で支えることに、全き生き甲斐を感じておられる千葉先生は、斯のごとき難行苦行の日々から生まれた数々の伝説に彩られた希有な人物であり、言い伝えの多くは、凡人の理解など遥かに超えた不可思議領域に属する不断の試練に関するものだった。二年生と言えども、親しく薫陶を戴く先生のご経歴に更なる金銀の箔を幾重にも重ね合わせ、幻の伝説作りの一端を担う光栄に浴することに決してやぶさかではなかった。

 秋、収穫の季節、先生自らお手植えになった稲の穂は、かの忌まわしい出来事も存在しなかったかの如くに逞しく育ち、陽と水と土の養分を体一杯に詰め込んで、礼儀正しくお辞儀している。勿論、日々日常の管理はすべて近所のおじさんに委託されているのだが、何事にも“私”の存在価値を主張しなければ気の済まない先生は、刈り入れを前にして一席伺う。いつもの如く客席は騒がしく、有り難いお話も効き目がない。

 春の珍事を教訓に、本来居るはずのない生活指導部の若い先生が、もう一人、真珠湾の二の舞は許さず、決意もあらわ、監視役然として最後尾から着いてくる。伝説は筋書きの無いドラマから生まれてこそ素晴らしい。

   ミサイルは最上段に集中  稲穂弾頭   PR

 今でこそ各地に大型の米乾燥設備が整えられているが、昭和三十年代の当時、刈り取った稲穂は天日乾燥が当り前。中学生の脚程も経のある長い丸太を縦横斜めに組み合わせ、田んぼの中に横から眺めると三角形の稲架場(はせば)を造る。一反余りの田んぼからは七八俵の米が取れる勘定。丸太組みは生徒の手に余り、既に大人たちの手を借りて出来上がっていたが、次々刈り取られる稲穂を一番上から順に架けていかねばならない。

 刃物と何とかは使い様、悪の烙印を押された者共に鎌は一切与えられず、田んぼのあちこち、手持ち無沙汰にたたずむばかり。要注意人物の一団から収穫の喜びを奪う楽しみを満喫した千葉先生は、従順な教え子たちの労働にいそしむ敬虔な態度を感激の面持ちで眺められていたが、次の大仕事が待っている。何事も一番が肝心、教師たる者、百の理屈を語るより、まず率先垂範、不言実行。物事を知らぬ不肖どもに農業の真髄を伝授するには形から。買い直されたと聞くトレードマークの麦藁帽子、顎紐を今一度きりりと締め直され、稲架に向かい悠然と歩みよるりりしい後ろ姿。烙印軍団の鋭い十幾つの視線が先生の今期初登攀を熱く見守り、やがておこるであろう劇的瞬間に再び巡り会い、更に新たな千葉伝説の生き証人となる幸運を恵んでくれた未知の神様に深く感謝した。  

 

 『アー、ええか、お前やつ、稲の穂は一番上から順番に架けてゆく。ええか、アー、こらぁ、中島、藤島、伊藤、どこ見とぉ、話聞かんかぁ。  

  下におー者が、穂を下にして、上におー者に束を放り上げる。

  上の者はこげして、両腕で抱えーように受け取ーだぞ、ええか。

  そーで足は、こらぁ、そこぉ、何しとらぁ、しゃんしゃと聞くだがぁ。

 そーで、足はこげな風に丸太をしゃんと挟んで、絡めて、ぼろけんやにすぅ。ええか、こげな風にして受け取ーだぞ。

 崎田先生、一つ放ー投げてごすなはい』

  稲穂ミサイル、見事に命中す!!

 昨日、秋には珍しく激しい通り雨。夕方には、すっかり小春日和に戻ったのだが、畦の周辺そこここに水溜り。稲穂は『数株ごと藁で束ねる』先生の教え通り、十数センチの太さに縛られ統一されている。地面から稲架のてっぺんまでは二階の窓程の高さがあり、非力な者では届かない。

 腕に自慢の猛者連が、三三五五持ち場に集合。予め今回の新企画について、全員参加の説明会を開催する時間的余裕はなかったのだが、以心伝心、暗黙の了承、自然に千葉先生を頂点に放射状の散兵線が整った。軍団の正規戦闘メンバーではないが、お祭り好きのお調子者が提案した追加策は、ハーグ条約違反すれすれ。

これが「ミサイル」に変身するのです…

 一部の悲惨な結末を危惧する声も、豊富な経験を有する幹部連中の『狙いを正確にして着弾点を集中し、短期決戦に持ち込めば、まず、落下の恐れはない』との科学的判断から退けられ、泥水漬け稲穂ミサイル発射実験にゴーサインが出された。たわわに実った稲穂は、それだけでもずっしりとした手応え。神聖な稲に敬意を表し、根元部分にのみ泥水を十二分に捧げ、着弾点に向け八発の礼砲が轟く。幸い不発弾は一発のみであった。

 語部たちにより、

 

 『なぁ、なぁ、お前やつ、きいたかやぁ、あの話』

 『また、あの、千葉先生が、とでもねぇことされたとぉ』

 『ほんにやぁ、今度は、どげなことだぁ』

 

との前置きの後、交わされた会話の主旨は、おおむね、

 

  『千葉先生は、まるで聖徳太子、千手観音のように四方八方から投げ付けられる稲の穂を、何の苦もなく次々と両の手で掴み取り、目にも止まらぬ早業で、瞬時に稲架けをされたそうな』 

 

との内容であり、新たな伝説が、次の世代にも正しく語り継がれたことは、言うまでもない。この後も、愛車ランペット号の鍵が独りでに校門の柵まで度々散歩したり、式服の背中に字の大変下手な神様が以外なご託宣を授けたり、先生の徳を慕った蛙が団体で靴の中を暖めるなど、後進の範と仰ぐにふさわしい神秘体験が相次いだ。   

 

 「何も、この先生だけが悪いわけやないし憎い訳でもない、皆もそれは十分わかってたと思う。ただ、日頃何かにつけて鬱積してた学校・大人という権威に対する不満の捌け口がほしかった。   

 校則規則、建前社会、テストテスト、点数主義…、落ちこぼれには、明日はなかったからなぁ」

 

 生徒の眼は、学校という組織の、最も弱い楔の在処を正確に見抜き、格好の攻撃目標とした。大人が権威をまとったご都合主義であるのならば、子供たちの行為の本質は冷酷無慈悲な報復主義でさえあった。ただ、その場に、たまたま居合わせたばかりに伝説の主人公に祭り上げられていく先生。我に七難八苦を与え給え、滑稽なほど茨の道を我武者羅に突き進み、初心を貫き通す愚直さに、浅はかな猿知恵ぶりを得意がり、木から落ちる自画像が二重写し。武士の情けも忘れ、他人のあれこればかりあげつらう貧相な顔が、鏡の向こうから自分自身を嘲笑っていた。

 

出し物は大イタチと河童

 薬師さんの境内は、広さも伽藍も立派なもので、本殿・ご本尊は長長と続く石段を登り詰めた山奥に鎮座している。年に一度の祭りには夜店、見せ物小屋が立ち並び、賑わいは神戸の祇園さんを彷彿させる。

 一番のご愛嬌は『おおいたち』と『河童』の見せ物。恥ずかしがり屋の河童君、地面に竹囲いで設らえた、都会で流行りの牛乳風呂とみまがう盤の中から一向に姿を見せようとせず、何やら頭のお皿らしき灰色円盤状の物体と思しきものが水中で間欠泉よろしく何度か上下するが、何かが明確に見える領域には決して浮上しない。隣に建て掛けてある、畳二畳ほどもある大きな板には血糊に擬した赤ペンキがべったり。詐欺まがいの代物だが、文句を言うのは野暮というもの。ただ蛇女は誇大広告の疑いが濃厚であったものの、確かに一見の価値はあった。蛇のようにくねくね延びる生白いろくろ首の、錦絵を真似た下手くそな看板に釣られて入ってみると、蛇は観客の目の前で細切れ食品に加工され、彼女の胃袋へ直行したのである。  

 大言壮語、公取なら即告発の見本市から抜け出すと、まだ陽は西の空に沈みきらず、人の波も途絶えることがない。見るべき物は見つ、自転車置場に行ってみると、紺色のワンピースに白の鍔広帽子、何やら気取った感じの娘が連れと一緒にこちらを凝視している。   

 『貴方が、都会から来た人であることは承知している。私は、県庁所在地に住んでいる青木瞳と云う者である。決して怪しい者ではない。貴君に交際を申し込む。ただ、遠く離れて住んでいるので、当面、文通だけで我慢したいと思うが、返答、如何に』

 

 標準語と云うか、東京弁風の物言い、相当練習したらしい成果が言葉の端端に現れているのだが、緊張気味なのか、ややこわばる表情が顔に張り付き、棒読みの憾は否めない。一瞬、娘の頭の内部構造を疑ったが、人垣に混じり、隠れるように付き従う、肉体派女優のしたり顔を見つけ納得。

  バトンタッチ宜しく、出しゃばり進子が得意気に語るところに因れば、この変人は彼女の一歳上の従姉妹。一族郎党の中でもすこぶる評判の才媛。その証拠に付属中でもトップクラスの成績、将来の有望株として折り紙付き。たまたま貴男の噂話をしたところ、田舎の不良と云うものに痛く興味を覚え、是非、後学のため現物が見たいとかねがね言っていた。今日の祭りに招待したのだが、何という偶然の一致、神の悪戯、ばったりあったのも何かの因縁。 

 有る事無いこと取り混ぜて、広げるだけ大風呂敷を広げた様子、手に取るように浮ぶ。

  些かあきれて物も言えず、帰り支度。君子危うきに近寄らず。才女、尚、頬を膨らませ

 

  『私には、貴方に手紙を書く自由がある』

  『私に、この様な申し出をさせた人は、他に僅か一、二名しかいないのだ』

  『私は、近い将来何々大学で、フランス文学を学び、留学する計画も持っている』

 

流石に、

 

  『貴方には手紙を受け取る義務がある』

 

とまでは宣わなかったが、自由博愛、男女同権、舶来万歳の思想家と見てとった。

 思い込んだら命懸け、何分、確信犯の趣十分。話して分かる相手とも思えない。取り合わず早々に立ち去るのが一番と歩き出す。背中で沸き上がる嬌声一頻り。祭りの気分は瞬く間に吹き飛んだ。雌猫がこの時とばかり勇んで付焼刃の飛脚便を開業し、親書の返事を督促したのは言うまでもない。

 綺麗な空気が美しい夕焼けを生む 

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