正しい?信号の送り方                               サイトの歩き方」も参照してください。

洞窟の入り口が、たまたま東の方角に向いていたので、夜明け時の力強い太陽が、いつもの寝床まで起こしに来てくれる。布団代わりに敷き詰めた木木の小枝、そして食料にもなる草草も、随分と干からびくたびれて、寝返りを打つたびにガサゴソと不平をもらす。寝苦しい夜が続いていた…。それが「夢」というもので、脳細胞の勝手な生理現象であることなぞ知る由も無かったが、彼は、もう、行く事に決めていた。

いつのことだったのか、時間の概念を持たない彼には巧く説明することが出来ないが、かつて、同じ洞窟を棲家としていたが居た。ある日、彼は、その男と、狩りに出かけた。男は、いつも彼の前を大股で地表を滑るように歩き、彼よりも早く息の続く限り走り続け、彼よりも素早く大きな獲物を簡単に黙らせることが出来た。暑い暑い日、太陽は、ほぼ真上にあり、二人の体をじわじわといたぶる様に、危険な光の刃を容赦なく頭上から投げ続けていた。朝、思いのほか気温が低かったため、二人はついつい遠出をしてしまい、いつもなら喉の渇きを癒すため回り道をしてでも立ち寄る、湧き水の流れ出す砂場のことも忘れ、跳ね回る獲物の後姿ばかりに気をとられ、駆け足で通り過ぎた報いを今、受けようとしていた。……、どの位、その場所で気を失っていたのか、彼が気づいた時、男はどこにも見当たらなかった。眼前に聳える、赤黒い岩肌だけが記憶に残った。

男が初めて洞窟に入ってきた時、彼の目はシルエットで浮かび上がった男の片方の腕に釘付けになり、思わず後ずさりした。信じられないことに、男の右腕は、殆ど地面に着きそうなほどもあったのだ。本能的に立ち上がり、身構えようとする彼の前まで無言のまま歩み寄った男は、腰にぶら下げていた獣の肉片を彼の眼前に差し出し、敵意がないことを示し、そのまま彼の横に転がり込むと、直ぐに鼾を立てて眠りこけた。久しぶりにありついた肉の小さな塊に噛り付き胃袋に詰め終わった彼は、夕暮れ間近の赤い太陽の残り火で、もう一度、気になる男の右腕を確かめてみようとした。男の手が長いのではなく、男は棍棒のような木切れの先に、何か黒っぽい石のようなものを巻き付け、持ち歩いていた。

 「」も、このような洞窟で… 現代の石切り場  荒涼とした火星

「夢」は、いつも彼が男と最後に出かけた日の朝の場面から始まった。右手に棍棒を握り締め、彼の前を歩く男の後姿に、棍棒の先に巻きつけてある黒い石の塊が重なり、そして、最後に、あの赤黒いごつごつとした岩肌が立ちはだかる。そんな「夢」を、は繰り返し繰り返し、見続けていた。男は黒い石付きの棍棒を眠るときにも手放さず、時折、蔓草のような紐で石を括り付けてある、その結び目を確かめるような仕草をしてはいたが、決して、棒を何処かに置きっ放しにすることはなかった。彼の内部で、黒い石そのものが強固な印象を形作り、遠出の日に辿り着いた未知の赤黒い岩肌の記憶と融合するまで、そんなに多くの時間は要さなかった。彼は、次の朝、目覚めた時、出発することに決めた。

僅かばかりの食糧となる木の実を握り締め、あの日の記憶だけを頼りに彼は進んだ。あの時、一緒だった男が居ないせいで、その歩みは遅かったが、陽が天空に昇りきる頃までには、丁度、湧き水の在り処に着くことができた。まばらに生えた、少し大きめの樹木の下で休息をとった彼は、目的の岩肌を目指して歩き続けた。そして、再び見えた赤黒い岩の塊が幾重にも重なり合い、もつれ合い、のたうつような構図は、草原で見た狩りをする大きな黒い獣のような躍動感を彼に伝えた。まるで、岩石が、そこで息を殺し、跳躍の瞬間を待っているような気配すら感じられた。陽が沈む時刻が迫っていた。

朝日の只中で赤黒い岩は、大人しく眠っているように見えた。岩壁のように見えていたものは小さな丘の半分ほどが崩れた剥き出しの山肌で、獣道のような筋も通っている。赤黒い岩の塊の周囲をうろつき歩くうち、不意に彼は、あの男の息遣いを感じて立ち止まった。そこには、彼が、丁度、両手で抱えて持てる程の大きさの赤黒い岩が一つ無造作に転がっていた。周りの岩盤の其処には、飛び散った黒い岩の鋭いカケラが無数に散乱していた。その場に座り込んだ彼に、別段の思案がある訳でもなく、赤黒い岩に再び巡会えたことで、彼の欲求は一先ず満たされていた。

空腹は、耐えられない程ではなかったが、彼は、洞窟に戻ることを選んだ。足元には赤黒い岩が見つけた時のままの姿勢で空を睨んでいる。一度は、両の手で持ち上げ、肩にかかえ運ぼうとしたが、岩は思いの他ずっしりと重く、のしかかり、まともな歩行すら不可能にした。何度か試みた後で、彼は、遂に、石をそのまま放置して立ち去さる決断をしたのだが、ふと、一つの考えに囚われて、もう一度、赤黒い岩の在る処まで引き返し、思い切り、その石を頭上高く持ち上げ、岩盤めがけて投げつけた。夕間暮れの谷間に、予測もしなかった大きな音が反響し、彼は、一瞬たじろいだが、石が岩盤に叩きつけられた時発した火花を見逃すことはなかった。四散した黒い石の群れを見届けた彼の口元がひきつったように見えたのは、彼が、自身の行為の結果に満足した笑みだったのではないかと思われた。彼は、両手に馴染む大きさで、良く光る黒い石を一つずつ握りしめると、自信に満ちた足取りで、元来た道を引き返し始めた。彼には、次に、やってみたいことがあった。

数十万年前あるいは100万年以上も前に人類が初めて「」を発見した場所がアフリカ大陸だったのか、それともユーラシア、アジア大陸の何処かだったのか?誰に尋ねても確かな答えは帰ってこないでしょう。上で長々と小説風に書いてしまったのも、管理人なりに、火と人の関わりを考えてみたかっただけなのですが、このページの主題からは、少し焦点がずれています。

如何にも切れ味がよさそうです(黒曜石)   PR

「火」を手に入れた、つまり、自在に「火」を操ることが出来るようになった人々の生活には、多くの変革が産み出されたことでしょう。例えば衣食住に限ってみても、先ず「火」を絶やさずに居ることで「暗闇」の恐怖と危険から身を守ることも可能になり、冬季でも暖を取れることから人の寿命が画期的に伸びたと思われます。勿論、初めの頃、火を使い慣れない頃には一酸化炭素等という見えない悪魔の餌食となり、遭えなく倒れた人も多くいたでしょうが…。「火の不始末」が齎す結果として、直ぐ思い浮かぶのは森林火災です。森林というと大げさ過ぎるなら、住居近くの山林火災と言い換えてもかまいません。一度「火」の付いた山林、森林は自然火災がそうであるように、消したくても彼らの手に負えるものではありません。余りの火の勢いに遥か遠くまで避難を余儀なくされていた住人たちは、ほとぼりの冷めた頃、必ず、戻ってきたに違いありません。焼き尽くされた一帯は見通しの良い居住地として利用される一方、火によって「自然に調理」された動植物の「味」を彼らに教えたのも火災だったのかも知れないのです。火と石の文化は、極めて緩やかに、だが着実に彼らの生活を質的に変化させたのです。

天智天皇三年、この年の出来事として『日本書紀』は、次のように伝えています。

  是歳、対馬嶋・壹岐嶋・筑紫国などに防(さきもり)と(すすみ)とを置く

是は前年「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に敗れた朝廷政府が九州防備のためにとった措置の一環と思われますが、ここで「すすみ」と呼んでいる物が、所謂「烽火のろし)台」だったと考えられます。火を手にした人たちが、何時ごろから火(と煙)を通信の手段として利用し始めたのか想像の域を出ませんが、真っ暗な自然の只中で点る「炎・火」の印象が現代においてさえも鮮明であることを思えば、彼らが当初から「信号」を意識したかどうかは別にしても、仲間たち或いは敵対者となる可能性のある者たちの「所在」を知りうる「情報」源としては早くから意識されていたのではないでしょうか!そして次第に「火や煙」は、特定の「情報」(例えば『侵入者あり』『不明者あり』『救助頼む』『健在なり』『獲物発見』etc)を他者に「伝達」する有効な手段として認識され、広く利用されるに至ったのです。やっとこさ、今回の主題の裾野にたどり着きました。

「のろし」の原点は火山の噴火かも知れません

中学校での新しい生活が始まってから1カ月が過ぎようとしている。クラブ紹介の催しや、クラスの皆が面白半分にやっていた部室巡りにも参加しなかったのには訳があった。数百メートルほど道を上った川淵の一角に、二年先輩のKさん一家が住むお邸があった。鉄筋コンクリート造りが、まだ珍しかった頃、二階建ての大きな母屋と、緑のネットで囲まれたゴルフ練習場は、正しく富を象徴していた。何かのきっかけで知り合ったKさんは、少年団の副団長をしており、中学に進んだら、是非、入るようにと勧誘してくれていたのだ。カッターの訓練には泣かされたが、手旗はやってみると面白く、早く覚えようと練習にも力が入った。

手旗信号の基本が「カタカナ」であることは容易に想像できると思いますが、一応、ご説明をしておきます。人が両方の手に持った「赤・白」二本の旗の形状、をカタカナの「一画」に見立てたものだと考えてください。例えば「オ」という字は「−(横棒)」に「|(縦棒)」を加え、更に「/(斜め棒)」を足した字画ですから、旗は「一(両手を左右水平)」「二(右手のみを垂直)」「三(左腕を斜め上・右腕を斜め下)」と三度「線」を描くことで「オ」の文字を記すわけです。その他にも、信号につきものの色々な決まりごとがありますが、二十にも満たない基本形さえ覚えれば、誰にでも簡単に使うことが出来ます。そして人間は、覚えたものを、直ぐに使ってみたくなるものです。

地球は確かに「青い」天体なのですね

一クラスに五十人余り、全学年を合わせて六十クラスという「人口」を抱えた中学校を、今の生徒さんたちは想像も出来ないでしょうが、戦後の「ペビーブーム」で誕生した子供たちを抱える都市の小中学校は皆同じような状況だったと思います。中間テストを目前にした或る日の午後、グランドで学年集会が開かれ、クラス毎に幾つかの班に分かれて先生方の「説明」が始まりました。それが一体何のための集会だったのか記憶のカケラも残ってはいないのですが、兎にも角にも退屈だったことは確かです。そして、偶然にも少年団の同期生が、数列離れた場所に座っていたのです。覚えたての信号が思わぬ処で役立ちました。両手の指を旗になぞらえ、信号の受け送りに夢中になっていた一年坊主の頭上から愛の鉄拳が舞い降り、その後、職員室でたっぷりとお説教を頂いたことは言うまでもありません。皆さん、信号は正しく利用したいものです。因みに下の画像は「ア・イ・ウ・エ・オ」を送信しています。

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