は呑めのめ                                                  サイトの歩き方」も参照してください。

血のつながりは無かった。三つ歳かさの従兄弟を訪ねるたびに挨拶こそ交わしていたが、面と向かい話しらしい話などしたことはない。

夕食を終えた伯母たちは皆、それぞれの部屋に散り、独り板敷きの台所に残された伯父の前には、粗末な四角い飯台があり、箸のほか漬物と好物の鮒の刺身、大き目の醤油注ぎだけが乗っている。ランニング姿で胡座をかき、右脇の定位置で出番を待っている一升瓶の首を大事そうに持ち、金魚の図柄入りの薄黄色に変色したガラスコップにゆっくり溢れるまで酒を注ぐと、伯父は先ず、こぼれ落ちた酒を節だらけの太い指で掬い取った後、右手でコップが逃げ出さないように握り締めながら、そこに、今注いだばかりの酒があることを、もう一度自分の眼と唇と鼻で確かめるように顔を近づけ、そろりと一口すすると、おもむろにコップを持ち上げ、惜しむようにいとおしむように残りの酒をぐいと飲み、誰かのせいで、いきなり半分になってしまったコップの酒をひとしきり眺めていた。

酒について書こうとしている。伯父が今、口にしているものは『合成酒』という。勿論、戦時中ではないのでメチルこそ使用していないが、俗に言うエチル、つまり醸造用アルコールを水で薄めただけの飲むガソリン、風味・香りなどという月並みな物差しは一切通用しない。貧乏と言うわけではないが決して裕福とは言い難い農家の懐具合は、晩酌にしては多すぎる五合・六合の清酒を毎日、夕餉の膳に載せることを許さない。だが、呑まずにはいられない、日が暮れない、一日を締めくくる儀式が成り立たない。だから、馴染みの酒屋に頼み込み「掛け」(期末払い、出来秋払い)で『酒』のようなものを届けさせる。無くなれば伯母が自転車を飛ばして都合する。坊主頭の髪の生え際当りに手を当て、つるりと後に撫で上げる仕草が出始めたのは、メートルがようやく上ってきた証拠である。

夕食時に居合わせたのだから、夏休みの出来事だったのか、40年近くも前の一場面を時間的に特定できるだけの記憶はない。いつもの様に食事を済ませ、そのまま従兄弟と一緒に後座敷に行かなかったのか、どうして二人きりになってしまったのか、何か訳でも合ったのか、何も覚えては居ない。見るとはなしに黙って坐っている義理の甥の存在を別段煙たがるでもなく、晩餐の儀式は黙々と進み、酒の残り具合と今夜の酔い加減を推し量るように小首をかしげた伯父が『呑んか?』と呟くように訊いた。

天野屋利平はでござる

是非にと請われて婿入りしたにもかかわらず、十有余年の間に5人もうけた子供は全て女の子だった。その長姉が半分以上『わたしが跡を取るつもり』になっていた終戦の年、ようやく授かった長男は17歳の高校生になっていた。農業学校へ進むものが地区でも稀だった頃、専門教育を受け農業一筋に生きて来た伯父の口癖は『人から頼まれたことを一度も断ったことがない』というほどの言葉で、歌舞伎芝居・赤穂浪士に登場する人物の台詞を真似たもの。要するに面倒見が良すぎるのだが、人の頼みごとは地区の会合、それも態々酒席を借りて行われること屡。素面に返り、よくよく考えれば、出来ない相談も結構あった。真面目な伯父は、一旦引き受けた約束を反古にも出来ず困惑、解決策を思いあぐね、また晩餐の儀式に向かう。

息子や連れ合いは『呑んだ勢いで人の頼みごとなど聞くほうが悪い』と決め付け、伯父の深い悩みもつまるところは自業自得、食事の間に何度も同じ繰り言を聞かされるのは迷惑以外の何物でもないと達観している。地域の世話役として駆け引きの堪えない世間で、日々難問に立ち向かうだけでも苦労が堪えないところに、また、心配の種が一つ増えた。少なくない酒量が日を追って増え、毎夜、腕組みしながら思案にふけるのも、その性である。

『息子は、本当に自分の跡を継いでくれるのか?』

直接、息子の口から『跡を継いで農業をやる』という一言が訊きたいばかりに、なんとか話しのきっかけを作ろうとするのだが、酒を呑んで愚痴る父親とはつとめて距離を置きたい従兄弟、聞く耳もたない。30年を超える野良仕事は顔や手足、そして首肩まで渋い銅の色に染め上げ、世間と家族双方から絶え間なく押し寄せる悩みの重圧が伯父の額に深い皺を幾筋も刻み込む。少し垂れ気味の大きな瞳がゆっくり自分の膝を見つめるように弧を描き、ニ三度軽く肯くように首を振ってからコップの酒を飲み干した。

飯台の上に戻したコップに酒を注ぎなおし、いざ手渡そうとする一瞬、伯父は勿体無いといいたげな表情をチラリのぞかせたが、武士に二言などあるはずもない、透明のガソリンは一気に胃袋へ急行した。酒について書いている。母親がクスリ代わりにと水屋の棚に置いていた赤玉ポートワイン、梅酒の類をたまにくすね、ちびちび飲んだ経験しかなく、酒の呑み方など教わったこともない。豪快な伯父の呑み方を目の前にして、同じようにしなければ、とでも思ったのだろう。1時間ばかり、問わず語りの聞き役を演じ、当り障りのない生返事でお茶を濁し、では、と腰を上げかけたとき、流石にふらついた。目を閉じたまま、かすかに肯く伯父の肩が、少し小さく見えた。

何度目かの夏、いつものように従兄弟の家を訪ね、帰る段になり、裏を流れる小川にかかる水門橋のたもとまで来たとき、田んぼに出ていたはずの伯父が不意に現れ、大きな声を出した。

『偉いもんになれよ』『またこいよ』

  防風林の役割もある築地松   PR

初めてで最期の見送りを受けたその年8月16日、自らの誕生日に伯父は他界した。白い日本手拭いで汗を拭きながら、家を囲む築地松沿いの小道を駆けつけてくれた姿が、夏の日の空に浮んでいる。

   二升か三升か、それが問題だ

夜遅くに帰ってきた従兄弟は、俯き加減に首をうなだれたまま何も言わず部屋に上がり、畳に座り込んだ。伯母も眠らず待っていたらしく夜具から起き出る気配がする。はっきり今夜出かける目的を、彼の口から聞いていた訳ではなかったが、それが従兄弟の人生を左右しかねないほどの大事なのだろうとは薄々感じていた。俯いたままの肩先が波打つように、微かに震えているようにも見え、何とも声を掛けかねていたその時、暗い呟きが聞えた。

『いけだったわぁ』

能面のような表情を貼り付けたままの伯母と二人、顔を見合わせ、何か一言話し掛けなければと息を吸い込んだものの、頭の中の何処を探してもふさわしい言葉がみつからず、どぎまぎしているうちに従兄弟の上半身が次第に大きく震え始め、泣き出すのではないかと身を乗り出した。まんまと担がれたのである。

こちらを向いた従兄弟の顔はくしゃくしゃに笑みを浮べ、それでいて必死に笑い出したいのを堪えていた。人は笑う動物だという。人は楽しいから笑う、嬉しいから笑うという。そうだろう、永らく想い続けていた、何人にも代え難い意中の女性から、望みどおりの答えをもらうことがその夜、出来たのだから。

『呑んかぁ』

上機嫌の従兄弟がそう言いだす前に席を立っていた伯母が、一升瓶と茶碗を二つ盆に載せて運んでくれた。何を話したのだろう。夕食の残り物を肴に、明け方近くまで呑み続け、布団に潜り込もうとした時、畳の上に転がっている1升瓶のそばに、もう一本、底から2センチばかり酒の入った瓶が見えた。カモイに掛かった黒縁の額からすまし顔の伯父が見下ろしていた。

『2升空かんかったか?』『伯父さんには、とてもかなわないな!』

半開きになった縁側の雨戸からカーテン越しに突き刺さる朝日に起され、横を見ると従兄弟の姿はない。その代わりに空の一升瓶が2本と、ほんの少し酒が残った瓶が並べて置いてある。チラシの裏に書かれたメモには『もう少しで3升だった。オヤジも顔負けだろう』、そう走り書きがしてあり、台所には朝飯が用意されていた。冷えた麦茶が飲みたくなった。

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