中原中也                      「サイトの歩き方」も参照してください。

 

 

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた

起きれば愁はしい、平常のおもひ

私は、悪い意志をもつてゆめみた……

(私は其処に安住したのでもないが、

其処を抜け出すことも叶はなかつた)

そして、夜が来ると私は思ふのだつた。

此の世は、海のやうなものであると。

私はすこししけてゐる宵の海をおもつた

其処を、やつれた顔の船頭は

おぼつかない手で漕ぎながら

獲物があるかあるまいことか

水の面を、にらめながらに過ぎてゆく

 

         U

 

 私は思つてゐたものだつた

恋愛詩なぞ愚劣なものだと

 

今私は恋愛詩を詠み

甲斐あることに思ふのだ

 

だがまだ今でもともすると

恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

 

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが

とにかくさういふ心が残つてをり

 

それは時々私をいらだて

とんだ希望を起させる

 

昔私は思ってゐたものだつた

恋愛詩なぞ愚劣なものだと

 

けれどもいまでは恋愛を

ゆめみるほかに能がない

 

         V

 

それが私の堕落かどうか

どうして私に知れようものか

 

腕にたるむだ私の怠惰

今日も日が照る 空は青いよ

 

ひよつとしたなら昔から

おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

 

真面目な希望も その怠惰の中から

憧憬したのにすぎなかつたかもしれぬ

 

あゝ それにしてもそれにしても

ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

 

         W

 

しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分りはせぬ

 

人間に分らない無数の理由が

あれをもこれをも支配してゐるのだ

 

山陰の清水のやうに忍耐ぶかく

つぐむでゐれば愉しいだけだ

 

汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな

 

やがては全体の調和に溶けて

空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

 

         X

 

さてどうすれば利するだらうか、とか

どうすれば哂はれないですむだらうか、とか

 

要するに人を相手の思惑に

明けくれすぐす、世の人々よ、

 

僕はあなたがたの心も尤もと感じ

一生懸命郷に従つてもみたのだが

 

今日また自分に帰るのだ

ひつぱつたゴムを手離したやうに

 

さうしてこの怠惰の窗の中から

扇のかたちに食指をひろげ

 

青空を喫ふ 閑を嚥む

蛙さながらに水に泛んで

 

夜は夜とて星をみる

あゝ 空の奥、空の奥

 

         Y

 

しかし またかうした僕の状態がつづき、

僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、

自分の生存をしんきくさく感じ、

ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

 

そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに

気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。

それがばかげてゐるにしても、その二つつが

僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです

 

と、聞ゑてくる音楽には心惹かれ、

ちよつとは生き生きしもするのですが、

その時その二つつは僕の中に死んで、

 

あゝ 空の歌、海の歌、

僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですが

それにしても辛いことです、怠惰を逭れるすべがない!


   中也   

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