国宝の隅田画像鏡は何を手本に造られたのか                              「サイトの歩き方」も参照してください。

鏡の外縁に沿って人物の名前や地名そして年号(干支)と思われる四十八文字の銘文が刻まれていることから、古代日本の有様を具体的に伝える「物証」として高い評価が与えられ、壱早く大正五年に重要文化財の指定を受け、我が国の金石文の代表例として常に文献などにも取り上げられる隅田八幡神社の『人物画像鏡』は、外国で作られ輸入した所謂「舶載鏡」ではなく、後漢時代後期(二世紀〜三世紀)に大陸で造られ国内に持ち込まれた複数の鏡を手本にして、国内の鏡作りたちが時代を経て複製した一面であると考えられています。専門家たちの研究によれば隅田鏡の元鏡ではないかと推測される「神人歌舞画像鏡」は国内で十面余りが全国から出土しており、河内高安古墳群に含まれる郡川西塚古墳(方円墳、全長60m、五世紀末頃の築造)から発見された一面(径20.6p)は、根津美術館鏡、東京亀塚鏡と並んで、原鏡に最も近いものではないか(第一次の模倣品)と見られています(但し、根津美術館では、神人歌舞画像鏡ではなく『西王母東王父画像鏡』と極めて具体的な名称を鏡に与えています)。

さて、わが国でもお馴染み『西遊記』の主人公として有名な花果山の石猿・美猴王は、日々の深い思索の結果「此の世の無常」に思い至り、遂には「不老不死」への強い願望に取りつかれ、厳しい修行の末数々の仙術を身に着けることに成功して、師匠の須菩提から「孫悟空」という法名まで授けられました。その彼が玄奘三蔵一行を襲う妖怪たちを相手に大暴れする数々の「お話し」はご存知だと思いますが、西王母の桃園の逸話も記憶の戸棚の何処かにしまってあるのでは?彼女の生誕祭(三月三日)で招待客に振る舞われる『九千年に一度熟す不老不死の仙桃』などを悟空は、宴会に招かれなかった腹いせに手当たり次第食べ散らかし、天帝たちの大きな怒りを買います。そして天界の武人たちとの戦い、お釈迦様との対決を経て山の下敷きにされてしまうと云うのが三蔵法師に出会う前までの物語の粗筋なのですが、ここで登場する「西王母」に今回は着目してみました。

人物画像鏡  隅田八幡神社  西王母?  孫悟空

 西王母とは、西方の崑崙山上に住するとされた女性の尊称である。すべての女仙人たちを統率する最高位の聖母で、蓬莱山に棲む東王父の配偶者とされる。周の穆王は西に巡符して崑崙に遊び、彼女と出会い、帰るのを忘れたとも云われ、また前漢の武帝(前156〜前87)が長生を願っていた折、西王母は天上から自ら下界に降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたとも伝えられる。所謂「不老不死・不老長寿」を体現した存在だと云えます。

隅田鏡の銘文をお浚いすると、そこには概ね『癸未(きび)年八月日十大王年 男弟王在意柴沙加宮時 斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等 取白上同二百旱作此竟』とあって、この鏡を造らせた人物は、鏡を贈るべき相手の「長寿を念じて」拵えた事が明らかです。勿論、古代において、この様な鏡を贈られるのは実力者、権力者たちに限られていますから、相手の「長寿」を願う文言そのものに御目出度い縁起担ぎの吉祥句の性質が在ることも又事実ですが、郡川西塚古墳と同型ではないかと見られている東京狛江市の亀塚古墳出土鏡と根津美術館鏡の画像には「西王母」の添え字が彫り込まれているのを確認できますから、鏡作りに関わった誰かが大陸で大流行した神仙思想を認識していたことは間違いないと思われます(下段中央、右の画像参照)。と云うより、むしろ献上する人の「不老長寿」を祈念するという主題が先に在り、それに合わせて漢鏡などからお手本となる図柄を選び出し、鏡作りに模造を指示したのだと考えられます。また、複製品と推測される画像鏡の多くが五世紀から六世紀にかけて築造されたと見られる古墳から出土しているため、本当に2〜3世紀に大陸で鋳造された舶載鏡を手本にしたのか?つまり数世代にも亘る「伝世」そのものに対する疑念を持つ人も多いようですが、京都京田辺市のトヅカ古墳(円墳、径20m、五世紀中頃〜後半)から、二世紀に齎されたのではないかと思われる神人車馬画像鏡が、複製品の神人歌舞画像鏡と一緒に出土していますから、貴重な威信財としての舶来の「古い鏡」の持ち主が、家宝として子孫に伝えた可能性は決して低くはなさそうです(想像に過ぎませんが大王家などに仕えた鏡作り師たちの工房には、見本帳ならぬ見本鏡がある程度備わっていたのかも知れません)(註:下の右二つは画文帯仏獣鏡の画像です)。

 郡川鏡   

隅田鏡の画像  亀塚鏡  根津美術館鏡

上に掲載したイラストの様な画像は隅田鏡を紹介している「紀州名所図会」の一部分なのですが赤茶色の枠線で囲んだ右端に居るのが西王母で、その左には「長い袖」状の衣装を纏って踊っている女性が見えます。隅田鏡には、この他にも踊っている様な模様があることから「神人歌舞画像鏡」を手本にしたと考えられている訳です。筆者は、西王母の横に居る「長い袖」の服を着た女性は仙女だと推測しています。つまり「長い袖」のある服ではなく「袖」の様に見えている物は、良く飛天・天女や仁王像などが身に着けている霊力を表した聖なるリボン(状の布)と同質のものではないかと云う判断です。若し、そうであれば彼女たちは西王母の蟠桃園に住む「七人の仙女」であり、蟠桃会で招待客に振る舞う「不老長寿」の桃を配る役目を担っていた女性たちに違いありません。そのように理解してこそ「念長寿」の銘文も生きてきます。また、隅田鏡と亀塚鏡等で図柄が「反転」しているのは、元鏡を粘土などに押し付けて「そのまま」鋳型を作ったためと思われ「乳」と呼ばれる円錐状の突起の位置がずれているのは、鏡作り師たちの技量が劣っていた事も手伝っているのかも知れませんが、上の青色の枠で囲んだ「半円と台形模様」を別の鏡から取り入れたため、全ての人物像の配置にも影響を与えたのだと想像できます。

この独特な「半円と方形」の連続模様は『半円方画帯』と呼ばれ、国の重要文化財である「画文帯四仏四獣鏡」(径24.1p、古墳時代、五世紀の複製品)などの画文帯仏獣鏡(原鏡の製作は四世紀頃か)を手本にしたとの解釈がなされているようですが、面径の大きさに拘らなければ、後漢後期から三国時代にかけて(2〜3世紀頃)、すでに「画文帯同向式神獣鏡」という形式の鏡が造られていますから、これも手本にする大陸由来の見本鏡が存在していた可能性が十分にありそうです。ただ隅田鏡では四角い台形の単なる「飾り模様」になっている部分が、元々「四文字(例えば、月日天王)」の銘文が刻まれていた「文帯」の連鎖だったのですから、模倣した五〜六世紀の鏡師たちは、既に本来の意匠の意味を理解していなかったとも見ることが出来るのかも知れません(銘文の一節四文字が方形枠を構成し、半円の図柄と交互に並ぶ形で画文帯を表現しているのですから、更に、その外縁に重ねて銘文を挿入することは古代鏡の形式に違反していた訳です。従って、この鏡を作らせた人物が誰であったにせよ、鏡そのものに関する知識には乏しかったと言えそうです。隅田鏡の贈り主を外国の王様だとする論説がありますが、大陸で育まれた鏡文化や神仙思想に触れる生活をした人にとって隅田鏡はとても『異様』なものに見えはずです。)

ここまでの推理から隅田鏡は、後漢時代頃に作られた「西王母・東王父=神仙思想=不老長寿」を主な画題とする「古鏡(所謂、神人歌舞画像鏡)」と神獣鏡、仏獣鏡などで用いられた意匠(形象)を真似て拵えられたものであると考えて差し支え無さそうですが、上で紹介しているお手本鏡には明らかに「歌舞」の概念とは異なる騎馬の人物が登場しています。鏡そのものの呼称に拘り過ぎるのは良くないかも知れませんが根津美術館が「歌舞」の二文字を避けている姿勢を参考にするなら、隅田鏡の手本となった元鏡は「神人歌舞画像鏡」と呼ぶべき意匠のものではなく、根津美術館が「神仙騎馬画像鏡」の呼称で収蔵しているタイプの鏡だったと見るべきです。そして「神人歌舞画像鏡」と呼ぶべき鏡は『中国古鏡展』(村上恭二さんのコレクション)というサイトが同じ名前で公開している後漢鏡だと言えそうです。複雑で多岐にわたる様々な意匠を言葉で説明するのには限界がありますから、参考となる鏡の画像を以下に紹介しておきます。(注意:上右の『根津美術館鏡(部分)』と下左の『神仙騎馬画像鏡』の画像はいずれも同館の許可を得て掲載しているものです。勝手に転載することは出来ません)

神仙騎馬画像鏡  神人歌舞画像鏡

以上の記述を読んで、奈良纏向遺跡での或る「発見」を思い浮かべた方もきっとおられることでしょう。平成22年(2010)の調査時「三世紀中ごろの土坑」の中から、なんと2,000箇以上もの「桃の種」が見つかりました。翌年には数種類の魚の骨や猪、鹿、鴨の骨など千数百点が出土していますので、これらは全て何かの儀式に「供え物」として捧げられた後、廃棄されたものと考えられます。時間的に纏向の遺物が先行していることは明らかですから、既に「三世紀の半ば」頃のヤマト朝において権威への供え物としての「桃」が存在していたと見て間違いなさそうです。隅田鏡の手本となった後漢時代の鏡が我が国に齎された時期と、ほぼ同じ頃、ヤマトの纏向に築造された大きな建物群の一角で、極めて大量の「桃」を供えた行事(神事?)が執り行われていたのです。『三世紀の半ば』という時期に特別な意味を求めてはいけないのかも知れませんが、筆者たち後世に暮らす者たちは皆、邪馬台国の卑弥呼が西暦248年頃亡くなった事を、更には同年と前年に皆既日食が日本列島で起きた事を知っています。魏志の「(卑弥呼)以て死す」と云う文言の背景には、日食に象徴される「絶対的な存在」そのものの権威の失墜が横たわっていると見て良いのかも知れません。

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