中原中也詩集 「山羊の歌」抄                           サイトの歩き方」も参照してください。

このページは中也が生前に刊行した唯一の詩集「山羊の歌」に収められている詩篇の中から抜粋した作品を紹介しています。初期詩篇や、ダダイズムに関連のあるものについては「中也その一」から「中也その5」までの各ページの中でも取り上げているので、そちらも参照してください。なお、詩篇は本来すべて縦書きのスタイルで書かれています。また、ルビも振られているのですが、このページでは原書に忠実ではありません

初期詩篇


 春の日の夕暮れ             

       トタンがセンベイ食べて
    春の日の夕暮は穏やかです
    アンダースローされた灰が蒼ざめて
    春の日の夕暮は静かです

    吁!  案山子はないか−あるまい
    馬嘶くか−嘶きもしまい
    ただただ月の光のヌメランとするままに
    従順なのは  春の日の夕暮か

    ポトポトと野の中に伽藍は紅く
    荷馬車の車輪  油を失ひ
    私が歴史的現在に物を云へば
    嘲る嘲る  空と山とが

    瓦が一枚  はぐれました
    これから春の日の夕暮は
    無言ながら  前進します
    自らの  静脈管の中へです






 サーカス

     
幾時代かがありまして
       茶色い戦争ありました

    幾時代かがありまして
       冬は疾風吹きました

    幾時代かがありまして
       今夜此処での一と殷盛り
          今夜此処での一と殷盛り

    サーカス小屋は高い梁
       そこに一つのブランコだ
    見えるともないブランコだ

    頭倒さに手を垂れて
       汚れ木綿の屋蓋のもと
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

    それの近くの白い灯が
       安値いリボンと息を吐き

    観客様はみな鰯
       咽喉が鳴ります牡蠣殻と
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

           屋外は真ツ闇 闇の闇
           夜は劫々と更けまする
           落下傘奴のノスタルヂアと
           ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん





臨  終

          秋空は鈍色にして
    黒馬の瞳のひかり
       水涸れて落つる百合花
       あゝ こころうつろなるかな

    神もなくしるべもなくて
    窓近く婦の逝きぬ
       白き空盲ひてありて
       白き風冷たくありぬ

    窓際に髪を洗へば
    その腕の優しくありぬ
       朝の日は澪れてありぬ
       水の音したたりてゐぬ

    町々はさやぎてありぬ
    子等の声もつれてありぬ
       しかはあれ この魂はいかにとなるか?
       うすらぎて 空となるか?





 逝く夏の歌              


    並木の梢が深く息を吸つて
    空は高く高く、それを見てゐた
    日の照る砂地に落ちてゐた硝子を、
    歩み来た旅人は周章てて見附けた。

    山の端は、澄んで澄んで、
    金魚や娘の口の中を清くする。
    飛んでくるあの飛行機には、
    昨日私が昆虫の涙を塗つておいた。

    風はリボンを空に送り、
    私は嘗て陥落した海のことを
    その浪のことを語らうと思ふ。

    騎兵聯隊や上肢の運動や、
    下級官吏の赤靴のことや、
    山沿ひの道を乗手もなく行く
    自転車のことを語らうと思ふ。





 夏の日の歌

    青い空は動かない、
    雲片一つあるでない。
       夏の真昼の静かには
       タールの光も清くなる。

    夏の空には何かがある、
    いぢらしく思はせる何かがある、
       焦げて図太い向日葵が
       田舎の駅には咲いてゐる。

    上手に子供を育てゆく、
    母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
       山の近くを走る時。

    山の近くを走りながら、
    母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
       夏の真昼の暑い時。





 夕  照

    丘々は、胸に手を当て
    退れり。
    落陽は、慈愛の色の
    金の色。

    原に草、
    鄙唄うたひ
    山に樹々、
    老いてつましき心ばせ。

    かゝる折しも我ありぬ
    小児に踏まれし
    貝の肉。
 
    かゝるをりしも剛直の、
    さあれゆかしきあきらめよ
    腕拱みながら歩み去る。





 宿  酔

    朝、鈍い日が照つてて
        風がある。
    千の天使が
        バスケットボールする。          

    私は目をつむる、
        かなしい酔ひだ。
    もう不用になつたストーブが
        白つぽく銹びてゐる。

    朝、鈍い日が照つてて
       風がある。
    千の天使が
       バスケットボールする。





 ためいき
   
河上徹太郎に

    
 ためいきは夜の沼にゆき、
    瘴気の中で瞬きをするであらう。
    その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音を立てるだらう。
    木々が若い学者仲間の、頚すぢのゆうであるだらう。

    夜が明けたら地平線に、窓が開くだらう。
    荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
    ためいきはなほ深くして、
    丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

    野原に突出た山ノ端の松が、私を看守つてゐるだらう。
    それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
    神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

    空が曇つたら、蝗螽の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
    遠くに町が、石灰みたいだ。
    ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。





 少年時 

                      

 盲目の秋

        T

    風が立ち、浪が騒ぎ、
       無限の前に腕を振る。

    その間、小さな紅の花が見えはするが、
       それもやがては潰れてしまふ。

    風が立ち、浪が騒ぎ、
       無限の前に腕を振る。

    もう永遠に帰らないことを思つて
       酷白な嘆息するのも幾たびであらう……

    私の青春はもはや堅い血管となり、
       その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。

    それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛へ、
       去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに、

    厳かで、ゆたかで、それでゐて侘しく
       異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

             あゝ、胸に残る。

    風が立ち、浪が騒ぎ、
       無限のまへに腕を振る。

        U

    これがどうならうと、あれがどうならうと、
    そんなことはどうでもいいのだ。

    これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
    そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

    人には自恃があればよい!
    その余はすべてなるまゝだ……

    自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
    ただそれだけが人の行ひを罪としない。

    平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
    朝霧を煮釜に填めて、跳起きられればよい!

        V

    私の聖母!
       とにかく私は血を吐いた! ……
    おまへが情けをうけてくれないので、
       とにかく私はまゐつてしまつた……

    それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
       それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
    私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
       おまへもわたしを愛してゐたのだが……

    おゝ! 私の聖母!
       いまさらどうしやうもないことではあるが、
    せめてこれだけ知るがいい−−

    ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
       そんなにたびたびあることでなく、
    そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。

        W

    せめて死の時には、
    あの女が私の上に胸を披いてくれるでせうか。
       その時は白粧をつけてゐてはいや、
       その時は白粧をつけてゐてはいや。

    ただ静かにその胸を披いて、
    私の眼に輻射してゐて下さい。
       何にも考へてくれてはいや、
       たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

    ただはららかにはららかに涙を含み、
    あたたかく息づいてゐて下さい。
    −−もしも涙がながれてきたら、

    いきなり私の上にうつ俯して、
    それで私を殺してしまつてもいい。
    すれば私は心地よく、うねうねの冥土の径を昇りゆく。





 

    血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
    今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
    睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
    血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

    空は燃え、畑はつづき
    雲浮び、眩しく光り
    今日の日も日は炎ゆる、地は睡る
    血を吐くやうなせつなさに。

    嵐のやうな心の歴史は
    終焉つてしまつたもののやうに
    そこから繰れる一つの緒もないもののやうに
    燃ゆる日の彼方に睡る。

    私は残る、亡骸として−−
    血を吐くやうなせつなさかなしさ。



みちこ
                     
 汚れつちまつた悲しみに……

    汚れつちまつた悲しみに
    今日も小雪の降りかかる
    汚れつちまつた悲しみに
    今日も風さへ吹きすぎる

    汚れつちまつた悲しみは
    例えば狐の革裘
    汚れつちまつた悲しみは
    小雪のかかつてちぢこまる

    汚れつちまつた悲しみは
    なにのぞむなくねがふなく
    汚れつちまつた悲しみは
    倦怠のうちに死を夢む

    汚れつちまつた悲しみに
    いたいたしくも怖気づき
    汚れつちまつた悲しみに
    なすところもなく日は暮れる……


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 修羅街輓歌
      
関口隆克に

            序 歌

    忌はしい憶ひ出よ、
    去れ! そしてむかしの
    憐みの感情と
    ゆたかな心よ、
    返つて来い!

       今日は日曜日
       縁側には陽が当る。
       −−もういつぺん母親に連れられて
       祭りの日には風船玉が買つてもらひたい、
       空は青く、すべてのものはまぶしくかヾやかしかつた……

       忌はしい憶ひ出よ、
       去れ!
           去れ去れ!

            U 酔 生

    私の青春も過ぎた、
    −−この寒い明け方の鶏鳴よ!
    私の青春も過ぎた。

    ほんに前後もみないで生きて来た
    私はあむまり陽気にすぎた?
    −−無邪気な戦士、私の心よ!

    それにしても私は憎む、
    対外意識にだけ生きる人々を。
    −−パラドクサルな人生よ。

    いま茲に傷つきはてて、
    −−この寒い明け方の鶏鳴よ!
    おゝ、霜にしらみの鶏鳴よ……

            V 独  語

    器の中の水が揺れないやうに、
    器を持ち運ぶことは大切なのだ。
    さうでさへあるならば
    モーションは大きい程いい。

    しかしさうするために、
    もはや工夫を凝らす余地もないなら……
    心よ、
    謙仰にして神恵を待てよ。

            W 

    いといと淡き今日の日は
    雨蕭々と降り洒ぎ
    水より淡き空気にて
    林の香りすなりけり。

    げに秋深き今日の日は
    石の響きの如くなり。
    思ひ出だにもあらぬがに
    まして夢などあるべきか。

    まことや我は石のごと
    影の如くは生きてきぬ……
    呼ばんとするに言葉なく
    空の如くははてもなし。

    それよかなしきわが心
    いはれもなくて拳する
    誰をか責むることかある?
    せつなきことのかぎりなり。





 羊の歌 

羊 の 歌
    
安原喜弘に

            T 祈 り

    死の時には私が仰向かんことを!
    この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!
    それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、
    罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
    あゝ その時私の仰向かんことを!
    せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

            U

    思惑よ、汝 古く暗き気体よ、
    わが裡より去れよかし!
    われはや単純と静けき呟きと、
    とまれ、清楚のほかを希はず。

    交際よ、汝陰鬱なる汚濁の許容よ、
    更めてわれを目覚ますことなかれ!
    われはや孤寂に耐へんとす、
    わが腕は既に無用の有に似たり。

    汝、疑ひとともに見開く眼よ
    見開きたるまゝに暫しは動かぬ眼よ、
    あゝ、己の外をあまりに信ずる心よ、

    それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
    わが裡より去れよかし去れよかし!
    われはや、貧しきわが夢のほかに興ぜず

            V

              
我が生は恐ろしい嵐のやうであつた、
              
其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
                              
ボードレール

    九歳の子供がありました
    女の子供でありました
    世界の空気が、彼女の有であるやうに
    またそれは、凭つかかられるもののやうに
    彼女は頚をかしげるのでした
    私と話してゐる時に。

    私は炬燵にあたつてゐました
    彼女は畳に坐つてゐました
    冬の日の、珍しくよい天気の午前
    私の室には、陽がいつぱいでした
    彼女が頚かしげると
    彼女の耳朶 陽に透きました。

    私を信頼しきつて、安心しきつて
    かの女の心は蜜柑の色に
    そのやさしさは氾濫するなく、かといつて
    鹿のやうに縮かむこともありませんでした
    私はすべての用件を忘れ
    この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味しました。

            W

    さるにても、もろに侘しいわが心
    夜な夜なは、下宿の室に独りゐて
    思ひなき、思ひを思ふ 単調の
    つまし心の連弾よ……

    汽車の笛聞こえもくれば
    旅おもひ、幼き日をばおもふなり
    いなよいなよ、幼き日をも旅をも思はず
    旅とみえ、幼き日とみゆるものをのみ……

    思ひなき、おもひを思ふわが胸は
    閉ざされて、醺生ゆる手匣にこそはさも似たれ
    しらけたる脣、乾きし頬
    酷薄の、これな寂莫にほとぶなり……

    これやこの、慣れしばかりに耐へもする
    さびとさこそはせつなけれ、みづからは
    それともしらず、ことやうに、たまさかに
    ながる涙は、人恋ふる涙のそれにもはやあらず……




    ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、
                  万事に於て文句はないのだ。
                                   
「いのちの声」W

  中也     

汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (角川文庫)

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