スサノオ伝説                                                 サイトの歩き方」も参照してください

今時、そんなことをして遊ぶ子供は滅多にいないと思いますが、半世紀近くも前に子供だった管理人たちは、凧糸の先に磁石の断片を括り付け、ただ闇雲に道路や川底を引きずりまわして遊んだものです。別に何がどう面白いというほどのことも無いのですが、磁石に吸い付けられる「砂鉄」(のようなもの)が自分たちの身の回りに結構沢山存在していることが、自分の眼で確かめられるという事自体、興味深かった、のではないかと思います。当時は、自然相手の遊びが多かったのですが、夏場、一時、砂鉄集めが流行ったように記憶しています。

ということで今回の主題は「」にしました。出雲に関る神話などのページを読まれた方の中には内容的に重複する部分もあるので『その話しは、もう聞いた』とおっしゃる向きもあるでしょうが、何分、当方の知識・能力には限界というものがありますから、その辺は、少し目を瞑って読んで下さい。鉄(くろがね)についての記述が初めて現れるのは勿論例の「古事記」で、それは有名なアマテラスの岩戸隠れの場面に登場する或る人物についての描写の形をとっています。隠れてしまったアマテラスを再び呼び戻すために天界の神々は色々と知恵を絞るのですが、一般人の我々を家出先から連れ戻すのとは訳が違い、アマテラスほどの偉い神様に戻っていただくには、それ相応の儀式、拵えが必要になります。その準備作業の一つについて「古事記」は次のように述べています。

     高天原の河上の堅い石を取り    
    天の金山のを取りて、鍛人(かぬち)、天津麻羅を呼び寄せ

    伊斯許理度売命に命じてを作らせた

 5世紀に造られた太刀  古代の武具   PR

ところで、もともと、この大騒動の発端は、アマテラスの「弟」だとされているスサノオが天界で無茶苦茶大暴れしたことにあるのですが、そのスサノオ、責任を取らされ、天界を追放になり、仕方なく人間界に下りてきます。その降り立った処が、なんと出雲の簸(ひ)の川(斐伊川)の辺であった訳です(この地名というか河の名前を覚えておいてください)。尤も、この筋書きは「スサノオにヤマタノオロチ」を退治させるために必要なお膳立てなのですが、そんなことはさておいて、スサノオは何をしたのか、について見てゆきましょう。川原に立った彼が流れの中に見つけた物は「箸」(はし)でした。なんとなく桃太郎のおとぎ話しを連想する場面ですが、世慣れしていたスサノオは『おお、これは河上に人が住んでいるという証拠に違いない』と鋭い直感を働かせ、すぐ河に沿い歩き始めたのです。

ヤマタノオロチの正体とは?

そして例の「ヤマタノオロチ」退治が派手に演出されることになるのですが、この退治されるオロチ君とは何者なのか、他のページでも触れたように「河川の氾濫」=つまり自然現象を象徴したものだと解釈する一方、これこそオロチに名を借りた、タタラ製鉄そのものではないか、とする説もあるのです。なるほど、その気になって古事記の文章を読むと、おどろおどろしいオロチ君の姿の向こう側に、古代から伝わる独特の製鉄方法である「タタラ」の鉄を溶かしている様子が垣間見えなくもありません。

ただ、ヤマタノオロチが「タタラ製鉄」(を行っている集団、部族国家)そのものであったとすると、一つ、問題が生じます。それは、一般的に古代のタタラ製鉄を行っていた集団の多くが出雲地方を根拠とする人々であり、その所謂、出雲族の大元締めがスサノオ(或いはオオクニヌシ)だと考えられていることから、オロチを出雲タタラ集団だと仮定した場合「同士討ち」になってしまいます。スサノオは神話の中でオロチを退治し、その体内から「剣」を取り出し天界に献上しているのですから、これは明らかに両者の間に戦闘行為(武力衝突)があった事を明示していますし、取り上げられた「剣」が支配権と製品としての鉄器を象徴していることは間違いないでしょう。スサノオが「剣」をアマテラスに献上したと記述されていることは、勿論、後で「国譲り」が行われる根拠・正当性につながる伏線になります。つまり、オオクニヌシの親神が、既に「剣=権力の象徴」を差し出している、という訳ですね。

  恐ろしい姿のオロチがトグロを巻いています    これは斐伊川です

この矛盾を解決する方法はあるのでしょうか?スサノオという神様には、実に多くの属性、伝説が付帯されていますが、古事記の記述をありのままに読んで行けば、彼の本質は人の生活の根底にある衣食住の源であることが分かります。これは彼の子孫に組み入れられているオオクニヌシにも当てはまることだと言えます。要するに、我々の生活の土台を作ってくれた、天上遥かに居られる近づき難い神様ではなく、ごく身近な人間くさい「古いカミサマ」の代表だと謂う事です。先の「同士討ち」の件に戻りますが「出雲風土記」はヤマタノオロチが出雲土着の存在だとは言っておらず、それどころかオロチは「高志」(こし=越)から来ると明言しています。風土記の言い伝えを信じるならオロチは外部からの侵入者ということになり、それをスサノオが退治したのなら、同士討ちの懸念は解消できますね。また「毎年のように来る」という表現は、何か、お役人が「年貢」を取り立てるように、定期的に出雲のタタラ集団の許へ「鉄」を納めるよう督促しに来る者たちが居たように感じるのですが、どうでしょう。

(広大な森=木炭)がを生み出すタタラ製法

いずれが真実を伝えているのか、その判断は読者のみなさんお一人お一人に任せることにして先へ進みます。古事記が書かれた8世紀、国内では既に有力氏族たちの勢力範囲の色分け、陣取り合戦が陰に陽に進められていましたが、鉄の文化は、それより少し前、6世紀頃から広がりを見せ始めます。古事記は、その一例として応神天皇の時代すでに百済から韓鍛冶(からかぬち)が来朝したと伝えていますが、出雲を中心とする砂鉄の精錬は当然、それより前から行われていたはずです(歴史の専門家は稲作と鉄が紀元前3ないし4世紀に大陸から伝わったと想定しています)そして、そのタタラ製鉄は大量の木炭を必要とするものですから、広大な樹林の存在が無ければなりません。大袈裟ではなく、ある程度まとまった量の鉄を得るためには山二つ或いは山三つ分の樹木(炭)を充てなければならないのです。スサノオが樹の神様だとする言い伝え(『紀伊続風土記』)も、このタタラ製鉄の現実を知れば大いに肯くことが出来ます。つまり「鉄は木が造る」ものなのです。そして、スサノオほど大物ではありませんが、タタラ製鉄に直接つながる金属専門の神様がおられます、その名前は金屋子神(かなやごのかみ)と申されます。

 鉄の神様が好んだ樹林  森は資源です   PR

播磨風土記」逸文によれば、昔々、志相郡岩鍋(現在の宍粟郡千草町)に鉄の神様が舞い降り、里人に恵みをもたらした後『わたしは、もっと西の方に行く』とおっしゃって白鷺の背に乗り出雲の国、能義郡広瀬町に移られたのが金屋子神だと謂うことなのですが、例によって、この神様のお話しは出雲風土記には採録されていませんし「延喜式神名帳」にも名前が載せられていないのです。しかし古くからタタラ製鉄の伝統を伝えている島根県の旧家(糸原)でも同様に金屋子神を大切にお祀りしていますから、この神様が鉄についての情報を国内の各地に齎してくれたのは事実のようです。

本筋からは少し話しがそれますが、タタラ製鉄の老舗とも言うべき旧家が幾つか出雲の地に存在していますが、鉄関連のWEBなどから集めた資料によれば、それぞれの家が出雲でタタラ操業を開始した年は、

    田部家  1615年      糸原家  1633年      櫻井家  1644年

のことだと記録されているようです。そして、山林王とも呼ばれた田部家は、その名前の通り「紀州田辺」の出身だと謂われ、櫻井家も、その祖先は安芸国・福島正則に仕えた武士で17世紀前半出雲に移り住んだ一族です。また、同じく糸原家も現当主で15代を数えますが地元の古老の話しでは、元もとの出雲人ではなさそうです。これは何を意味しているのか?そもそも「鉄」には「武器」の原料という重要な側面があります。17世紀初頭に全国を制覇した徳川幕府が、古代から伝えられてきた製鉄の高い技術、すなわち武器生産の原料基地を黙って見過ごす訳がありません。開幕から、わずか数年後の慶長15年(1610)に「出雲の鉄穴流し」(かんなながし=タタラ製鉄)が禁止されていることでも幕府が何を考えていたのかが分かります。そして出雲の松江藩に藩主として、寛永15年(1638)に送り込まれた人物が松平直政(まつだいら・なおまさ,1601〜1663)でした。松平は、言うまでも無く徳川家そのものです(直政は家康の孫)。この国替えの年と、上の操業開始の年とを比較すれば、田部家という存在が幕府側から、どのように評価されていたのかが良く分かります。

幾度も繰返された国ゆずり  スサノオとアマテラスの接点は「タタラ姫」

これと同じようなお話しがありましたね。そうです例の「国ゆずり神話」です。17世紀と同じようなお国替えに相当する権力の交代が古代出雲で、やはりあったのでしょう。オオクニヌシが出雲を代表する神様だと思われているように、タタラ製鉄も出雲地方で主に行われてきたことから、何となく出雲の人々の勢力下にあったと考え勝ちですが、その支配権については別の勢力が握っていたと想像することも出来るのです。そうだとするのなら、先のスサノオのオロチ退治も納得できるでしょう。スサノオはタタラ製鉄を行っている「出雲」(の人々、集団)と戦ったのではなく「タタラ製鉄(が生み出す武器や道具)を支配している集団」を自らの勢力下に組み入れた、そして、それは一種の「国ゆずり」に他ならなかったと思うのです。また、国譲りは古代において一度だけであったとは断定できません。古事記などの記述によれば、絶大な権力を握っていたはずのアマテラスでさえ二度にわたり使者を送ったにもかかわらず国ゆずりは実現せず、三度目の正直ではありませんが「武力」を背景にした三回目の交渉で、やっとオオクニヌシに国を譲らせることが出来たのですから…。その時、天界の使者が浜辺の砂につきたてたのも「剣」でした。

さて、今回は、余り皆さんにとって面白い中身ではなかったかも知れません。だから、という訳でもありませんが、オマケのお話しをしておきます。先ず、スサノオについて。紀州と出雲との関りについては色々な指摘がなされている反面、出雲と関東とのつながりについて書かれたものは少ないようです。が、神様という面から見てみると意外に関係は深いものがあります。その代表格が武蔵国入間郡(現在の埼玉県入間市)にある出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)、ここの主祭神は出雲の神・オオナムチ(注意=オオクニヌシではありません)と天穂日命応神天皇神功皇后などで、言い伝えでは『もともと出雲臣が祭祀していた』とされ、埼玉県内で最古の神社なのです。そして関東一円、武蔵国の一の宮である大宮・氷川神社ひかわじんじゃ)にお祀りされている神様は、スサノオ・クシイナダヒメそしてオオナムチ(くどい様ですが、オオクニヌシではありません)の三神なのです。皆さん、スサノオが天界から降りてきた「河」の名前を覚えていますね、そうです「簸川」(ヒカワ)が彼の原点だったのです。

  簸川と同じ名前をもった氷川神社  三嶋溝杭神社  高鴨神社

神様の「名前」だけに拘って推理を進めることは余り感心した方法とは言えませんが、オマケのついでにもう一つ、古事記などから得られるカミサマ情報を披露しておきましょう。「タタラ」(製鉄)が古代の人々に与えた影響の大きさは、現代に住む人々の想像を遥かに越えたものがあったと思うのですが、それは神様の名前にまで「タタラ」という言葉が使われていることでも明らかです。そして、その名前を持つ神様(媛蹈鞴五十鈴媛命、ヒメタタライスズヒメノミコト)が初代神武天皇の皇后であることは、何事かを象徴しているのではないでしょうか。そして、このヒメタタライスズヒメはコトシロヌシの娘、つまりオオクニヌシに直接つながる系譜の中に組み込まれているのです。

記紀神話は複雑で多岐にわたる神々の系譜そして「神話・伝承」を網羅しているため、その全体像を把握することも極めて困難な作業なのですが、このヒメタタライスズヒメという神様を中心に据えると、ある一つの太い線が浮びあがってきます。それは、祖神イザナギイザナミの子、アマテラス(国を譲らせた側)とスサノオ(国を譲った側)の二つに分断された神々の系統が、神武とヒメタタライスズヒメを夫婦とすることで、再び、合流している、という構図に他なりません。そして、何よりコトシロヌシという神様は賀茂氏の祖先神とされている存在であり、その賀茂氏の本貫は奈良・葛城地方だとされています。そしてコトシロヌシはオオクニヌシと宗像の女神・多紀理姫との間に生まれた味鋤高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)の子供であり、出雲風土記は「阿遅鋤高日子根神」が「迦毛大御神」であると伝えているのです。

この迦毛大御神(カモノ・オオミカミ)の子孫とされるコトシロヌシについては非常に興味深い「お話し」が残されています。それは、大和のコトシロヌシが、

    八尋の熊鰐(くまわに)に姿を変えて、三嶋の溝杭の娘・玉依姫の許に通った

というもので、その結果生まれた姫が「蹈鞴五十鈴姫(ヒメタタライスズヒメ)」だと言うのです。「ワニ」と聞けば、直にも因幡の素兎を思い出してしまいますが、コトシロヌシの本貫が大和地方であったとして、この「神話」を素直に読めば、葛城を中心とした地方の実力者であったコトシロヌシ(を祭神とする勢力)が「ワニ」(河川の航行に長けた集団・渡来系?)の力を借りて大阪・摂津地方にまで進出を果たし、摂津・三嶋の実力者であった三嶋溝杭耳神(ミシマミゾクイミミノカミ)を信奉する一族に出会い、極めて近しい間柄になった、のだと想像されるのです。そして、事実にせよ神話にせよ、これらの伝承は「タタラ」の手法が単一の部族・勢力に独占されていたのではなく、友好関係にある部族や集団の間では共有されていたものだったのではないか、という可能性も否定出来ないと思うのです。更に、その「タタラ姫」を皇后に迎えた初代天皇の名前が「神武」であるということは、何よりも彼が武力という実力を背景にした強力な存在(としての象徴)であったことを強く示唆しているのではないでしょうか?

武力という面だけではありません、コトシロヌシの親神様の名前を、もう一度良く見直してください。彼の名前には、ちゃんと「アジ・スキ」という単語が含まれています。この「スキ」こそ農耕にとって必要不可欠な「鋤」そのものであり、鉄の農機具がもたらした収穫量の増加は、正に画期的なものだったはずです。そして、もう一人の神様・三嶋「ミゾクイ」は不思議な名前の持ち主ですが、これも住居や田畑を護る「溝杭」(護岸用の堤防のようなもの)だとしたら、古代の人々の生活を護り豊穣をもたらす土木技術集団に寄せる感謝の念が込められた実体のある神様の名前だと言えるのではないでしようか。(大阪府茨木市の中央を流れる安威川のすぐ傍に三嶋溝杭神社はあります。想像ですが、かつては川岸から直接神社までの参道が続いていたのではないかと思われる程、川岸の近くに溝杭さんは鎮座されているのです)

一つ目小僧は神様の親戚なのか?

ついでのオマケをもう一つ。皆さんは「妖怪」と聞いて何を思い描きますか?最近であれば、やはり「もののけ」何とかか、或いは人気漫画の主人公たちでしょうか。タタラとの関係で見て行くなら、余りメジャーとは言えませんが、妖怪ものの映画などでは常連の一人「一つ目小僧」が最もふさわしい存在のようです。彼の姿は下の画像(右端下)のように、かなり怪しげですが、そのモデルになったのがタタラの神様だと言う俗説があります。というのも、タタラ製鉄は一回の工程が数日間に及び、その間、火の責任者の立場にあるものは、ほとんど不眠不休で「火の色の変化」を観察していなければならず、そのため「眼を患う」ことが多く、長年タタラに携わっていた人の間では失明することも希ではなかった、ようなのです。

   沢山の妖怪が昔は居ました

このページの初めに紹介をした「鍛人」(かぬち)天津麻羅(「古事記」では、この神様には「神・命」という尊称を付けていません)は人格を持った珍しい神様の一人なのですが、この神様の別名が「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ)といい、その名の通り「一つ目」の神様だとされています。そして、このマヒトツノカミこそ一つ目小僧くんの原点だと言うわけです。そして、この「一つ目」の神様の親神の名前が天津日子根神(天津彦根命)であり、その祖父母がアマテラス・スサノオであることをご紹介して、今回のお話しを締め括ります。

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