消えてゆく昭和の風景、商店街                                               「サイトの歩き方」も参照してください。

どんな小さな町並みにも、一つや二つは商店が軒を連ねる一角があり、地域に住む人々の日常生活とは切っても切れない、深い関係にあったものです。食べ物一つにしても、今の様に冷凍庫、冷蔵庫を持っている家庭は少数派で圧倒的に多くの家の「主婦」は、その日に家族皆が食べる食品を市場や商店街の中にある馴染みの店で一つ一つ吟味しながら(そして大切な井戸端会議を開きながら)調達したものです。筆者が幼い頃の生活も同様で、小学校の近くには少し大きな市場と幾つかの商店が並ぶ道筋が東西あるいは南北に何本か走っており、大抵の食品は買い揃えることが出来ました。また、食品に限らず生活に必要な諸々の消費財を扱う店、衣料品店、理髪店、本屋、文房具店、時計店そして電器店などと共に、簡単な食事が出来る食堂も営業していました。幼い頃の外食の思い出と言えば多くの方が『百貨店の大食堂』を一番に上げるかも知れませんが、筆者などは市場の入り口近くに店を構えていた小さな「うどん屋」が最も印象に残っています。それは、ある冬の日、風邪で臥せっていた時、家人の手で運ばれ枕元に届けられた一杯の「かけうどん」の味が未だに忘れられないからなのかも知れません。何年か前、所用があって訪れる機会があったのですが、その店は外装を少し変えただけで、半世紀を経た後も商いを続けていました(間口二間ほど、店自体は改築されていましたが、場所が同じなので間違いなさそうでした。屋号は主人の出身地から付けたのだと思われます)

居間の主役はテレビ  コーラよりラムネ メールより手紙  かけそば一杯

地域に密着した商いを行っている店舗の中には、半世紀前とほぼ同じ形態のままで生き残りを果たした所がある一方、人の流れ(行動様式、生活パターン)の変化によって商いそのものを諦めざるを得なかった店も少なからずありました。或る日、奈良から和歌山に抜ける一般道を走る機会があり、その途上に「昭和らしい風景」が在るとの同乗者情報を頼りに何度か道に迷いながら進んだ先に、その「風景」はありました。小さな町並みですが道路は整備されており、何より、その商店街は町のほぼ中央部に立地していて、地域主要道の十字路交差点のすぐ間際に建てられていたのです。最も道に近い部分は既に駐車場のような空地になっていましたが、恐らくそこに在った幾つかの店が立ち退いた後、更地にされてしまったのだと思います。近隣の人口そのものが、この数十年で大きく増減したのに加え、車社会が発達したお蔭?で土地の住人たちの多くが、近くの、より大きな都市へ、品揃えの豊かで安価な大型店へ出かけるようになり、俗に云う「シャッター通り」の商店街が生まれることになったのかも知れません。

   人生の岐路かも知れない。   PR

時刻は昼時だったのですが、天井部のアーケードは所々に穴が開き、そこから太陽の光が漏れているのにも関わらず、辺りは、まるで闇の大王が棲家にしているような時間が止まった重苦しい空間が支配していました。通路に放り出された業務用の冷蔵庫は、かつての賑わいを忘れた人々に何かを語りかけようとしていたのかも知れません。通りに面した一角には昭和の前半に建てられたと思われる木造の工場のような大きめの建物も在ったのですが、そこにも多くの人が共に働き生活している雰囲気は余り感じることが出来ませんでした。休日ということもあり、窓際に置かれた道具類も永い休息を取っているかの様に見えたものです。一つ不思議に思えたのは、同じ道路に面していながら、これらの木造家屋などが建っている一角だけが時の流れから取り残されたように半ば「朽ちて」いることでした。WEB上でも、時たま歴史的な建造物を紹介したコーナーなどで「地相」という言葉が土地と人間との相性のようなものを説明する場合に使われるようですが、地域の内部で商いをするためには、それ相応の地相が必要なのかどうか?調べてみれば興味深い結果を得られるのかも知れません。また、是と言った根拠が在る訳では無いのですが、人間社会でも妙に『影の薄い』人物が居るように、或いは土地柄という言葉もあるように、何とはなく人が寄り付きにくい場所というものが存在するのかも知れません、閑話休題。

    

昭和という時代は「64年」間続きました。筆者は所謂「戦後」生まれの世代ですから、その前半については全く情報を持っていませんが、物を大量に消費しながら肥大し続ける国の有様を具に見てきたものです。在る商品のCFで『大きいことは良いことだ』と云うフレーズが使われたことがありましたが、正に、昭和の一時期を象徴した文言として脳裏に記憶されています。『使い捨て文化』などと云う余り品の良くない表現も流行したものです。当時「環境」に配慮するなどという考え方は片鱗も姿を見せず、人々は「右肩上がり」の経済発展が未来永劫続くことを信じて、只管資源の浪費に励んだものでした。そして行き着いた先が「公害」に蝕まれた八方ふさがりの袋小路だった訳です。

歴史に「イフ=若しも」は無いと良く言われますが、一時代が過ぎ去った後になって『あの時、若し、こうしていれば違った人生を歩んだかも知れない』と回顧する個々人の分岐点のようなものは、誰しも幾つかは経験しているのではないでしょうか?!勿論、映画や物語の世界ではありませんから、もう一度『その時点に』立ち返って別の人生をやり直すことは出来ません。思い出が感傷的な色彩を帯びてしまうのは、そんな処に原因の一つが潜んでいるのかも知れません。そんな「若しも」が一度だけ叶えられるとしたら、貴方は「どの時、どの場面」を選びますか?

 TOP    
     
 人気のページ   お地蔵さまの正体を探る   石川五右衛門の仲間たち   出雲の阿国は歌舞伎の元祖   オオクニヌシは天目一箇命か   正しいUFOの呼び出し方