三柱鳥居と竜神信仰そして藤原氏                              サイトの歩き方」も参照してください

この夏、急に思い立って京都・太秦を訪れてみる気になったのは「聖徳」太子とも縁の深い広隆寺の境内に元々鎮座していたのだとされる大酒神社と、播磨・坂越の港近くに祀られている大避神社との間にある(だろう)関連を確かめたかったからなのだが、目的は他にもう一つあった。それが広隆寺のほぼ真東500mほどの処にある木嶋坐天照御魂神社。この社には全国的にも珍しい三柱鳥居があることで知られているのだが、地元の人でも神社の正式名称を知る者は少なく、むしろ摂社として祀られている蚕ノ社の名の方が通りが良い。江戸末期の国学者で『神社覈録』を著した鈴鹿連胤(1795〜1870)は、「木嶋」について「このしま」と訓じ、社名の「天照御魂」を「あまてるみたま」と読んで高御魂(たかみむすび)神とは別神であるとの見解を示した上で、摂津嶋下の新屋坐天照御魂神社三座などを類社として掲げている。また、幕末当時、神社側が述べていた「祭神・天照大神」の説にも疑問を投げかけ、先代旧事本紀の記述を引用して「天照御魂社」の祭神をニギハヤヒの随神・天日神命ではないかと推理している。

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社の石碑)   広隆寺

『神社覈録』の言い分を信用するなら、明治の御一新まで木嶋社の祭神は「アマテラス」大神であったはずなのですが、境内に置かれている案内板には次のように『由緒』が記されています。

  延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神、穂穂出見命、鵜茅葺不合命、瓊瓊杵尊)
  を祀っている。創建年月日は不詳であるが『続日本紀』大宝元年(701)四月三日の条に神社名が記載されている…。
  天之御中主神を主として奉り、上は天神に至り下は地神に渉り、
  御魂の聡徳を感じて天照御魂神と称し奉り、広隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる。
  学問の神であり祓いの神でもある。

つまり『アマテラスではないが』その直系子孫の一族と、造化三神の一柱および「地神(大国魂神=オオクニヌシ?)」を纏めてお祀りしてある社なのだと説明しているのですが、このようなカミサマたちの取り合わせは余り馴染みがありません。私見としては、鈴鹿が摂社の一つとして取り上げている摂津三嶋の新屋坐天照御魂神社が天火明命(あめのほあかり)を祀っていることから、木嶋社の祭神も元々は尾張連等が祖と唱える同神だと考えて良いと思います(尾張氏の主張が事実かどうかは別として…)。その古社が「広隆寺」を建立し、「聖徳」太子伝説を一貫して全国に流布することに全力を傾けた秦氏一族の影響力を強く受けた結果、体制側に取り込まれ祭神まで取り替えられた可能性を排除することが出来ません。ただ、本殿の西側に設けられた池の奥に建つ三柱鳥居が表わしている「モノ」を考える時、天孫たちが祭神として名を連ねていることに違和感は感じられません。(註:天照御魂を字義通りに解釈して、アマテラスが出現する以前に最高神の地位に居たはずの象徴=ニギハヤヒ[或いは親神]とする見方も出来そうです)

木嶋社の三柱鳥居  新屋坐天照御魂神社

『由緒』書きは上に続けて珍しい鳥居について、外国の宗教との関わり合いにも触れる一方、

  鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり、
  宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るよう建立されている。

と素っ気無く、さらりと「説明」していますが、鳥居が、それ自体で一つの結界を成し、神域への入り口、つまりは俗界と神の世界との「架け橋」であること、更には鳥居がかつて江戸期には「小川の中」(水の中)にあったことを思えば、自ずと導かれる推論の一端が見えてきます。オノコロ・シリーズに付き合って下さっている読者の皆さんは、もう、随分と「カミサマ通」に成られた事と思いますが、今回取り上げた木嶋社の祭神、中でも「天孫」とされる三柱についてはどの程度の「知識」をお持ちでしょうか?又、海彦山彦の神話はご存知でしょうか!ここで、記紀神話のお浚いです。

アマテラスは、自分の直系子孫にのみ葦原中国を与えるため、既に国を造り終え支配権も有しているオオクニヌシの許へ次々と使者を送り込み、国をすべて「譲る」ように求めました。紆余曲折はあったものの結局オオクニヌシ一族はアマテラス側の要求を条件付きで認め「国を譲る」ことに同意し、女神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を天降らせるのです。これが俗に「天孫降臨」神話と呼ばれるもので、ニニギの息子が穂穂出見命(ホホデミノミコト)、孫が鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)です。記紀が伝える沢山のお話しは、それぞれ色々な主題や主張を含み読み物としても楽しめるものなので、皆さんも秋の夜長に一度挑戦してみては如何でしょう?!それはさておき。神話の世界に限りなく近いとされる初代天皇・神武の出生と三柱鳥居との間には深い縁が隠されているようです。

先ず神武の生まれですが、彼の母親は海の神様(つまり水の神、龍神でもあります)大綿津見命の娘の玉依姫なのですが、この女性は系譜上、神武の祖母であり父・鵜茅葺不合命の母親・豊玉姫の妹でもあるのです。少しややこしく感じる方もあるかも知れませんが、言葉を変えて言うと、

  ウガヤフキアエズは、海神の娘であり叔母である女性を娶り神武が生まれた

のです。そして、この「構図」は続けて二度繰り返されることになります。つまり、神武は事代主命(大物主)と三嶋溝咋姫との間に出来たとされる姫蹈鞴五十鈴姫命との婚姻で第二代・綏靖を得ているのですが、その二代目が妻とした女性が姫蹈鞴五十鈴姫命の妹(つまり叔母)の五十鈴依姫なのです(であるのなら、異伝として伝えられている活玉依姫=三嶋溝咋姫という見方も頷けます。つまり三嶋溝咋命は水神、龍神だということです)。−−話しは、此処で終わりません…。

哲学者の梅原猛(うめはら・たけし,1925〜)は昭和40年代末に『隠された十字架−法隆寺論』『水底の歌−柿本人麻呂論』を次々と発表し、古代史に興味の無かった若者達の多くをも読者にしましたが、1991年には朝日新聞社から『海人と天皇』を出版、道成寺に伝わる髪長姫伝説の検証から、

  聖武天皇の母、宮子は海人の娘であった

と結論付けたのですが、実は、この聖武天皇(701〜756)にも上の「公式」が当てはまるのです。つまり、文武天皇と藤原不比等(659〜720)の娘・宮子との子供が聖武天皇に他ならないのですが、彼が伴侶とした光明皇后(701〜760)は母・宮子の妹だったのです!三つの「証拠」は何を示唆しているのでしょう?幾つかの答えが考えられますが、

  1 王朝の始祖たちは海神の娘と結ばれ子孫を成す
  2 王朝の始祖たちは母親と近しい縁者と結ばれる

の二つが記紀編集者たちの「思想」として存在していたことは間違いありません。更に、この二つの「法則」から宇合(うまかい,694〜737)を肇とする藤原氏一族が、帝室の不文律を無視してまで強行した光明子の立后も、聖武天皇を「藤原王朝」の始祖と捉えていた事実を反映したものだったと言えるのでしょう。さて、ようやく鳥居の許に辿り着きました。自然に流れる「小川」の中に建てられた不思議な鳥居は、恐らく記紀が伝える「大海原を治める神」の世界への入り口を象徴したものなのでしょう。ただ、神々の変遷、興亡の歴史を見てきた者の眼には三柱の構造が『四方から拝することが出来る』様に設えられたと考えるよりも、何処から見ても視界の中に佇む一本の柱が、国を譲らざるを得なかった古い神々たちを封じ込めるための閂に見えてしまうのは何故なのでしょう。

ここから、オマケ話しに移ります。…旧財閥として知られる三井家は伊勢松阪が発祥の地なのだそうですが、家祖の三井高利(1632〜1694)は宇多源氏の一派、佐々木氏の出とされています。東京・向島にあった田中稲荷、それが三囲神社(みめぐりじんじゃ)の原型で、元々京都の三井家にあった三柱鳥居が、この社に移築され現存しています。三井の家紋が「四つ菱」とは?是いかに!正に謎々のような事実ですが、これは「三井(みつい)」の語呂合わせではないかと妄想しています。つまり、こういう事です。「三井」=「満つ井」から連想して「四つ菱」の家紋は「井戸桁」を象徴したものではないか!滾々と清水が湧き出す聖なる井戸は、正に冨の証しと言えるのではないか…、と考えてみたのですが……。

乙姫は龍神の娘です  枚聞(ひらきき)神社

また、本文では触れませんでしたが「龍神」と言えば直ぐに思い浮かぶのは、例の浦嶋伝説でしょう。風土記に取り上げられ日本書紀にまで採録された「物語」は海神の娘と結ばれた男性の「成功」の一場面を描いています。そして何より、本名が亀姫である娘は「乙姫」(つまり妹姫)の愛称で呼ばれ、伝説が全国へ流布されたのです。(上の画像で彼女が被っている冠を、良く眺めてみて下さい)

オマケをもう一つ。安珍・清姫のお話しで有名な道成寺は、文武天皇が勅願され西暦701年に建立されたと伝えられていますが、この年に息子の聖武と光明子が誕生していますから、その史実に合わせたものだとも考えられます。また、上でも見てきた九海士(くあま)の娘・髪長姫の所在を粟田真人(あわた・まひと,?〜719)に探させたのは持統天皇であったという異説も残されているそうです。こうなると鹿児島指宿の枚聞神社に伝わる瑞照姫の物語(二歳で上京し藤原鎌足の養女となり、後、天智天皇の妃となった)も案外何らかの事実を含んでいるのかも知れません。

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