浦島太郎は「竜宮」へ行ったのか?                             サイトの歩き方」も参照してください

昔、昔、浦島は 助けた亀に連れられて…

今でもあると思いますが、小学校、秋の大イベント学芸会で毎年のように「劇」が行われました。何年生の事だったのかは、良く覚えていないのですが、とにかく、この歌は記憶の深い部分に、そして確かに入力されています。劇の主役は今とは違い「一人」です。つまり主人公の太郎役と、その相手の乙姫様役が居たわけですが、これは「それなりに」(舞台での見栄えも考慮に入れて)演技の旨い児童が、監督役の先生から選ばれました。その選抜基準は明文化されてはいませんでしたが、芝居の結果が全てなので、他の児童たちから「文句」が出たようなことも無かったので、まぁ、順当な配役だったのでしょう。

ところで、そのような「役者」とは縁の無い、その他大勢は一体何をやるのか、と言えば、あれです、乙姫様の家来というのか、つまり「タイやヒラメ」などの魚を演じる(?)訳です。まず、図画の時間を利用して劇に必要な小道具を揃えるのですが、我々「魚隊」は、それぞれが何を演じているのか、観客に分かり易い冠のような髪飾りを作らねばなりません。「タイやヒラメ」は、何となくイメージできると思いますが、出来上がったそれは、一応、形が魚というだけの奇妙な色彩の代物でした。勿論セリフは有りませんから、劇の最中、何をする訳でもなく、ただ、舞台の端っこで、揺れ動いていただけなのですが、妙に気恥かしかったような記憶が残っています。

  竜宮のある海?  竜宮の主とは? 読本の表紙

その浦島太郎、なんとなく彼は「若い漁師」で、子供たちに捕まり「難儀している亀を海に帰してやった」。恩義を感じた「亀」の案内で太郎は「竜宮」を訪れ、乙姫と出会い、そして何年か後に故郷に戻ってみると、大変な年月が経ち、誰も知る者がいなかった。乙姫が恋しくなった浦島は、姫が渡してくれた「玉手箱」を開けてしまい、あっという間に老人の姿になってしまった…。そのような、どこか仏教的な色合いのする勧善懲悪・因果応報のお話しだと思っていたのですが、成立の年代を含め、一般に流布されている内容とは随分異なるものがあるようです。

浦島伝説と呼ばれる「お話し」の原典は『丹後国風土記』逸文だとされていますが、いつもの例に洩れず、その原本は失われており、今、風土記そのものを見ることは出来ません。では、何故、風土記に浦島のお話しが掲載されているのが分かるのか、と言えば鎌倉時代に卜部兼方(うらべ・かねかた)が著した『釈日本紀』(しゃくにほんき、1300年頃の成立)という日本書紀に関する解説書の中(巻第十二)に「丹後国風土記にいう」と伝説の逸文が紹介されているからなのです。そこに記されている浦島伝説は単なる「お伽話し」ではなく、かなり具体的な内容を伴った物語の形式になっています。その、主旨を拾い上げて記してみました。先ず、書き出しの前置きとして、

    与謝郡、日置(ひき)の里に筒川という村があり

   ここに日下部首(くさかべ・おびと)たちの先祖である筒川の嶼子(しまこ)という人がいた。

   姿容が非常に優れとても風流な彼は、所謂、水江の浦の嶼子という者であった。

   この話しは旧宰、伊預部馬養連(いよべ・うまかい・むらじ)の記したものに少しも背く内容のものではない。

という断り書きがあり、この話しそのものを初めに書き記した者が伊預部氏一族の馬養という人物であり、日下部氏の先祖に関するものだったことが分かります。そして、次に、具体的な年代の記述を伴った浦島伝説が展開されるのですが、その、主だった内容は、

    長谷の朝倉宮に御宇いし天皇(雄略)の御世

    嶼子は独りで船に乗り釣りをしていたが、三日三晩何も釣れなかった。

    ところが五色の亀を得る事が出来

    船の中に置き、まどろんでいると亀が忽ち「婦人」になり、大変、麗しい容姿だった。

    驚いた嶼子が「こんな海の只中を、どうやって貴女は来たのですか」と尋ねると

    その娘は「とても風流な貴方が独り蒼海におられたので、お話しをしようと風雲に乗ってきたのです」

    と答え、嶼子に「棹を回し、蓬莱に行きましょう」と誘った。

と記され、浦島が「亀」を助けたという「善行」については何も語られてはいません。それどころか「亀」自身が「婦人」だったのであり、海中の「博大の嶋」に着いた彼は、嶋の住人たちが「この人が亀比売の夫だそうだ」と話し合うのを聞いて、娘の名前を知ることになるのです。余談を付け加えますが、この「嶋の住人」たちは、タイやヒラメの群れではなく、七豎子・八豎子と呼ばれる童子たちで、これらは「(すばる)」と「(あめふり星)」のことだと説明されています。海の中に星が沢山いる、というのも変な話しですが、そこは、まぁ、…お話しの世界ですから…。

そして、浦島と亀比売は目出度く「夫婦の理を成しき」つまり結婚したのですが、三年ほど経ったとき嶼子は国許の両親を思い出し故郷に帰りたい、強い郷愁に襲われるのです。その様子を心配した姫は彼に『故郷に帰りたいのですか?本心を聞かせてください』と尋ね、嶼子は『帰って両親に会いたい』と答えます。姫はとても哀しみ嘆きますが、それでも彼の意思を尊重して、嶼子の帰還を見送ります。その時、

    女娘、玉匣(たまくしげ)を取り出し、嶼子に授け

    貴方が私のことを決して忘れず、また、戻って来ようと思うのなら

    この匣を大切に握り締め、決して開いて見ようとはしないでください

と夫に語りかけたのですが、故郷の地に立ち、見知るものは誰一人なく、既に300年もの年月が経っていることに愕然とした浦島は姫の大切な教えを忘れ、つい玉匣を開けてしまいます。箱からは芳香とともに風雲が翻り蒼天高く飛び去ってしまいました。我に帰った嶼子は姫と再び会う事が出来なくなったことに気付き、泣きながら辺りを彷徨ました。この姫の最後の言葉と、匣を開けた後の様子を合わせて考えると、姫が夫に渡した「匣」の中には、姫自身の「魂」そのものが入っていたのではないかと思われます。この約束事あるいは禁忌の主題は多くの物語の重要な要素になっていますが、それを破るのは、いつも人間の側のようです。

  乙姫さん  浦島太郎さん  鯛です

さて、ここまでが所謂「浦島伝説」の原型なのですが、先に見た伊預部馬養連(657〜702?)という人物は七世紀末頃から八世紀初頭に活躍した官僚の一人。持統天皇(じとうてんのう,645〜703)の時代には説話収集の役目(撰善言司)を果たしています。つまり古事記(712年)が成立する直前の時代に「説話」の専門家であった人であり、風土記がわざわざ彼の名前を持ち出しているのは権威付けの意味合いがあったとも言えるのです。また『新撰姓氏録』によれば伊預部連の祖先神は火明命(ほあかりのみこと)であり、丹後一の宮として知られる籠(この)神社は、その彦火明命(ひこほあかりのみこと)を主祭神として祀っています。だから、単純に考えれば、古事記や風土記の編集事業が行われていることを知る立場にあった馬養が、自らの祖先話しを、それらの書物にも残そうとして今風(八世紀風)に脚色したものが「浦島伝説」の発端になったと言えるでしょう。馬養の思惑は的中し、風土記には、ほぼ全文が採用され、720年に成立した国の史書『日本書紀』にも、次の一文が明記されたのです。

   雄略二十二(478)年、秋七月、丹波国預社郡の管川の人、瑞江の浦嶋子

   船に乗り釣りし、遂に大亀を得たり。すなわち女に化為る。

   ここに浦嶋子、めでて妻にし、相したがいて海に入り、蓬莱国(とこよのくに)に到り

   仙衆にめぐり観る。語は別巻に在り

書紀の言う「別巻」が丹後国風土記であることは間違いないでしょう。だとすれば書紀の選者たちは各地の風土記を参考にしながら個々の記述を重ねていたことになります。それにしても、何故、浦嶋子のお話しが雄略天皇の時代の出来事として掲載されているのか?これについては、上で見た火明命の籠神社がヒントを与えてくれます。ところで、この籠神社ですが、その由緒書などを見ると、

    主神の彦火明命は、またの名を天火明命、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命

    また極秘伝によれば山城の賀茂別雷神とも異名同神であり

    その御祖の大神(下鴨)も併せ祀られている。

    彦火明命は天孫として息津鏡、辺津鏡を賜り

    また由緒略紀には、十種神宝を将来された天照国照彦火明櫛玉饒速日命であると言い

    また彦火火出見命の弟・火明命といい

    さらに大汝命の御子であるといい、別に丹波道主王とも云う。

とあって、なんとも複雑怪奇・不思議なカミサマです。恐らく「丹波」地域の豪族であった祖先が「火」に関連した技術集団の長であったと思われるのですが、別名を見てゆくと尾張氏との関連も考えられる一方、所謂「天孫」でもアマテラスではなく「ニギハヤヒ」系のカミサマだったことも分かります。ただ、そうであれば「大汝命(オオナムチ)」の子供であるはずは無いのですが、どこかで混乱が生じたのかも知れません(意図的に系譜を混乱させた可能性もあります。更に言えば「丹波道主王」は彦坐王の直系ですから、これも大いに不審な伝承です)。それはさておき、肝心なのは配神であり奥宮にも摂社として祀られている豊受大神(とようけのおおかみ)という神様です。この大神は現在、伊勢神宮・外宮に祭られている穀物・豊穣の象徴なのですが、公文書とも言える『止由気宮儀式帳』には、

    雄略天皇の夢に現れた天照大神

    わたし一人では寂しい。食事も心安らかにとることが出来ないから

    豊受大神を御饒の神として、そばに呼んで欲しい

と謂われたので天皇は丹波国から大神を伊勢の地に移し祀ったと記述されています。また伊勢神宮にも、

    雄略二十二年に豊受皇太神が丹波国与佐から渡会の山田原に移った

という記録が残されています。つまり、この年、478年かどうかは別にしても記紀神話成立から二百数十年前、丹波地方の女神であり、その地方の最高神であった豊受大神が「天孫」側の勢力圏に取り込まれ、天孫側の豊穣を約束するために、伊勢の地に移動させられた、という伝承(祀っていた側にすれば歴史的な事実)があった訳です。出雲地方ではオオクニヌシによる「国譲り」が喧伝されましたが、それとは別に、このような「神譲り」(祭祀権の移動)が各地で行われたに違い在りません。その意味では、豊受大神が伊勢に移った後、籠神社の主祭神となった火明命が、オオナムチの子(国を譲った側の子孫)であると言われるのも当然なのかも知れません。また、火明命が「彦火火出見命(火遠理命=山幸彦)」の「弟」だとされているのは、皆さんもご存知の海彦・山彦のお話しで見た、山彦つまり彦火火出見命のお妃である豊玉姫が、やはり海のお姫様(実体はワニ)であったという神話に関連付けたものだと考えられます。そして賀茂別雷神と「同神」である、との言い伝えも、遠い祖先が賀茂氏と同様に海神系の神様であった可能性(伝承の存在)を示唆していると思われるのです。

亀比売は「豊受大神」の化身!?

祭祀権の委譲は、ただ、単に、或る神様だけが引越しをして別の社に移り住むことではありません。そこに仕える神官を初め、多くの人々の生活も一変します。また、神様が治めていた(現実には人々が耕し、穀物を得ている)「土地」も、新たにやってくる別の神様の所領となり、貢物も新しい神様(を信奉する人々)に捧げることになるでしょう。「亀」は長寿の例えとして用いられる動物ですが、浦島伝説に例えられ、浦嶋子を蓬莱国に連れて行ったとされる「亀」こそ豊穣の女神・豊受大神そのものではなかったでしょうか?『その地は玉を敷けるが如し』と風土記逸文が伝える蓬莱の地とは、かつて馬養の祖先たちが開拓し、大切に築き上げた丹波の地そのものではなかったのでしょうか?

紀国の熊野本宮大社   本宮大社のヤタガラス

玉匣を決して開けてはならない、開ければ二度と戻れない(姫と再会できない)ことが浦島太郎には十分に分かっていたはずです。それでも彼が、その箱を開けたのは、いや、あえて嶼子に箱を開けさせたのは馬養という人物の、覚めた現実認識だったと考えるのは、少し、深読みのし過ぎでしょうか!彼は主人公の嶼子についてどの様に描写していましたか?そうですね、彼は(権力欲などとは、程遠い)「とても風流な人」であると亀比売にも言わせていますし、冒頭での紹介文の中でも、同様の表現をしています。祖先話とは言え、当時の権力者を極力刺激しないように馬養は慎重に配慮していたのです。『これは昔話です。政治的な背景などありません。増してや、権力に対して楯突くような考えは毛頭ありません』と、馬養が言いたかった相手とは、文武二年(698)八月に「藤原朝臣賜るところの姓、よろしく、その子、不比等をして、これを受けしむべし」と詔を出された藤原不比等(ふじわら・ふひと,659〜720)その人に他なりません。そして、この同じ時期、意美麻呂を中心にした中臣一族が国家の祭祀権を握った宮廷の様子を馬養の冷静な眼が見据えていなかったとは、とても考えられないのです。嶼子は、姫と会えなくなることを承知の上で「玉匣」を敢えて開けたのです。亀比売の住むべき海中の国=豊受神宮=は、もはや、丹後の国には存在していなかった、のですから。今回は、悲しい結末になりましたね。

では「亀」さんに因んだオマケのお話しをしておきましょう。高松塚古墳の壁画で有名になった四神については皆さんも何度かお聞きになったことがあるでしょう。四神思想については知識もありませんので詳しい説明を省きますが、要するに「四つの方角」を護る「四つの存在」があって「北」の方角を護る霊的動物が「玄武」(亀と「蛇」が合体したもの)だとされています。つまり「北方の守護神」の一人というか、一つの存在が「亀」さんなのですが、この亀の紋(亀甲紋)を神紋としている神社があることをご存知でしょうか?当然、都(当時は奈良と考えて)の北にある神社ということになりますが、それは、このシリーズで取り上げてきた、あの出雲大社です。正確には北西になりますが、まぁ、そう堅いことは言わないでください。そして、亀甲紋は出雲にとどまらず、山陰地方に鎮座する須佐神社、佐太神社、美保神社、八重垣神社、神魂神社そして熊野大社なども全て亀さんの紋所なのです。

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