武内宿禰は人類だったのか?                                      サイトの歩き方」も参照してください。

1974年春弥生、中国・西安市近郊に住む或る農夫が、作物に必要な水を得ようと井戸を掘っていた時、偶然、いくつかの陶器のカケラを見つけました。その土地は、かつて墓地だったこともあり、古老たちの間では「化け物が出る」場所として知られる所だったのですが、件の農夫噂に惑わされず『これは一体何なのだろう、ひょっとして宝物でも埋まっているのかも?』と興味を持ち、掘り続けたことが、大発見につながったようです。次々掘り出される『人形』の大きさ、そして、その多さに戸惑いながら井戸掘りを続けているうち、一枚の「瓦」に遭遇、その掘り出し物には、なんと『』の一文字が記されていたから、さあ大変、県・省いや国中あげての大騒ぎに発展したのです。何の話をしているのかもう、お分かりですね。

兵馬俑博物館HPより   「史記」  「漢書」 徐福の墓

西暦、紀元前221年、初めて中国全土を統一し、国号を秦と革めた始皇・は、班固の『漢書(かんじょ)』(成立は紀元82年)によれば、四十一歳になった紀元前219年、方士の除市(じょふつ、日本では徐福=じょふく=とされる、紀元前255?〜208?)に「仙薬」を求めるよう命じた、と言われます。また、司馬遷(しば・せん、BC145〜BC86?前漢の歴史家)の『史記(しき)』も、始皇本紀の中で、

  徐市ら言う、海中に三神山あり、蓬莱、方丈、瀛州といい僊人仙人)これに居る。

  童男女と之を求むることを得ん。

  徐市ら費やすこと、巨万を以って計るも、終にを得ず

と始皇の興味がどの辺りにあったかを確かに伝えています。また、書かれた時代がかなり後にはなりますが、三国志『呉書(ごしょ)』(陳寿、233〜297)の孫権伝では、「史記」の記述(「史記」淮南・衡山列伝)をふまえ、

  秦始皇帝、方士徐福を遣わし、童男女数千人を率いてに入り

  蓬莱神山および仙薬を求めしむ

  亶州にとどまりて還らず。世世相承けて数万家あり

と、後日談のような事柄まで記述しているのですが、さて、『良家の童男童女3000人と五穀、百工(多くの技術者)』を与えてまで始皇が求めて止まなかった、その「仙薬」とは、一体何だったのでしょう?そして「蓬莱山」とは、海の中のどの辺りに存在する、と考えられていたのでしょうか?2200年前と言えば「弥生時代初め」に相当する訳ですが、推理を進める前に先ず徐市(徐福)という人物について語っておかなければなりません。十三歳で秦王となり、遂には全土を統一した始皇・政の出自が怪しげなのに対し、近年の調査から徐市(徐福)の祖先こそ秦王朝につながる名門だったことが判明してきたようです。彼の出身地については『史記』も、

  徐市はの国、琅邪(ろうや)の人なり

と明記しており徐市が琅邪、つまり現在の山東半島周辺の生まれであることを示唆しています。そして中国の研究家の調査によれば、徐市の遠い祖先は、

  「舜」の時代に(えい)という姓を与えられ

  夏王朝(紀元前2070?〜紀元前1600?)初期には徐国王となった

とされる超旧家であり、徐市の姓「瀛」は秦王室と同じ姓でもあることから、秦の始皇・政とは正に同門同族だったことになりますが、『史記』呂不韋列伝は、

  政(始皇)の真の父親は韓の商人・呂不韋その人であり、母親は趙の踊り子だった

と暴露しています。つまり、始皇は「秦」とは何の関わりも無い唯の庶民に過ぎないと謂っている訳です。それはさておき、ここで全国制覇に最後まで抵抗した敵国「斉」の住人である徐市に、何故、始皇・政が態々会う必要があったのか、という疑問が生じますが、古来、天子となった者は天下人となった事を全土に知らしめると同時に、国土に豊穣をもたらすため天の神々を祀る「封禅(ほうぜん)」の儀式を行うしきたりがあり「斉」(山東半島)の琅邪地区は、その対象となる神々を祀った聖なる地だったのです。だから、何事にも精力的だった政は、かつての敵地を訪れ徐市の「進言」を聞く機会を得たのです。と言うより、秦の遠い縁者であり名高い方士でもある徐市の事を事前に調べていた彼が、計算ずくの上で、徐市に会うために琅邪を訪れたと考えた方が良いのかも知れません。遅くなりましたが、この初対面の会合で徐市が具申した「薬」の正体は不老不死を約束する仙薬だと想像され、徐市が云う「蓬莱」の地とは、日本のことだと解釈されているのです。さてさて、そんな妙薬、本当にあったのでしょうか?。皇帝は、信じていた節があり、徐市の「具申」を聞き、送り出した後、琅邪の地に「別荘」を建てさせ数ヶ月も待っていたそうです。更に始皇・政は四年後のBC215年に、別の人物二人にも『不死の薬』を探させたという記録が残っていますから、かなり本気で「薬」を捜し求めていたことは間違いなさそうです。(上右の徐福墓は和歌山県熊野市にあるものです)

 方士=東洋医学から易学、暦学、薬学そして占術、農耕に関する技術や気象・方位学まで森羅万象にわたる学問と知識(神仙文化)を有した人の意(WEBより)。
 中国の研究によれば、徐市は最上級・別格の「方士」だった。

秦式の四頭立て馬車  PR

韓・趙・魏・燕・楚そして斉を次々と平定、全国統一を成し遂げ中央集権の体制作りを進め、度量衡、通貨さらに文字など社会基盤の標準化を矢継ぎ早に実行し万能に見えた始皇帝にも、意のままにならないモノがありました。それが「時間」です。市井の人であれ皇帝であれ歳月(時間)は等しく訪れ、やがて「老い」の季節を迎えなければなりません。

「不」は単なる巷の伝説に過ぎないのか?!

ヒトが「老いる」とは一体どういうことなのか、そのシステムがどうなっているのか門外漢の管理人には説明不可能ですから、いつものようにWEBで回収した雑学の切れ端を繋ぎ合わせながらお話を進めてゆきます。

  老化とは身体を構成している「細胞」の修復力の喪失

である、というのが一般的「解釈」のようですが、老化(エージング)については1930年代から各国で組織だった研究が行われ、幾つかの「理論」が公表されています。その一つに「酸化説」があります。

ヒトを含めた動物の体内では、呼吸により取り込まれた「酸素」を用いたエネルギー生産(代謝)が細胞内のミトコンドリアという細胞内器官で行われています。そして、この生産活動に用いられた酸素のごく一部(1〜2パーセント)を「誤って」スーパーオキシドという物質にしてしまいます。更に、このスーパーオキシドからは過激な酸化作用を持ったヒドロキシルフリーラジカルという物質が体内に作られ、遺伝子・膜脂肪・タンバク質などを「酸化」して壊してしまうので活性酸素種ROS)と呼ばれているのです。「活性酸素」は聞いたことがありますね。こいつ、いや、これらは免疫細胞によって盛んに作られ様々な「感染の防止」にも役立っているのですが、過剰に生産されると生体機能そのものの低下、老化、発ガンなどを引き起こす、と考えられています。つまり、極々大雑把に言うと「ヒトの身体も鉄のように酸化する、つまり錆付く」訳です。

ミトコンドリア=ヒトや動物の細胞の中で、エネルギーを作り出している細胞内器官のこと。球形あるいは細長い棒状の粒子で、1個の細胞の中に数百個存在している。太古の昔、原始細胞の中に、呼吸能力のある細菌が入り込んで「共生」を始めたのが、ミトコンドリアの起源である、と考えられています。
ミトコンドリアは、食べ物から取り出された「水素」を、呼吸によって取り入れられた「酸素」と反応させて、その時に発生するエネルギーを使ってATP(アデノシン三リン酸)という物質を合成します。このATPは細胞内に大量に貯めておくことが出来ないため、ミトコンドリアは必要に応じて水素や酸素の反応を制御、つまり呼吸の速度を調整しているのです。また、ミトコンドリアは36〜37度という非常に温和な温度条件のもとで水素と酸素を反応させていますが、どうしてもミトコンドリアの電子伝達系から「電子」が漏れ出し、その結果が活性酸素の発生につながっているのです。そして、加齢とともにミトコンドリア遺伝子に異変が蓄積してゆき、ミトコンドリアからの活性酸素の漏れ出しが増大し、それが細胞機能そのものに悪影響を与えます。

老化を研究した理論には、この酸化説の他にも「テロメア短縮説」(細胞内に分子時計が組み込まれているという考え。DNA染色体の先端にあるテロメアの長さが細胞分裂の回数を規制しているという考え)、「アポトーシス説」(老化するに従って細胞自身の自殺するケースが加速されるという考え)などがあるのですが、二十世紀が終わろうとする頃(1997)米国の研究者が遺伝子の分野で新たな「説」を発表し、注目を集めました。

カリフォルニア大学、生物物理学のシンシア・ケニオン教授の研究室では「Cエレガンス」という線虫を用いて遺伝子に関する実験を行い、その結果「たった一つの遺伝子を変えることで寿命を二倍にする」ことが出来た、らしいのですが、その論文を直接読むことが出来なかったので、同じ研究に取り組みWEB上で分り易く解説している東京都老人総合研究所(白澤卓二リーダー)のHPから概要を紹介してみましょう。(文章の引用には万全を期したつもりですが、若し、間違いがあれば、それは引用者自身の無知からくる誤りですので、ご容赦を)

先ず、実験動物の「C.エレガンス」君のプロフィールから。この「線虫」の体長は約1ミリ、体細胞数959個の小さな動物で、普段は土の中に住み、バクテリアを好物としています。(上の画像参照)何故、この線虫くんが実験動物に選ばれたのか、その理由は彼の遺伝子約19,000個の全てがゲノムプロジェクトにより1998年に既に判明していること、そして彼の寿命が僅か「21日間」と短いため寿命をコントロールしている遺伝子の研究に適しているからです。ケニオン教授が発表した長寿の線虫たち(長寿変異体)には、それぞれ「daf−2」「age−1」「clk−1」などの名前が与えられていますが、次に、その詳細をみてみましょう。

1 ミトコンドリアのクロック(時計)遺伝子「clk−1」=クロック遺伝子は線虫の様々な生体リズムを制御している遺伝子だと考えられており、この遺伝子にキズが入ると「運動のリズムが遅くなったり」「発生、成長が遅くなる」と同時に「寿命が延長」します。このことから寿命も生体リズムの支配を受けている事が分ります。

2 インスリンシグナルに関与する遺伝子「daf−2」「age−1」=長寿変異体であるdaf−2から得られた、長寿をもたらす遺伝子は、ヒトのインスリン受容体遺伝子と似ている遺伝子であることが判明しています。このことから栄養、内分泌シグナルが「固体寿命」に関与していることが伺えます。

インスリン(インシュリン)=食事によって体内に摂取された糖質は小腸で分解されてブドウ糖となり、吸収されます。ブドウ糖は、すぐに利用されるものを除いて血液中に溶け込んで(血糖)肝臓や筋肉、そして脂肪組織に運ばれて貯蔵されます。ブドウ糖が体内に不足したとき、再び取り出されてエネルギー源として利用されますが、糖質がエネルギーになる過程を「糖代謝」と言い、その鍵を握っているのが膵臓から分泌されるインスリンです。

3 活性酸素を分解する酵素に関与する遺伝子「cat」「sod−3」=細胞が生命活動をするためのエネルギーを作る過程で、副産物として発生する活性酸素が、DNAやタンパク質、脂肪質などを酸化して損傷を与えます。そして次第に遺伝子そのものにエラーが蓄積してゆくと考えられています。これらの活性酸素を処理する酵素であるSOD(スーパーオキサイドディスムターゼ)やカタラーゼそしてGPX(グルタチオンベルオキシターゼ)などの抗酸化酵素は、いずれも細胞内の活性酸素を減少させ、固体寿命を長寿化させると考えられています。

とまあ、難しい事ばかり長々と引用しましたが、皆さんに伝えたかったのは、次の一点です。つまり、これらの線虫くんたちの研究がもたらした遺伝子に関する情報は、ヒトやマウスにも適用できる、私たちも同じような遺伝子を持っている、という事実です。そして線虫とヒトの「長寿遺伝子の構造」に「種を超えて高い相似性」が見られるのです。と言う事は、遺伝子の研究が進めば、ヒトの寿命も2倍以上延びるかもしれない。やっと、武内宿禰につながりました。

北条義時は誰かの「生まれ変わり」なのか!

日本史には余り関心の無い方でも、紫式部の『源氏物語』とならび称される、平安文学の代表作として著名な『枕草子(まくらのそうし)』の作者が清少納言(せいしょうなごん、生没年不詳、965?〜1025?)であることはご存知だと思いますが、そのご主人(正確には、最初の夫)の名前を知っている方は、先ずいないでしょう(管理人も知りませんでした)。その人は十一世紀初め頃に陸奥守を務めた橘則光(たちばな・のりみつ)という人なのですが『古今著聞集(ここんちょもんしゅう)』の編者、橘成季(たちばな・なりすえ、生没年不詳)は、則光から数えて五世の孫に当ります(系譜上は一門である光季の養子)。

生まれ変わりを伝える『古今著聞集』(京都大学収蔵) 

十三世初めに生まれ(1205?)伊賀守を称した橘成季は当時の摂政関白・九条道家(くじょう・みちいえ,1193〜1252)に仕え、建長六年(1254)10月頃、説話集『古今著聞集』(30編、700話)を編集したのですが、その「巻第一、神祇第一」の項で、武内宿禰に関して次のような話を紹介しています(上左の画像)。それは「或る人が、京都の岩清水八幡宮に籠っているとき」不思議な夢を見た、というもので、

  御殿の中から武内」と呼ぶ声がしたと思うと、間もなく

  威厳のある白髪白髭のが現れ、ひざまずいた

  すると「声」の主は翁に向かい

  『今、乱世になろうとしている。お前は、暫く時政の子となって国を治よ』

と告げた、そうなのです。「時政」とは勿論、北条時政(ほうじょう・ときまさ,1138〜1215)のことですから、このお話は鎌倉幕府の第二代執権・北条義時(ほうじょう・よしとき、1163〜1224)が、武内宿禰の「生まれ変わり」である、と言っていることになります。義時は説話集が出来上がるかなり前に死去していますから、幕府へのお追従とばかりは云えませんが、彼が鎌倉将軍・源実朝暗殺(承久元年1219)について、裏側での関与をとかく取りざたされていた事は十二分に承知していたでしょうから、その点から見れば、九条家を中心とした公卿世界では実朝の1件について余り批判的ではなかった、と推測出来るのかも知れません。また、この「声」の主は明らかに託宣の神「八幡神」(宇佐八幡宮)だと思われるので、北条氏の実力が源氏と同等に、或いは、それ以上に評価されていた事情を如実に反映した「お話」だとも考えられます。それにしても、あの武勇を誇る源氏一族の象徴・源義家(みなもと・よしいえ、八幡太郎1039〜1106)が元服の儀式を執り行った岩清水の八幡宮が、よりにもよって北条義時の「生まれ変わり」を予言した、とは手の込んだ推理小説も顔負けの筋書き・演出と言わざるを得ません。つまり源氏の氏神とも言える八幡宮の神が「源氏に代わって北条に国の運営を任せる(義時には、それだけの裁量がある)」と託宣したと言うのですから、神様が心変わりをしたのか、それとも「悪い冗談」とも受け取られかねない「お話」ではありませんか。その辺りの機微を知った上で橘成季が件の「話」を敢えて書いたのだとすれば、彼も中々の「役者」だったと言わねばなりません。

仲哀天皇は「神託」を信じなかったか!

少し脇道にずれるかも知れませんが、八幡さまと武内宿禰のつながりについて唐突だと思われる方が居るかも知れませんので注釈を入れておきます。全国に三万社或いは四万社あると言われる「八幡宮」の総本宮が九州大分の宇佐神宮です。そして、その主祭神が誉田別尊(ほんだわけのみこと)こと応神天皇であり、奈良時代以降、国家の重要時に「託宣」を下す神として中央政府からの尊崇を受けてきました。その託宣神と武内との関連ですが、それは応神の両親、仲哀天皇神功皇后の九州遠征に遡らねばなりません。

息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は仲哀二年に皇后となった後、夫の仲哀天皇と共に九州での反抗勢力を鎮圧するため遠征、筑紫の香椎宮(現在の福岡市)に到着した時「神意」を問う儀式を行いました。皇后自身が祀場において「神懸(かみがかり)」する神主となり、夫の仲哀は神の降臨を招くために「琴」をかき鳴らし、武内宿禰は審神者(さには=沙庭=もともと祀りの場を意味した言葉だが、この場合は『神と問答を行い、神の真意を質す役目をする者』)として傍に控えていました。その時、皇后に憑依した「神」は、

  西方に金銀の豊かな国がある。その国を与えよう。

と気前の良いお告げを下されたのですが、現実主義者?の仲哀は『西の方角には、ただの海原しか無い』そんな事を言う「神」は信じることが出来ないと、いきなり演奏を中止してしまいます。事の意外な展開に驚いた武内が仲哀をなんとか宥めて、再度、琴を弾くように進言、仲哀も武内の進言を素直に受け入れましたが、暫くすると、琴の音がぱったり止んだのです。訝しんだ武内が慌てて仲哀の様子を伺うと、彼は既に此の世のものではありませんでした。天皇の急死という一大事にも武内宿禰は冷静さを失わず、国中で禊を行った後、再び「神意」を問いかけました。その結果、住吉大神は、

  この国は皇后のお腹に居る御子が治めるべきである

との「託宣」を下したのです。つまり、八幡神(応神)の誕生をも前もって知りうる立場にあった唯一の存在が武内宿禰であり、彼が「神意」をよりよく聞き出すことの出来る人物である、という言い伝えが古来あった訳です。

  誉田八幡宮  神功皇后陵 

その武内宿禰(たけのうち・すくね、西暦73年生まれ?)という人物が第八代孝元天皇の孫なのか、それとも日本書紀が言うように屋主忍武雄心命の子供であるのか調べようもありませんが、それはさておき記紀によれば彼は景行天皇に始まり成務・仲哀・応神そして仁徳の五代に亘り、天皇の側近中の側近として国政の補佐を務め上げた、正に「伝説上」最も著名な宰相です。また、彼が葛城・平群・江沼・羽田・許勢さらには紀氏・蘇我氏など、有力古代氏族七氏の「祖先」だとされていることから、記紀が編集される段階において、それらの氏族間に伝わる一連の「功名・業績」が一人の人物像に凝縮された、とみなすことも出来るでしょう。この三世紀以上に亘り、古代日本の舵取り役を果たした武内宿禰の最後について『因幡風土記』逸文は、

  大臣武内宿禰は御年三百六十余歳で因幡に下り

  亀金の地に二つの履を残して消息を絶った

と伝えているようですが、皆さん、この長寿伝説を信じますか?ここで、お話は「線虫」君に再び回帰します。人の寿命は現在百二十歳が「限度」だとされていますが、遺伝子を「操作」することで、二倍にも三倍にもなるのでしょうか?そして、我々人類のような生命体は、別の天体にも存在しているのでしょうか?はたまた宇宙は無限なのでしょうか!宇宙は果てしなく膨張を続けているのでしょうか?WEBを巡回中、偶然見つけた「新たな惑星系」のニュースをご紹介して、長寿のお話をお開きとします。

ベガの周りに広がるチリの温度分布図   琴をかなでる男子像国立博物館収蔵

イギリスの惑星プラズマ大気研究センター(PPARC)の発表によると、七夕の織女星としてお馴染みの「こと座」の一等星ベガに、我々の太陽系とよく似た惑星系が見つかった、そうです。ひょっとしたらベガ星人が住む、ベガの惑星が或るのかもしれませんね。(緑色部分の中央にあるのがベガ=薄い×印。新しく見つかった惑星が、その左下の濃い×印です)

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